ようこそおいで下さいました。当ブログは小説家・瀬川深のブログです。
■ 重要なお知らせはこちら。随時更新していきます。
■ 筑摩書房より小説「SOY! 大いなる豆の物語」が刊行されました。(2015.3.14)
■ 小学館より小説「ゲノムの国の恋人」が刊行されました。(2013.8.7)
■ すばる2013年2月号に小説「目の中の水」を書きました。(2013.1.4)
■ すばる2012年6月号に董啓章「地図集」の書評を書きました。(2012.5.13)
■ すばる2012年3月号に小説「東京の長い白夜」を書きました。(2012.2.19)
■ すばる2011年9月号に小説「五月、隣人と、隣人たちと」を書きました。(2011.8.11)
■ 週刊文春にサーシャ・スタニシチ「兵士はどうやってグラモフォンを修理するか」の書評を書きました。(2011.3.11)
■ 朝日新聞出版より長編小説「我らが祖母は歌う」が刊行されました。(2010.11.5)
■ 短篇小説「イラン、イスファハーン、弟と」が掲載されました。(2009.12.6)
■ 群像2009年9月号にエッセイを書きました。(2009.8.8)
■ 朝日新聞にインタビュウの記事が載りました。(2009.6.10)
■ The Sneaker誌6月号に紹介記事が載りました。(2009.5.25)
■ Newtype誌6月号に紹介記事が載りました。(2009.5.20)
■ ハヤカワミステリマガジン6月号に紹介記事が載りました。(2009.4.28)
■ STRANGE FICTIONにインタビューが載りました。(2009.4.3)
■ 早川書房より長編小説「ミサキラヂオ」が発売になりました。(2009.3.19)
■ セガワの小説についてはこちらをどうぞ。
■ 2009年3月早川書房より刊行された長編小説「ミサキラヂオ」についての記事です。
■ セガワの処女作、筑摩書房刊「チューバはうたう mit Tuba」についての記事です。
■ そのほかの小説や文章、インタビューなどについての記事です。
■ 小説や文章書きにまつわる雑文はこちらで。
■ 詩も書いています。ちょっとずつご紹介しております。
■ 評論と言うにはおこがましい、日々見聞きしたものの感想をまとめてみました。
■ 読んだ本の感想です。小説が多いです。
■ 漫画の感想はこちら。いろいろ偏っていますが気にしてはいけません。
■ 音楽についての記事です。ライブの感想が多いです。
■ 映画の感想などはこちら。あんまり数多く見ていませんが。
■ 国内から海外までの旅行記や、旅行にまつわる話はこちらです。
■ あんまり更新していませんが、本家のHPです。メールもこちらからどうぞ。
その他の記事も覗いてやってくださいませ。
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■ すばる2012年3月号に小説「東京の長い白夜」を書きました。(2012.2.19)
■ すばる2011年9月号に小説「五月、隣人と、隣人たちと」を書きました。(2011.8.11)
■ 週刊文春にサーシャ・スタニシチ「兵士はどうやってグラモフォンを修理するか」の書評を書きました。(2011.3.11)
■ 朝日新聞出版より長編小説「我らが祖母は歌う」が刊行されました。(2010.11.5)
■ 短篇小説「イラン、イスファハーン、弟と」が掲載されました。(2009.12.6)
■ 群像2009年9月号にエッセイを書きました。(2009.8.8)
■ 朝日新聞にインタビュウの記事が載りました。(2009.6.10)
■ The Sneaker誌6月号に紹介記事が載りました。(2009.5.25)
■ Newtype誌6月号に紹介記事が載りました。(2009.5.20)
■ ハヤカワミステリマガジン6月号に紹介記事が載りました。(2009.4.28)
■ STRANGE FICTIONにインタビューが載りました。(2009.4.3)
■ 早川書房より長編小説「ミサキラヂオ」が発売になりました。(2009.3.19)
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■ セガワの処女作、筑摩書房刊「チューバはうたう mit Tuba」についての記事です。
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Nooooooooooooo!
野坂昭如逝去か……。掛け値なしの天才、混じりけなしの小説家。追随者なく日本語の荒野を突き進み、我と我らの卑俗を余すところなく活写したうえにそこに何か聖性まで添えてみせた。俺ごときが称揚するまでもない、最も偉大なる日本語の小説家ここに斃る。
かえりみれば野坂昭如、その名前を最初に耳にしたのは「火垂るの墓」、中学生のころにひときわ評判を取ったアニメ映画の原作者ということになりそうなものだがまるで記憶になく、むしろ親父の買ってくる週刊誌に異様に一文の長いコラムが載っていてまるで読み解けずにいれば、戦後民主主義世代の両親言下に「あぁあのウヨク作家」と切って捨てたその小気味よさこそが、この稀代の大作家をいたずらに反戦平和の教条と結びつけずに済んだのだとは後になってわかることだった。先人の紙に記した言葉を追いかけるようになったのは先帝のみまかってより後のこと、この大作家が歌手にテレビに政治活動にとあらかたの遊びに飽いた後だったことも幸いだったのかも知れぬ、その魁夷なる容貌は常に膨大なる作品の中からのみ立ち上がってきてこちらを睥睨した。
さりとてアメリカひじきに火垂るの墓、教科書が勧めてくる作品は押しなべて退屈、かえりみればやはりこの大家の作としては最上とは言いがたいものと感じられた一方で古書店の書棚に並ぶ野坂昭如作品はどれをとってもしたたかに、こちらの腰骨のあたりを強打してくるなにか、我らが生と性の浅ましさを極めて実直に無骨にわが網膜に縫い付けてくるようなものばかりで、マッチ売りの少女に童女入水にエロ事師たち、幾度まばたきを忘れたかわからぬ。
忘れがたいのは「骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら)」、超弩級の傑作があると聞かされながら入手かなわず、読みたいと念じながら数年が過ぎてふと訪れた石垣島、西表に渡る船待ちのあいだに立ち寄った古書店、積まれた一番上にその本を見つけたときには脳天を貫くような衝撃を受けた。貪るように読んでその真価直ちに理解したとはとても言えないのだが、渡った西表で見たものは半世紀の昔に苛烈な労働とマラリアで幾百人もの死の果てに原生林の中にまさに朽ち潰えようとしている炭鉱跡、それはまさに骨餓身峠死人葛の世界顕現したかのような、偶然という名の必然、奇跡的な付合だった。
無粋を承知で要約すれば、骨餓身峠死人葛、ところは九州、流れ人夫の葛作造の拓いた炭鉱を舞台にした奇怪な一代記で、ここにはただ死体をのみ養分として死人葛が白い花を咲かせるという。作造の娘、たかを、幼少のころより死人葛をこよなく愛し、死人葛を咲かせるためには実の兄をそそのかし、やがて道ならぬ関係に陥り、兄が肺病を病めばその骸もまた死人葛を咲かせ、たかをと父は契って娘さつきを生み、大戦と敗戦に時を同じくして炭鉱が衰えれば残された人々ただ死人葛の実を糧秣として生きのびようとする。死人葛を咲かせるためには骸がいる、そのために女は子を孕まねばならず、孕むためには親も子もきょうだいもなく、「髪ざんばら素脚の男女が、夜に日にかき抱き合って、直接食欲に結びつく性欲は、果てしなく強じんであった」。目を覆いたくもなる凄惨なコミューンがやがて破滅的終焉を迎えるのも道理、しかし死者の堆積のうえに我らが危うく生をつなぎ、性へのかつえが生を満たすありさまは寓意だ風刺だといったものをかるがると超えて、さむざむと下腹に迫ってくる、見上げれば天を覆わんばかりの影であったとわかるようなおそろしさがあった。文体からも視点からも物語からもただ感じられるのは生のそして性のいかんともしがたさであったように思う、それは本作に限ったことではなく全てから。
