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セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

  地球の裏側の日本国では、昨今、若い連中が街頭でデモやっているらしい。インターネッツのおかげでそういうこともリアルタイムで実感ができてまことに善き時代ではある。このことについて思うところがあったので、少し長くなるが書く。


  アラフォーな僕は特に社会的理想を高く掲げたような世代じゃない。しかし自分の高校時代を顧みると、受動的ではあれ、実に幸運な時代の風を感じられた世代ではあったのだと思う。
  僕は、中学入学が86年、高校入学が89年、大学92年という世代。これはつまり、10代がピタリ冷戦の終結期に重なったのだ。これはわりと凄いことだったと思う。なんかオッカナイ国だったソ連でバタバタ最高指導者が亡くなり、ゴルバチョフという若い指導者が率直に語り出した。アレは驚いた。レーガンとゴルビーがレイキャビクで会談したのは86年だっけか。どっちももはや無い袖振れない台所事情だなんて揶揄は当時からされてたけど、数年前にSDIなんていってたこと思えば大変化だ。「なんだよあいつらも話せば分かるじゃん」な変化が可視化された時代だったと思う。それも劇的に。


  高校のときの変化はもっと凄くて、89年には汎ヨーロッパピクニックがあってベルリンでデモが頻発して、あれよあれよという間に「壁」が壊れてしまった。中学校の時は勉強して受験に備えたのに。バルト三国での独立運動が盛んになり、戦車と銃弾も翻意させるには至らず、遂にソ連から一足先に独立してしまった。ホーネッカーがゴルビーに見限られたりワレサが大統領になったり、チャウシェスクが吊されたりした。
  もちろんいいことばかりではなく、86年のチェルノブイリに88年のミャンマー軍政に89年の天安門、ことに東アジアの動きは自由とはほど遠い暗さがあったけれど、それでも韓国北朝鮮が電撃的に国連に加盟し、あげく中国と国交を結んだりした。これは本当に驚くべきことだったんですよ。
  血もたくさん流れた。激動の時代だった。お陰で僕は新聞を毎日読む習慣が付いた。この動きはついには、ソ連の崩壊という信じがたい事態で一区切りを付けるのだけど……。


  さて国内に目を向ければ、まことに矮小ではあるのだが、バブルの狂乱の裏でリクルートだの佐川だのと55年体制の覇者であった自民党が自壊し続け、ついには単独与党を維持できなくなってしまう。現状の救いがたさを思うに、良かったかどうかまことに悩ましいけれど、それでも、「これすら変化するのだ」という驚きはあった。


  こういう疾風怒濤が人生でもっとも多感な時期の遠景であったというのは、顧みればやはり幸運だったと言わざるを得ない。驚天動地の連続が10代の僕に接種したのは、「おそらく世の中は今よりも良くなるに違いない」という、要は未来への希望だった。もちろんそれは90年代のバルカンや東アフリカなどで苦く裏切られるんだけど、それでも、「ダメだと思ってたことが変化する」という驚きと感動は、ものごとに対する抗体みたいなものになって今も体内に残っている。
  その後もお定まりに社会に放り出されてままならぬこともたんまり経験して見事に肥ったつまらんオッサンにはなったけど、「それは変化できる」という信条みたいなものはしぶとく埋火となって消えようとしない。これがいいことかどうかもまた難しいところで、いい年扱いてあきらめが悪く「ねぇもう一回ぐらいやってみたら今度はうまくいくんじゃないかなぁ…」と未練がましい人生運営を続けてはいるのだが、幸いにして、「マこんなもんでしょ、これが現実」と割り切る思想だけは身につかずに済んだ。幸運だ。


  さて、長い長い回顧のあとに2015年に目を戻せば、かつて僕が若かったときと同じぐらい若い連中が街頭でデモやったりしているそうな。驚きだ。僕がベルリンやヴィリニュスの若者に見ていたようなものが東京に出現したとは。本当に驚くべきことだ。これは本当に日本のことなんだろうか?
  僕は集団自衛権法案aka戦争法案に反対だけど、その点で彼らと同調できるかどうかは知らない。彼らのロジックや意見、詳しく知らないし、実のところあまり興味もない。僕にとっては、徴兵制も日本の開戦もあんまりリアルな心配事じゃない。クソみたいな無駄遣いの根拠になるだろうということがいちばんの反対の理由だ。それに、馬鹿げた軍事アクションを拒絶できるほど利口とも思えない、日本の政治家だの軍の偉いさんにコマにされる兵隊が気の毒でね。ズサンな人殺しのアウトソーシングに平気で首肯できるほど人でなしではないつもりなので。


  だけど、にも関わらず、彼らが自分たちの未来に希望を見いだそうと示威行動を選択したのならば、僕はそれを嗤う気には毛頭なれない。僕がかつて東欧やソ連の未来に思いを馳せ「今よりも良くなるに違いない」と信じていたのと彼らの心象はたぶん変わるまい。その点だけは、僭越ながら、信じている。