われらの土地に、歴史に、人間たちに、このような光を当てたのはただ一人野坂昭如だけだった、自分は強くそう信じている。強い光を見つめる勇気なければ目をそらしてしまうほどの強い光芒。
空前絶後、前人未到、唯一無二。南無阿弥陀仏。
アキユキ・ノサカ・ノー・リターン。
野坂昭如逝去か……。掛け値なしの天才、混じりけなしの小説家。追随者なく日本語の荒野を突き進み、我と我らの卑俗を余すところなく活写したうえにそこに何か聖性まで添えてみせた。俺ごときが称揚するまでもない、最も偉大なる日本語の小説家ここに斃る。
かえりみれば野坂昭如、その名前を最初に耳にしたのは「火垂るの墓」、中学生のころにひときわ評判を取ったアニメ映画の原作者ということになりそうなものだがまるで記憶になく、むしろ親父の買ってくる週刊誌に異様に一文の長いコラムが載っていてまるで読み解けずにいれば、戦後民主主義世代の両親言下に「あぁあのウヨク作家」と切って捨てたその小気味よさこそが、この稀代の大作家をいたずらに反戦平和の教条と結びつけずに済んだのだとは後になってわかることだった。先人の紙に記した言葉を追いかけるようになったのは先帝のみまかってより後のこと、この大作家が歌手にテレビに政治活動にとあらかたの遊びに飽いた後だったことも幸いだったのかも知れぬ、その魁夷なる容貌は常に膨大なる作品の中からのみ立ち上がってきてこちらを睥睨した。
さりとてアメリカひじきに火垂るの墓、教科書が勧めてくる作品は押しなべて退屈、かえりみればやはりこの大家の作としては最上とは言いがたいものと感じられた一方で古書店の書棚に並ぶ野坂昭如作品はどれをとってもしたたかに、こちらの腰骨のあたりを強打してくるなにか、我らが生と性の浅ましさを極めて実直に無骨にわが網膜に縫い付けてくるようなものばかりで、マッチ売りの少女に童女入水にエロ事師たち、幾度まばたきを忘れたかわからぬ。
忘れがたいのは「骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら)」、超弩級の傑作があると聞かされながら入手かなわず、読みたいと念じながら数年が過ぎてふと訪れた石垣島、西表に渡る船待ちのあいだに立ち寄った古書店、積まれた一番上にその本を見つけたときには脳天を貫くような衝撃を受けた。貪るように読んでその真価直ちに理解したとはとても言えないのだが、渡った西表で見たものは半世紀の昔に苛烈な労働とマラリアで幾百人もの死の果てに原生林の中にまさに朽ち潰えようとしている炭鉱跡、それはまさに骨餓身峠死人葛の世界顕現したかのような、偶然という名の必然、奇跡的な付合だった。
無粋を承知で要約すれば、骨餓身峠死人葛、ところは九州、流れ人夫の葛作造の拓いた炭鉱を舞台にした奇怪な一代記で、ここにはただ死体をのみ養分として死人葛が白い花を咲かせるという。作造の娘、たかを、幼少のころより死人葛をこよなく愛し、死人葛を咲かせるためには実の兄をそそのかし、やがて道ならぬ関係に陥り、兄が肺病を病めばその骸もまた死人葛を咲かせ、たかをと父は契って娘さつきを生み、大戦と敗戦に時を同じくして炭鉱が衰えれば残された人々ただ死人葛の実を糧秣として生きのびようとする。死人葛を咲かせるためには骸がいる、そのために女は子を孕まねばならず、孕むためには親も子もきょうだいもなく、「髪ざんばら素脚の男女が、夜に日にかき抱き合って、直接食欲に結びつく性欲は、果てしなく強じんであった」。目を覆いたくもなる凄惨なコミューンがやがて破滅的終焉を迎えるのも道理、しかし死者の堆積のうえに我らが危うく生をつなぎ、性へのかつえが生を満たすありさまは寓意だ風刺だといったものをかるがると超えて、さむざむと下腹に迫ってくる、見上げれば天を覆わんばかりの影であったとわかるようなおそろしさがあった。文体からも視点からも物語からもただ感じられるのは生のそして性のいかんともしがたさであったように思う、それは本作に限ったことではなく全てから。
われらの土地に、歴史に、人間たちに、このような光を当てたのはただ一人野坂昭如だけだった、自分は強くそう信じている。強い光を見つめる勇気なければ目をそらしてしまうほどの強い光芒。
空前絶後、前人未到、唯一無二。南無阿弥陀仏。
アキユキ・ノサカ・ノー・リターン。
地球の裏側の日本国では、昨今、若い連中が街頭でデモやっているらしい。インターネッツのおかげでそういうこともリアルタイムで実感ができてまことに善き時代ではある。このことについて思うところがあったので、少し長くなるが書く。
アラフォーな僕は特に社会的理想を高く掲げたような世代じゃない。しかし自分の高校時代を顧みると、受動的ではあれ、実に幸運な時代の風を感じられた世代ではあったのだと思う。
僕は、中学入学が86年、高校入学が89年、大学92年という世代。これはつまり、10代がピタリ冷戦の終結期に重なったのだ。これはわりと凄いことだったと思う。なんかオッカナイ国だったソ連でバタバタ最高指導者が亡くなり、ゴルバチョフという若い指導者が率直に語り出した。アレは驚いた。レーガンとゴルビーがレイキャビクで会談したのは86年だっけか。どっちももはや無い袖振れない台所事情だなんて揶揄は当時からされてたけど、数年前にSDIなんていってたこと思えば大変化だ。「なんだよあいつらも話せば分かるじゃん」な変化が可視化された時代だったと思う。それも劇的に。
高校のときの変化はもっと凄くて、89年には汎ヨーロッパピクニックがあってベルリンでデモが頻発して、あれよあれよという間に「壁」が壊れてしまった。中学校の時は勉強して受験に備えたのに。バルト三国での独立運動が盛んになり、戦車と銃弾も翻意させるには至らず、遂にソ連から一足先に独立してしまった。ホーネッカーがゴルビーに見限られたりワレサが大統領になったり、チャウシェスクが吊されたりした。
もちろんいいことばかりではなく、86年のチェルノブイリに88年のミャンマー軍政に89年の天安門、ことに東アジアの動きは自由とはほど遠い暗さがあったけれど、それでも韓国北朝鮮が電撃的に国連に加盟し、あげく中国と国交を結んだりした。これは本当に驚くべきことだったんですよ。
血もたくさん流れた。激動の時代だった。お陰で僕は新聞を毎日読む習慣が付いた。この動きはついには、ソ連の崩壊という信じがたい事態で一区切りを付けるのだけど……。
さて国内に目を向ければ、まことに矮小ではあるのだが、バブルの狂乱の裏でリクルートだの佐川だのと55年体制の覇者であった自民党が自壊し続け、ついには単独与党を維持できなくなってしまう。現状の救いがたさを思うに、良かったかどうかまことに悩ましいけれど、それでも、「これすら変化するのだ」という驚きはあった。
こういう疾風怒濤が人生でもっとも多感な時期の遠景であったというのは、顧みればやはり幸運だったと言わざるを得ない。驚天動地の連続が10代の僕に接種したのは、「おそらく世の中は今よりも良くなるに違いない」という、要は未来への希望だった。もちろんそれは90年代のバルカンや東アフリカなどで苦く裏切られるんだけど、それでも、「ダメだと思ってたことが変化する」という驚きと感動は、ものごとに対する抗体みたいなものになって今も体内に残っている。
その後もお定まりに社会に放り出されてままならぬこともたんまり経験して見事に肥ったつまらんオッサンにはなったけど、「それは変化できる」という信条みたいなものはしぶとく埋火となって消えようとしない。これがいいことかどうかもまた難しいところで、いい年扱いてあきらめが悪く「ねぇもう一回ぐらいやってみたら今度はうまくいくんじゃないかなぁ…」と未練がましい人生運営を続けてはいるのだが、幸いにして、「マこんなもんでしょ、これが現実」と割り切る思想だけは身につかずに済んだ。幸運だ。
さて、長い長い回顧のあとに2015年に目を戻せば、かつて僕が若かったときと同じぐらい若い連中が街頭でデモやったりしているそうな。驚きだ。僕がベルリンやヴィリニュスの若者に見ていたようなものが東京に出現したとは。本当に驚くべきことだ。これは本当に日本のことなんだろうか?
僕は集団自衛権法案aka戦争法案に反対だけど、その点で彼らと同調できるかどうかは知らない。彼らのロジックや意見、詳しく知らないし、実のところあまり興味もない。僕にとっては、徴兵制も日本の開戦もあんまりリアルな心配事じゃない。クソみたいな無駄遣いの根拠になるだろうということがいちばんの反対の理由だ。それに、馬鹿げた軍事アクションを拒絶できるほど利口とも思えない、日本の政治家だの軍の偉いさんにコマにされる兵隊が気の毒でね。ズサンな人殺しのアウトソーシングに平気で首肯できるほど人でなしではないつもりなので。
だけど、にも関わらず、彼らが自分たちの未来に希望を見いだそうと示威行動を選択したのならば、僕はそれを嗤う気には毛頭なれない。僕がかつて東欧やソ連の未来に思いを馳せ「今よりも良くなるに違いない」と信じていたのと彼らの心象はたぶん変わるまい。その点だけは、僭越ながら、信じている。
若い皆さん、成功も勝利も祈りはしません。オッサンの繰り言も読む必要なんかありません。ただ、幸運を祈っています。なにかが必ず今よりも良くなりますように!
@SEALDs_jpn
(FB投稿の再掲)
アラフォーな僕は特に社会的理想を高く掲げたような世代じゃない。しかし自分の高校時代を顧みると、受動的ではあれ、実に幸運な時代の風を感じられた世代ではあったのだと思う。
僕は、中学入学が86年、高校入学が89年、大学92年という世代。これはつまり、10代がピタリ冷戦の終結期に重なったのだ。これはわりと凄いことだったと思う。なんかオッカナイ国だったソ連でバタバタ最高指導者が亡くなり、ゴルバチョフという若い指導者が率直に語り出した。アレは驚いた。レーガンとゴルビーがレイキャビクで会談したのは86年だっけか。どっちももはや無い袖振れない台所事情だなんて揶揄は当時からされてたけど、数年前にSDIなんていってたこと思えば大変化だ。「なんだよあいつらも話せば分かるじゃん」な変化が可視化された時代だったと思う。それも劇的に。
高校のときの変化はもっと凄くて、89年には汎ヨーロッパピクニックがあってベルリンでデモが頻発して、あれよあれよという間に「壁」が壊れてしまった。中学校の時は勉強して受験に備えたのに。バルト三国での独立運動が盛んになり、戦車と銃弾も翻意させるには至らず、遂にソ連から一足先に独立してしまった。ホーネッカーがゴルビーに見限られたりワレサが大統領になったり、チャウシェスクが吊されたりした。
もちろんいいことばかりではなく、86年のチェルノブイリに88年のミャンマー軍政に89年の天安門、ことに東アジアの動きは自由とはほど遠い暗さがあったけれど、それでも韓国北朝鮮が電撃的に国連に加盟し、あげく中国と国交を結んだりした。これは本当に驚くべきことだったんですよ。
血もたくさん流れた。激動の時代だった。お陰で僕は新聞を毎日読む習慣が付いた。この動きはついには、ソ連の崩壊という信じがたい事態で一区切りを付けるのだけど……。
さて国内に目を向ければ、まことに矮小ではあるのだが、バブルの狂乱の裏でリクルートだの佐川だのと55年体制の覇者であった自民党が自壊し続け、ついには単独与党を維持できなくなってしまう。現状の救いがたさを思うに、良かったかどうかまことに悩ましいけれど、それでも、「これすら変化するのだ」という驚きはあった。
こういう疾風怒濤が人生でもっとも多感な時期の遠景であったというのは、顧みればやはり幸運だったと言わざるを得ない。驚天動地の連続が10代の僕に接種したのは、「おそらく世の中は今よりも良くなるに違いない」という、要は未来への希望だった。もちろんそれは90年代のバルカンや東アフリカなどで苦く裏切られるんだけど、それでも、「ダメだと思ってたことが変化する」という驚きと感動は、ものごとに対する抗体みたいなものになって今も体内に残っている。
その後もお定まりに社会に放り出されてままならぬこともたんまり経験して見事に肥ったつまらんオッサンにはなったけど、「それは変化できる」という信条みたいなものはしぶとく埋火となって消えようとしない。これがいいことかどうかもまた難しいところで、いい年扱いてあきらめが悪く「ねぇもう一回ぐらいやってみたら今度はうまくいくんじゃないかなぁ…」と未練がましい人生運営を続けてはいるのだが、幸いにして、「マこんなもんでしょ、これが現実」と割り切る思想だけは身につかずに済んだ。幸運だ。
さて、長い長い回顧のあとに2015年に目を戻せば、かつて僕が若かったときと同じぐらい若い連中が街頭でデモやったりしているそうな。驚きだ。僕がベルリンやヴィリニュスの若者に見ていたようなものが東京に出現したとは。本当に驚くべきことだ。これは本当に日本のことなんだろうか?