  若い皆さん、成功も勝利も祈りはしません。オッサンの繰り言も読む必要なんかありません。ただ、幸運を祈っています。なにかが必ず今よりも良くなりますように!
@SEALDs_jpn

(FB投稿の再掲)
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新年明けましておめでとうございます。


もはや豪快に放りっぱなしの当ブログですが、
ご承知の通り日々の駄法螺はツイッターに全面移行しております。
文筆関連の通知はこちらでも行ってゆきますので、何卒よしなに。


まだ確定的なことは言えないんですが、
昨年よりは多少皆様にお目見えする機会も増えるかと思います。
その都度告知してゆきますので、どうぞよろしくお願いいたします。


今年の年賀状はこちらです。
2013年が皆様にとってよい年でありますように。
あと自分にとっても。


年賀状2013_small
 「芸術新潮」2003年9月号において、四方田犬彦さんが連載「あの人のボナペティ」で歌人・斎藤茂吉の熱狂的なウナギ好きについて紹介している。これじたい大変面白い記事なので一読をお勧めしたいけれど、ここで紹介したいのは、冒頭の一文。
「なにしろこの国(=日本)は、たった一種類の魚の料理だけのレストランが全国津々浦々に渡って存在するという、特異な国だからだ。」

 まことにその通り、よく考えてみれば、鰻屋というのは非常に不思議な業態である。扱う魚種は一種類のみ、料理方法もごく限られている。にもかかわらず、これがどこか特定の地域の名物料理などというのではなく、おおむねあるていどの規模の街ならば、まず一軒ぐらいは確実に鰻屋は存在するのだ。


 ここで、記憶を昭和の末期に戻してみる。子供のころから、僕はウナギが大好物だった。鰻重というのは、なんというかその、それはそれは美味しいものだったのである。
 そしてまた、ウナギとは滅多に食べられるものでもなかった。それはおおむねお盆とか法事とか、親類が集まったときなどに、たしか盛岡市鉈屋町にあった「かわ広」から厳かに仕出されてくるものであって、要するにウナギとはまったく特別な、ハレの日の食べ物だったのである。
 こういう状態は、おそらく、元号がかわってしばらくまで続いたように思う。90年代初頭に上京して一人暮らしをしたころにはまだ、ウナギとは、確かに特別な食べ物だったはずだ。
 

 しかし、あれはいつごろのことだっただろう? 大学時代から地味に自炊をしていたのでスーパーの鮮魚コーナーもときおりぶらつくことがあったのだが、そこでえらく安いウナギを目にしたのは。たしか蒲焼きの一パックが780円ていどで、それは、当時の感覚からすれば破壊的に安い値段だった。当時の自分にとっては、ウナギとは、どうやっても1000円を下回らない食べ物だったからだ。
 しかし、そういう売られかたをするウナギを目にすることがだんだん増えてきて、ついに安売りのウナギを一パッケ買ってきて、あぁ貧乏学生でも鰻丼を食えるようになるとはありがたい世の中になったモノだ、そんな風に慨嘆したころには、二十世紀も終わりに近づいていたのではなかったっけか。世紀をまたいで気がついてみれば、なんとウナギは、ずいぶんあちこちで目にするようになってしまった。しかも、ひどく安く。ロードサイドの牛丼屋で鰻丼が食えるなどと、一年にほぼ一度の鰻重を心待ちにしていた小学校の頃の自分は想像できただろうか? なにしろその鰻丼一杯がワンコイン、小学校五年生当時の自分のお小遣い(=500円/月)でも賄える価格なのだから。


 なぜ、こうなってしまったのだろう? 詳しいことは知らない。大雑把に理解するところは、ウナギの養殖を海外にアウトソーシングすることで、安いウナギの販路が確立されたということだ。それはおそらく、1パック780円のウナギに驚喜していた貧乏学生の時分におおむね一致する時期ではなかっただろうか。
 結果としてウナギは、専門店の専門的な料理の枠をはみ出してしまった。牛丼屋で牛丼と並べて供され、コンビニでまで販売され、スーパーで1パック398円でセールの目玉にされる魚になってしまった。
 それがいいことだったのかどうか?
 僕は否定的な気分にしかなれない。この消費のされ方は、なにか、度を超している。


 ここで養殖という言葉に惑わされそうになるが、ウナギを卵から孵化させる商業的な養殖技術は未だに確立していない。そもそも産卵の場所が分かったことすら、ここ10年ほどのことではなかっただろうか。ウナギの産卵した卵を孵化させて育てる、そのサイクルを人為的に完成させたのすら、ここ数年の話だったはずだ。現状でやっていることは、稚魚を捕ってきて育てる「肥育」であって、この稚魚が捕れなければそもそもウナギの「養殖」は成り立たない。
 その稚魚が、捕れなくなっている。三年連続の未曾有の不漁であるという。今年に入って、少しずつ報道されていることだ。僕はこの報せに少なからず衝撃を受けている。
 まさかとは思うが、このままでは、ウナギという資源が枯渇してしまうのではないだろうか?