僕は集団自衛権法案aka戦争法案に反対だけど、その点で彼らと同調できるかどうかは知らない。彼らのロジックや意見、詳しく知らないし、実のところあまり興味もない。僕にとっては、徴兵制も日本の開戦もあんまりリアルな心配事じゃない。クソみたいな無駄遣いの根拠になるだろうということがいちばんの反対の理由だ。それに、馬鹿げた軍事アクションを拒絶できるほど利口とも思えない、日本の政治家だの軍の偉いさんにコマにされる兵隊が気の毒でね。ズサンな人殺しのアウトソーシングに平気で首肯できるほど人でなしではないつもりなので。
だけど、にも関わらず、彼らが自分たちの未来に希望を見いだそうと示威行動を選択したのならば、僕はそれを嗤う気には毛頭なれない。僕がかつて東欧やソ連の未来に思いを馳せ「今よりも良くなるに違いない」と信じていたのと彼らの心象はたぶん変わるまい。その点だけは、僭越ながら、信じている。
若い皆さん、成功も勝利も祈りはしません。オッサンの繰り言も読む必要なんかありません。ただ、幸運を祈っています。なにかが必ず今よりも良くなりますように!
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(FB投稿の再掲)
昨夏8/30に開催されたコミティアで、短編小説「戦争のしらせ」を書きました。いままさに戦争をはじめようとしている国の大統領を主人公にした小説です。たった4日で書き上げたのですが、けっこう愛着のある作品です。そしてまた、昨今の日本国の情勢に鑑みて、このたびKindleにてリリースすることにしました。
こういった内容ですので当面無料で公開しようと思っていたのですが、Kindleの規約で無料にはできないらしく、やむを得ず1冊1ドルということにしました。ただし、とりあえず時間限定で前半部分を公開します。ご自由に立ち読みしてみてください。お気に召すようでしたらなにとぞお買い求めください。リンクはこちらです。
戦争のしらせ
翌朝の新聞は予定通りに南溟 での開戦を告げていた。大統領は途中までを流し読み、顔をしかめた。引用されていた勅令が二度にわたって誤植されていたからである。大統領は即座に秘書官を呼んでこのようなことがないようにと厳命し、なんとなればこれは人の生死に関わることなのだからな、と付け加えた。ただちに対処いたします、秘書官はかしこまったのちに告げた。閣下、本日はお忙しくなるかと存じます。なにしろこのような偉大な一歩の記された日ですから。はたしてそのようになった。まずは電話がひっきりなしで、秘書官が厳しく判じ分けても大統領に回ってきた電話は十五本に及んだ。政権与党の幹事長、有力議員、財界の有力者が、いずれも興奮ぎみに大統領の英断を褒め讃えた。閣下、おめでとうございます。これをもちましてわが国は新しい歴史の一ページを開きましたな。わがことのように誇らしく思いますよ。祖国と閣下にとこしえの栄光があらんことを! まことにもうしわけございませんでした、一本交じっていた震え声の電話は新聞社の社主からのものであった。必ずや関係者を捜し出して厳重な処分を下しますゆえ、なにとぞ、ご海容を……。大統領閣下は鷹揚に言った。いいんだ、いいんだ。大事の前の小事だ。しかし気をつけてくれたまえ、なんとなればこれは、人の生死に関わることなのだからな。赦 しながら大統領は卓上の新聞にふたたび目を落とした。誤植を別にすれば、われながらまことにに荘重な勅令であると思われた。秘書官が数度にわたって練り上げた労作であり、昨日の議会で読み上げられ、すでにあらゆる手段を通じて全世界へと配信されているはずだった。テレビで、ラジオで、無線で、衛星回線で、インターネットで。このような偉大な足跡を記したのが、ほかならぬ自分であるということがにわかに信じられず、やがて社主との通話は上の空となり、受話器を置いてからも大統領はしばらく上気した顔であてどなく新聞に目を走らせていた。来客が続々と大統領公邸を訪れはじめた。政治家、財界人、報道関係者、その他もろもろ。秘書官が厳重に制限を加えたが、軍務大臣たちばかりは無碍 にするわけにもゆかなかった。海軍大臣は言った。閣下、わが軍は船団をなして戦地へと赴いております。いま時分はとうに揚陸の準備ができておりましょう。陸軍大臣は言った。閣下、わが軍はたくさん戦車を用意いたしました。歩兵は言うに及ばずです、練度も装備も申し分ございません! 空軍大臣は言った。閣下、近代戦はなんと言っても速度であります。船よりも戦車よりも戦闘機は速 うございますよ。爆撃の位置も標的もコンピューターが厳密に管理しております。軍務大臣たちは磊落 に笑いあい、競いあうかのように大統領に話しかけた。うむ、うむ、諸君の尽力は察するに余りある、どの一人をも特別扱いしないように顔の向きに気を配りながら、大統領は言った。くれぐれも手抜かりのないようにやってくれたまえ、いくら相手がならずものであるとはいえ、これは人の生死に関わることなのだからな。三軍の大臣たちが退出したあと、大統領はどっと疲れた気分になった。このままゆっくりぬるい風呂に入れたらなあ……。しかし、秘書官は正確に大統領の時間を律していた。財務大臣が訪れ、議会での承認通りに戦費が執行されることを確約していった。科学技術大臣が訪れ、わが国の新型戦闘機を実戦投入できる喜びを伝えにきた。昼食前には、つめかけた報道陣のカメラの前に立たなければならなかった。ひどく緊張していたが、大統領は幾度も練習したように、能 うかぎりの威厳を添えて述べた。このたびの戦争が不可避の判断であり、国権の最高機関たる議会でも圧倒的な賛成を以て承認されているということを。敵国はわが国に仇なすのみならず世界秩序をも脅かすならずものどもであり、平和に挑まんとする邪悪な力は必ずや手痛く報いられるであろうということを。今まさに戦地に赴いている兵士たちは国家的英雄であり、全国民からの敬意と激励が寄せられるべきであるということを。昨日の勅令をなぞりなおしたに過ぎない内容ではあったが、くたびれきってようやくついた昼食の席でテレビをつけると、報道陣の前のわがすがたは、すでに画面の中に映っていた。世界情勢ノ急速ナル変化ニ鑑ミ此ノ度ノ勅令ヲ発スルニアタリ余ハ……。大統領は顔をしかめた。どうしておれは、マイクを前にすると背を丸めるクセが直らないんだろう。いくども足を踏みかえているが、あれは、かかとの高い靴を履いたせいだろうか。ああ、そこは、そここそは、な、ら、ず、も、の、その言葉こそはそんな上ずった調子じゃなくて、もっと明瞭に、雄々しく響かせるべきだったんだ……。大統領はすっかり食欲が失せてしまった。半分以上を皿に残したままぬるいお茶をすすっていると、秘書官が興奮ぎみに入ってきた。閣下、謹んでご報告申し上げます。朗報です。ただいまのニュースは視聴率が八十パーセントを超えました。同時に行われました世論調査では、九十パーセントもの有権者が開戦を支持しております。なんと、それは本当なのかね? いぶかしむ大統領に秘書官が携帯端末を示せば、回線を通じていくつものニュースが展開されていた。開戦を支持する各国首脳の談話。街頭インタビューで興奮を隠さない群衆たち。凛々しい顔で戦闘機へと乗り込んでゆく柳眉涼しき兵士たち。いたるところで、膨大な数の人間たちが、こぞって戦争のしらせを喜んでいた。いくつかの画面を流し見ながら、大統領はすっかりはればれとした気分になった。ああ、よかった。まちがっていなかったのだ。大統領はのこりの昼食を平らげてしまい、午後の政務にも喜ばしげな顔で臨んだ。電話も来客もひっきりなしだったが、疲労すら心地よいと感じられた。折しも夏の終わるころだった。夕暮れが近くなれば、海からの風が強く吹いて公邸の庭木がざわざわと音をたてた。秘書官が現れて告げた。閣下、今宵は政務三役に幹事長を交えて会食の予定がございます。うむ、そうか。そうだったな。大統領はとたんに不安な気持ちになった。ついさきごろ電話で言葉を交わした人間たちではあったが、実際に顔をあわせて話をするのは憂鬱だった。面と向かって悪いことを言うはずもない、おべんちゃらにもお追従にも慣れっこだ。だけど、美辞麗句を連ねたあとで相手がふと言葉を切る、ほんのちょっと目を反らす、そのしぐさがおそろしかった。その目には本当にはどんな色が浮かび、まばたきや口元のゆがみにどんな感情が現れ出ているのか、そのことだけは決してうかがい知ることができなかったからだ。閣下、週明けからは議会です。しばらくお忙しくなりまで、くれぐれも連絡を密にして参りましょう。秘書官は浮かない顔の大統領が執務室を出るときにショウガ味のキャンディをそっとポケットに滑り込ませた。黒塗りの公用車が玄関前に横付けにされていて大統領が乗り込むと音もなく滑り出したが、いつものように正門ではなく裏門へと回った。秘書官はなにも言わなかったが、大統領にはわかっていた。車が公邸裏の細い街路をそっと曲がったとき、ずっと向こうの四つ角にほんの一瞬、隊列を組む群衆が警官隊に追い立てられているようすが見えた。大統領は悲しい気持ちになった。なぜ、あいつらは、この壮挙を喜んでくれないのだろう? おれがこれほど言葉を尽くしてきたというのに、どうして、この偉大なるできごとを理解してくれないのだろう? 大統領はリアシートに深く身を沈めた。政治家どもにおべっかを使われるよりも、あいつらがおれの偉業を褒め称えてくれたら、どんなにしあわせな気分になれるだろうと思った。銀座から築地でようございますか、運転手が訊いてきた。汐留から回ってくれ、秘書官が答えた。公用車は街道からトンネルをくぐり、まばゆく輝いて屹立する摩天楼の谷間を走った。大統領はうっとりと光りのまちを見上げた。なんと美しいのだろう、と大統領は思った。この栄華を、光輝を、永遠のものとせねばならぬ。それこそが、おれに課せられた使命なのだ。願わくば……。大統領は、とつぜん冷たい水しぶきが顔にかかったような気持ちになった。折しも車は駅前広場に出たところだった。広場に相対してビルが掲げる電光掲示板に、巨大な文字が光芒を放ってゆっくりと流れていった。開、戦、に、反、対、す、る、抗、議、行、動、各、地、で、相、次、ぐ……。
大統領は公邸で目覚めた。長いあいだ私邸には帰っていなかった。執務室に入ればすでに机の上に本日の新聞とミルクをたっぷり入れたコーヒーが用意されていた。新聞は一面を丸ごと使って戦争の展開を伝えていた。読もうとしても目は上滑りしてしまったが、わが方の勢いが破竹であることはまちがいがないように思われた。海からも空からも陸からも兵士たちは続々と進撃しているらしい。砲塔を連ねて走る戦車の写真に、思わず大統領は胸が熱くなった。なんと雄々しいのだろう。なんと勇猛なのだろう。願わくば、このまままっすぐに敵方の首府まで進撃し、邪悪な勢力を打ち破らんことを! 大統領の興奮は、やがてかかってきた三軍の司令官からの電話によって水を差された。陸軍大臣は言った。閣下、わが軍の戦車は敵国の国境五十キロメートルに迫っております。海軍大臣は言った。閣下、わが軍の戦艦は敵国の主要港を封鎖いたしました。おまけに潜水艦を一艘拿捕しております。空軍大臣は言った。閣下、第一次の空爆は成功裏に終わりました。なに、ほんの肩慣らしですよ。大統領は電話のむこうに悟られないようにそっとため息をついた。大臣たちが最後に言うことは決まっていたからだ。閣下、戦力の逐次投入は得策ではありません。より電撃的に、より大規模に、より多くの兵器を、もっとたくさんの資金を! 金ばかりは本当に困った問題だった。潤沢な予算を確保してはいたが、頑固ものの財務大臣がこれ以上の増額に応じるとは思えなかった。熱狂的に戦争を支持する人間でさえも身銭を切ることばかりは渋ったから、うかつに税金を増やせば不満が湧き上がるであろうことは目に見えていた。大統領はまたもため息をついた。いったいどういうおつもりなのですか! 議場に響き渡る声が頭の中によみがえってきた。反戦はわが国の国是だったではありませんか。仄聞 するところによれば、すでに地上部隊は大規模な交戦を経験し、民間人にも被害が出ているとか。これはわが国の権益保持という大義名分を大幅に超えた侵略であると断じざるを得ません。野党の女性議員、ちいとばかりトウは立っちゃいるが、いい女なのに、なんでああガミガミ口うるさく言うんだろう? とてもじゃないが、あれじゃ素直にうなずくわけにゃいかないじゃないか。大統領は肩を叩かれて顔を上げた。議長から指名を受けているのに気が付かなかったからだ。ああ、その、議員諸君、大統領は言った。できるだけ威厳を添えて、背中を丸めないように気を遣いながら。今回の決定が国権の最高機関たる本議会において圧倒的多数により可決されたことは、周知のことでありましょう。それをあとからイヤだのなんだのとゴネるのは、どうも、駄々っ子のようでよくありませんな。いったん決めたことを後から覆そうとするのは、世のご婦人方に多く見受けられるようだ。ちがいますかな男性諸君。議場のあちこちからくすくす笑いが漏れた。そうだそうだぁ、合いの手の声が上がった。とにかくだ、いったん開かれた戦端をすぐさま閉じるわけには参りません。議員諸君、われらの責務は、貴くも全線で軍務に身を投じている兵士諸君に報い、わが軍の圧倒的な勝利を以て平和裡な終戦に至るよう、あらゆる助力を惜しまないことでありますぞ。幸いなことに、目下のところわが軍は破竹の勢いで進撃をつづけており、旭日昇天の勢いであります。この分では兵士たちはクリスマスまでには帰国し、戦場の手柄をみやげばなしにできるでありましょう。言い終わらないうちから万雷の拍手が起きた。大統領は片手を挙げて声援に応え、ぐるりを見回して腰をかけたとき、さっきの女性議員がこちらをにらみつけているのがちらりと視界のすみをかすめた。高揚した気分が、たちどころに冷え込んでいった。それは女性議員の怒りがあからさまだったからではなく、その目つきが大統領の妻を思わせたからだった。昔からそうだ、あいつは、おれがちょっと他愛ない冗談を言っただけでも教養がないだの深慮に欠けるだのとひどいことを言ったものだが、このところは口もきかない、ただ、黙ってあんな目をしやがるんだ。ああ、いやだ、大統領は思った。このところ顔を合わせることも少なくなったが、今宵のパーティーには奥方を同伴しなければならない。当世なかなかこれだけの人を集めるのも難しいですからね、と秘書官は言った。戦時体制を盤石にするのは、支持者や政財界の固い結束です。大統領はまたも憂鬱な気持ちになったが、こういったときにかぎっては、彼女はむしろファーストレディとしての役回りを完璧にこなすのである。都内最大のホテルの最大のホールを借り切った宴席で、つめかけた来賓に要人に関係者に馬の骨たちを、大統領夫人は完璧な笑顔で遇した。閣下、まことにご英断でありましたな、大手商社の社長が近づいてきて満面の笑みを浮かべた。わたくしどもはしがない商人に過ぎませんが、わずかなれども祖国の戦いにご助力できることはなによりの喜びですよ。まことその通りでございます、大手自動車会社の社長もうなずいた。輜重 は戦争に欠くべからざるものですからな。弊社も勝利のためにはお力添えを惜しみません。これは歴史に残る壮挙ですぞ、名高い法学者の教授が固い握手を求めてきて、大統領は思わず顔が上気した。本邦の年譜に大書されるであろう偉業であります。歴史に! 年譜に! そこには、ひょっとすると、このおれの名前も添えられるんだろうか? しかし、あえてそれを質 す勇気はなかった。まるで太陽を見つめてしまったときのように、大統領はあわてて目を伏せた。大統領閣下におかれましては誠にご機嫌麗しく、とても上手な日本語を操るのは、非公式に参席した同盟国の駐日大使であった。わが国と日本の友好は永遠 であります! かんぱい! 大使は上機嫌に乾杯したので、大統領も口を付けざるを得なかった。この年になるまで酒をおいしいと思ったことはなかった。本当ならばサイダーかジンジャーエールの方がよほど好きなのだが、そんなものは国家元首にふさわしからぬとも思っていた。やむなくワインをちびちびやっていると、与党幹事長がやってきて大声で笑った。閣下、本日の議会はなかなか痛快でしたな。ああいう無礼な女にはピシャリと言ってやるべきですな。そうかね、大統領はつぶやいた。思い返してもあまり愉快な気分になれなかった。わたしは、あのような女性の意見も汲み上げて国体の礎と為すことが、われわれの責務と考えているんだがな。大統領がつぶやくと幹事長の顔には戸惑ったような表情が浮かんだが、すぐさま大仰な笑みに覆い隠された。まこと、仰るとおりでございますな! 閣下のご海容には感じ入るばかりでございます! 諂 いを聞きながら、大統領が盗み見ていたのは、かたわらに控える幹事長の奥方だった。ああいうことを言えば、おれは女性にも理解のある男だと思われただろうか? 幾度も顔を合わせてはいたが、きりりと和服で装うのを見るのは初めてのことだ。謎めいた微笑、黒く澄んだ瞳、ぽってりと厚くかたちのよいくちびる、慎ましくも機知に富んだ受け答え、どうしてこういう女がおれの人生にはあらわれなかったのだろう。若いころのことを思いだそうとしたが、それは外国のように遠く感じられた。おぼろげにかすむ遠いところで浮かび上がってくるのは、いつだって誠実に熱心にふるまってきたはずのおのれが姿であり、女という女のあいまいな笑みやそっけない言葉、目もとやくちびるの端にひらめく冷笑ばかりであって、どうしてなのだ、女たちよ、だれひとりとしてわが正真からの熱意に応えてくれることはなかったのだ、あの大恩ある人がお膳立てしてくれた縁談がおれに許されたたった一つの運命だったとでもいうのか、女たちよ? 幹事長、もう行ってしまうのか、ひらりと身をひるがえして去っていく和服には萩の花が咲き乱れていて、見事なものだ、うつくしい、間近い秋にぴったりではないか、どうしておれのところには一人として、ああいう女が現れてくれなかったのだろう? 茫然と立ちずさむ大統領のところに中堅どころの議員がやってきて言った。閣下、まことに恐れ入りますが、私の国元で世話になっております後援会会長をご紹介させていただきたく存じます。テレビ局の役員がやってきて言った。閣下、わが局の若手キャスターをご紹介申し上げます、このたびの戦況を伝える番組の専属となりましたもので、ぜひ、ご挨拶を。広告代理店の社長が引き連れてきたのは一個師団にも及ぼうかという女の子たちだった。閣下、彼女たちもなかなかしっかりしておりましてね、歌うの踊るのだけじゃありませんぞ、祖国の大局を若いなりによぉく理解しておるのですよ。なにしろ若い国民に訴えかけるには彼女たちのようなフレッシュな感性が必要ですからなあ! 大統領様、お会いできて本当にうれしいです、女の子の一人が目をうるませながら手を握ってきた。わたしも光栄だよ、そう言いながら、もしもおれに子供がいたとしてもこの子よりも年上だったのだろうなと大統領は思った。実家ではみんな大統領閣下のファンなんです、また一人の女の子はそんなことを言った。ぜひよろしく伝えてくれたまえ、大統領は言った。握手してもらってもいいですか? 一緒に写真を撮ってもいいですか? お願いします、ハンカチにサインしてください! いつしかカメラがかたわらに寄っていて、遠からず全国へと流れるであろう映像を刻々と記録していた。ああ、いいともいいとも、一人一人に気前よく返事をしながら、大統領にはとっくに一人一人の見分けなどつかなくなっていた。おずおずと手をさしのべてきた娘はひときわ若く、先生、大統領先生、もしも差し支えなければ教えてください、その声はほとんど子供のように甲高く響いた。もちろんだよ、なんでも、訊いてくれてかまわないんだよ。いささか痛ましい気分にとらわれながら大統領はあらためて娘を見つめた。娘どころか孫がいたとしても、この子よりも年上なのだろうな、そんな想像をしながら。ありがとうございます、本当にありがとうございます、娘はおずおずと言った。大統領先生、それでは、その、教えて欲しいんですが……。戦争は、いつ、終わるのでしょうか? 私のお兄ちゃんが戦艦に乗って、いま、戦争に行っているんです。
遠い大陸では秋の長雨が降り続いていた。新聞はあいかわらず一面を割いて戦況を伝えていたが、一進一退、長く伸びきった前線にはほとんど動きがなく、それが今日の新聞なのかはたまた昨日のものを間違えて読んでしまったのか区別がつかなかった。熱心に半分ほども読んだ新聞が一週間前のものであることに気づき、大統領は癇癪を起こしそうになった。どうしてこんなことになるのだ! 陸軍大臣は言った。遺憾きわまりないことです、当方の戦力を十といたしますと敵方は十一の戦力を以て応えて参ります。なにしろ連中の頭数ばかりは勝っておりますからな。わが方の兵士たちの士気も練度も申し分ないというのに、ひょうろく玉だらけの人海戦術に押されるとは、慚愧の念に堪えません。海軍大臣は言った。なにぶん敵方は卑劣なのです、戦艦に小舟で体当たりを仕掛け、夜の闇に乗じて急襲を試みて参ります。このような、倫理に悖 る連中を相手に人間らしくふるまうのは、容易なことではございません。空軍大臣は言った。申し上げにくいことですが、閣下、戦闘機の数がどうしても足りません。戦闘機一機の航続距離は一定ですが、戦端が二倍となれば飛行距離も二倍に伸びるのです。大統領はうんざりした。三軍の大臣を追い払ったあとで秘書官を呼び、あれをなんとかしておけと命じた。執務机の上には新聞が堆 く積まれ、その表面をうっすら埃が覆っていた。おびただしい量の新聞紙が執務室から追い払われて大統領は心底せいせいした気分になったが、遠い大陸で降りしきる秋雨はやむ気配を見せなかった。戦車もトラックも毛布も、あらゆるものが濡れた。短い晴れ間には湿気のあいだで菌類が繁殖し、胞子を飛ばした。カビは兵士たちの股ぐらにまで及び、爪のあいだをも覆った。いったいどういった手違いでか、カビに表面を覆われた缶詰の写真が伝わるところとなり、テレビではつまらない詮索が行われた。数週間で和平交渉へ持ち込めるというのが当初の見通しだったはずですが、どうしてしまったんでしょうね。缶詰にカビが生えるほどの期間になるとは! いやいや、これは大陸の風土のせいじゃないんですか。障気が多い不潔な土地だから、清潔なものを持って行ってもみんなだめになっちゃうんでしょ。それにしたところで、見通しが欲しいじゃないですか。本当に、わが軍は一人の犠牲者も出していないんでしょうか。この戦争は、いったいいつまで続くんでしょうね? 大統領はテレビを消した。ばかどもが、無能どもが、勝手なことを言いくさって。あの若造のキャスターめ、握手して激励までしてやったというのに、あの言いぐさか。閣下、ここはお平らに、秘書官は言った。今どきテレビばかりがメディアではありますまい。言いたいやつらには言わせておけばいいのです。これはあくまでわたくしの腹案ですが、いかなるものごとであっても複数の面がございます。良い面もあれば悪い面もあり、それを一面からだけ言い立てるのは片手落ちというものです。ウム、そうだ、その通りだ。そういったバランスが重要と思いますので、多少アレンジをしてみようと思います。ふむ、アレンジ。ああ、アレンジのことか。実に、アレンジは重要だな。ではそのあたり、よろしく頼む。大統領は重々しくうなずいて言った。そうでした、それから閣下、ご報告がございます。三軍の司令部より連絡将官 設置の連絡がございました。これにて軍務大臣の負担も軽減されるでしょう、そう秘書官は言い、大統領は文字どおり手を打って喜んだ。おお、それは、待ちわびていた! これは大統領たっての希望だった。戦端が広がるにつれて大臣たちの報告は多く、要求は多く、下さねばならぬ決断はみるみる積み上がっていった。とても一つ一つを真面目に取り合ってはいられないというのが大統領の本音だった。せめて若い将官ならば御しやすかろうと踏んでのことだったが、じっさい、その通りになった。大統領の方から居丈高に問えば、将官たちはすっかり恐れ入ってしまう。敵国の海上を全面封鎖するはずであったが、どうなったのかね。これだけ空爆を続けても第二の都市が落ちないとはどういうことだ? いえ、その、不測の事態が多うございまして……、なにぶん補給路の確保が困難であれば……。すごすごと肩を落として公邸を退散する将官たちを見て、奇妙にも、大統領は胸がすくような思いがした。まったく無能どもめ、これだからいかんのだ。そうつぶやいてもみたが、誰がどのように無能なのかはあまり考えていなかった。大統領が常日ごろ思うことは、おれの考えと同じことをほかの連中も考えていてくれればいいのに、ということであった。そうすれば、いちいちおれが考えなくたっていいのに。おれよりも口の達者なだれかがおれのかわりに、おれの考えていることをきちんと説明してくれるだろう。そうすればおれは、だれかが考えているおれ自身の考えに賛成し、安心して裁可を下すことができるというのに。閣下、ご安心ください、そう秘書官は言った。今どきテレビばかりがメディアではございませんからね。たとえばこちらの、インターネット上の意見ですが……。秘書官は細く長い指先で、なめらかに携帯端末を操った。その手さばきをほれぼれと眺めてはいたが、液晶画面の上に踊る小さな文字は老いた目には曖昧だった。ごらんください閣下、これほど多くの国民たちが閣下を支持しております。ごらんください閣下、これは先日のテレビキャスターへの批判です。ああいった一方的な、わるいことばかりを伝えるのは無能であるばかりでなく悪辣な企みを腹蔵しているに違いないとみなが申しております。ごらんください閣下、これは軍事に卓越した知識を持つ若者の書いたブログです。このたびの戦争が不可避かつ英明な選択であることを力強く弁じたてたうえで、つい昨日までの戦況をことこまかに解き明かしております。大統領はうなずいたが、秘書官の説くことがすべて理解できているわけではなかった。つまり、その、かいつまんで言えば、わが国は間違っていないということかね。ええ、もちろんでございます。わが軍は勝っているということか。ええ、もちろんでございます。おお、そうか、それは……。なんと、めでたいことだろう! 喜びが湧き上がってきた。たとえようもない安堵だった。興奮のあまり大統領は思いがけないことを口走った。どうだね、こういった愛国心に満ちた若者を宣伝に用いては。ろくでもないことばかり報じようとする新聞やテレビより、どれほど有益かわかるまい。珍しいことに秘書官はしばらく黙っていたが、なるほどとつぶやいた。閣下、妙案でございます。ちょっとアレンジをしてみましょう。このことじたいがすばらしい広報戦略になるかもしれません。つまり、多少閣下のお手を煩わせることとなりますが……。
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瀬川 深
翌朝の新聞は予定通りに
大統領は公邸で目覚めた。長いあいだ私邸には帰っていなかった。執務室に入ればすでに机の上に本日の新聞とミルクをたっぷり入れたコーヒーが用意されていた。新聞は一面を丸ごと使って戦争の展開を伝えていた。読もうとしても目は上滑りしてしまったが、わが方の勢いが破竹であることはまちがいがないように思われた。海からも空からも陸からも兵士たちは続々と進撃しているらしい。砲塔を連ねて走る戦車の写真に、思わず大統領は胸が熱くなった。なんと雄々しいのだろう。なんと勇猛なのだろう。願わくば、このまままっすぐに敵方の首府まで進撃し、邪悪な勢力を打ち破らんことを! 大統領の興奮は、やがてかかってきた三軍の司令官からの電話によって水を差された。陸軍大臣は言った。閣下、わが軍の戦車は敵国の国境五十キロメートルに迫っております。海軍大臣は言った。閣下、わが軍の戦艦は敵国の主要港を封鎖いたしました。おまけに潜水艦を一艘拿捕しております。空軍大臣は言った。閣下、第一次の空爆は成功裏に終わりました。なに、ほんの肩慣らしですよ。大統領は電話のむこうに悟られないようにそっとため息をついた。大臣たちが最後に言うことは決まっていたからだ。閣下、戦力の逐次投入は得策ではありません。より電撃的に、より大規模に、より多くの兵器を、もっとたくさんの資金を! 金ばかりは本当に困った問題だった。潤沢な予算を確保してはいたが、頑固ものの財務大臣がこれ以上の増額に応じるとは思えなかった。熱狂的に戦争を支持する人間でさえも身銭を切ることばかりは渋ったから、うかつに税金を増やせば不満が湧き上がるであろうことは目に見えていた。大統領はまたもため息をついた。いったいどういうおつもりなのですか! 議場に響き渡る声が頭の中によみがえってきた。反戦はわが国の国是だったではありませんか。
遠い大陸では秋の長雨が降り続いていた。新聞はあいかわらず一面を割いて戦況を伝えていたが、一進一退、長く伸びきった前線にはほとんど動きがなく、それが今日の新聞なのかはたまた昨日のものを間違えて読んでしまったのか区別がつかなかった。熱心に半分ほども読んだ新聞が一週間前のものであることに気づき、大統領は癇癪を起こしそうになった。どうしてこんなことになるのだ! 陸軍大臣は言った。遺憾きわまりないことです、当方の戦力を十といたしますと敵方は十一の戦力を以て応えて参ります。なにしろ連中の頭数ばかりは勝っておりますからな。わが方の兵士たちの士気も練度も申し分ないというのに、ひょうろく玉だらけの人海戦術に押されるとは、慚愧の念に堪えません。海軍大臣は言った。なにぶん敵方は卑劣なのです、戦艦に小舟で体当たりを仕掛け、夜の闇に乗じて急襲を試みて参ります。このような、倫理に
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2015年の夏の終わりのこと、無為徒食の日々を送っていた27歳のフリーター青年、原陽一郎は、自分がSoyysoyaなる巨大な食物流通会社のCOE, コウイチロウ・ハラという日系人の遺産管財人に指定されていたことを知る。どうして自分のようなうだつの上がらない若無職を? コウイチロウ老人は本当に自分の縁者なのか?
陽一郎の探求は自分自身の出自を遡り、東北・岩手県の来歴を探り、満州へ南米へと新天地を求めた移民たちの歴史を辿る。彼の探求は図らずも東北や日本の歴史を描き出し、日本の農政や食糧事情、さらにはグローバル化し巨大化する一方の世界の食のありかたにまで広がってゆく。
ものがたりを貫く縦糸は大豆である。日本の食を支えてきた慎ましやかな裏方、満州経済を支えた原動力、そして今日では食用に、飼料に、工業原料にと、八面六臂の活躍を見せる万能の種子。そしてSoyysoyaもまた、パラグアイの日系移民によって設立された大豆出荷組合を前身として成長してきた世界企業なのである。
Soyysoyaとはいかなる存在なのか。穏当な穀物メジャーに過ぎないのか、はたまた秘められた野望を抱く巨大な存在なのか。そのシンボルとする「イグリエガ・ドブレ」の紋章に込められた意味は? 大豆はいったいなにを語るのか? ものがたりは時空を超えて語られてゆく……。
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3月10日、筑摩書房より書下ろしの長編、「SOY! 大いなる豆の物語」が刊行されました。執筆5年、1200枚超の大作(当社比)です。光栄なことには、推薦文は池澤夏樹先生に頂戴しました! 本文はともかく帯には確実に価値があるよ!!!
上述のようにまことに奇妙な物語であり、書き手のくわだてが巧く結実しているのかどうか、その点はまことに心もとないのなのですが、少なくとも体力があるうちにできるだけの無茶をしておこうという考えのもと、無謀と蛮勇だけはふんだんに詰めこんだ書物であると思います。自信作であると、控えめに申し上げてよいかもしれません。
ボールが当たってるのかどうかはともかく、バットのフルスイングぶりについては肉離れ級であると自負しております。ホームラン級のデッドボールになっているとすればそれはそれで悔いはございません。皆様何卒ご一読くださいますよう、よろしくお願いいたします。
以下、ご興味をひきますかどうか、やけくそ気味にキーワードを列挙しておきますです。大豆、ニート、同人ゲーム、パックマン、東北新幹線、穀物メジャー、ブラジル、パラグアイ、コウイチロウ・ハラ、雑穀、入会権闘争、軍馬育成、凶作、東北大学、歯学部、東日本大震災、河野広中、自由民権運動、戦後民主主義、満州移民、満鉄、狭軌鉄道、コミケ、ビックサイト、筑波大学、関税撤廃問題、営農団体、ファストフード、スローフード、地産池消、茨城県南部、南米移民、深夜アニメ、匿名掲示板、大衆演劇、国性爺合戦、モーションキャプチャー、近松門左衛門、長谷川伸、ストロエスネル、明治天皇、阿弖流為、源義経、豊臣秀吉、戊辰戦争、図書館、インターネット、加藤寛治、ボルヘス、拒食症、メガデータ、我樂多樂團、安居酒屋、沖縄、200カイリ問題、代用魚、ずんだもち。
なんかもう発狂しそうになってきたのでこの辺で…。
陽一郎の探求は自分自身の出自を遡り、東北・岩手県の来歴を探り、満州へ南米へと新天地を求めた移民たちの歴史を辿る。彼の探求は図らずも東北や日本の歴史を描き出し、日本の農政や食糧事情、さらにはグローバル化し巨大化する一方の世界の食のありかたにまで広がってゆく。
ものがたりを貫く縦糸は大豆である。日本の食を支えてきた慎ましやかな裏方、満州経済を支えた原動力、そして今日では食用に、飼料に、工業原料にと、八面六臂の活躍を見せる万能の種子。そしてSoyysoyaもまた、パラグアイの日系移民によって設立された大豆出荷組合を前身として成長してきた世界企業なのである。
Soyysoyaとはいかなる存在なのか。穏当な穀物メジャーに過ぎないのか、はたまた秘められた野望を抱く巨大な存在なのか。そのシンボルとする「イグリエガ・ドブレ」の紋章に込められた意味は? 大豆はいったいなにを語るのか? ものがたりは時空を超えて語られてゆく……。
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3月10日、筑摩書房より書下ろしの長編、「SOY! 大いなる豆の物語」が刊行されました。執筆5年、1200枚超の大作(当社比)です。光栄なことには、推薦文は池澤夏樹先生に頂戴しました! 本文はともかく帯には確実に価値があるよ!!!
上述のようにまことに奇妙な物語であり、書き手のくわだてが巧く結実しているのかどうか、その点はまことに心もとないのなのですが、少なくとも体力があるうちにできるだけの無茶をしておこうという考えのもと、無謀と蛮勇だけはふんだんに詰めこんだ書物であると思います。自信作であると、控えめに申し上げてよいかもしれません。
ボールが当たってるのかどうかはともかく、バットのフルスイングぶりについては肉離れ級であると自負しております。ホームラン級のデッドボールになっているとすればそれはそれで悔いはございません。皆様何卒ご一読くださいますよう、よろしくお願いいたします。
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なんかもう発狂しそうになってきたのでこの辺で…。
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