 繰り返すが、ウナギは野菜や家畜のようにヒトの手だけで栽培・飼育することができない。これは漁業全般に言えることかも知れないが、実のところ、やっていることの半分は狩猟・採取に近いのだ。日本人は自らを農耕民族と自己規定しているかも知れないが、日本の食の重要な部分を占めていた漁撈とは、実のところは狩猟の一形態である。
 では、その魚が捕れなくなったとき、どうすべきなのか?
 方策は二つある。消費を減らすか、なんとかして供給を増やすか、そのどちらかである。
 幸い日本には札ビラを切るという手段が取れるので、ウナギの稚魚を海外から買ってくることができる。じつはこれは今回の不漁に始まったことではなくて、昔からやっていたことなのだった。ヨーロッパと北米のウナギの稚魚は、とっくに日本に輸入されている。それほどに、日本の近海でウナギの稚魚は捕れなくなっていた。そしてこのたびの不漁に際し、ついに日本はアフリカからもウナギの稚魚を輸入しはじめたらしい。
 そう聞いて、無類のウナギ好きの自分は、酷く衝撃を受ける。なんだか手を出してはいけないところにどんどん手を広げているような気がする。そんなことをしていて、本当に、大丈夫なのだろうか? 正確に判断することはできないが、なにか、歯止めがきかなくなっていると僕は感じる。現状を維持するために、未来の資源に手をつけてはいないか? 今年を乗り切るために、来年以降の危機を作り出しているのではないだろうか?


 そうであるならば、僕は、ウナギを食べないという選択をしたい。幸いにしてウナギは米でも大豆でもない。端的には、数年食べなくてもなんら困ることのない食品である。


 ただし、ここで忘れてはならないのは、ウナギという食材の特異性である。冒頭で述べたごとく、ウナギはそれ自体が一つの産業の根幹をなす、きわめて特殊な食材である。そこに携わる人々も、もちろん生活してゆかなければならない。
 さればこそ、ここで必要なのは、政治的な判断であり、金銭的な保障だろう。それが本来、社会の果たすべき役割だと思う。
 率直に言って、僕は、日本の行政が適切に水産資源を管理してきたとは思っていない。サバもマグロもアジも、近海の資源を激減させてしまったからだ。漁獲量規制も一向に進む気配がない。その一方で捕鯨にはやけに熱心で、誰も食べない鯨肉の在庫を積み上げているありさまだ。
 でも、それでもしかし、それは次に打つ手を諦める理由とはならないはずだと僕は思う。実際、たとえば秋田のハタハタは、厳しい禁漁を徹底したことで漁獲量を回復させることができた。そういう先例だってあるのだ。


 食べず、捕らないことで、ウナギの回復を待つ。それは、世界のウナギの実に7割を消費する日本人に課せられた責務ではないかとすら僕は思う。
 ウナギを産み出すことができるのはヒトの手ではなく、母なるウナギと、わだつみだけなのだから。





追記:ウナギの稚魚=シラスウナギの漁獲量がどのていど減ったかを示す資料を水産庁当たりで出していないだろうかと思ったのだが、パッと探す限りでは見つからなかった。代わりにこちらのリンクを参考に。NHKのサイトである。記事中に示されるグラフは国内での漁獲高を示しているのだが、世界の漁獲高の推移もデータがあれば調べてみたい。そもそも漁獲高を国別に示すのは難しいことで、例えば日本の商社が海外船籍の船を海外に保有すればそれは日本の漁獲高にはカウントされないのだ。だからといって、ウナギの7割を消費する日本人の選択が、ウナギの未来を左右するキーであることは間違いがないだろうが。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/126786.html
時論公論「うなぎ 資源回復を急げ」
(引用)「かつて年間232トンとれたシラスウナギは2010年には6トンにまで落ち込みました。」

 思うところあってネットでワーグナー「神々の黄昏」の動画を漁って見ていたのだが、ひょっとするとワーグナーの楽劇を生で見ていないのはとんでもない人生の損失なのではなかろうかとわりと本気で思うに至る。今まで生で見たことがあるのは「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、しかも舞台上演版ぐらいなのだけれど、あれはもうホント脳の奥が溶けるのではないかと思うほどの体験だった。シーズンオフのフィラデルフィア響。ワーグナーのひたすらにくどい、反復、繰り返し、積層、あれがときに、なにかのはずみにこちらになだれを打ってくる瞬間というのがあって、その法悦というのは本当に他のナニカでは代え難い。敢えて近いモノを探すならば、ブルックナーのも模続進行ぐらい。タイミングが悪いと、ひたすらに胃にもたれるのだけれど。
 ともあれ、指輪四部作とマイスタージンガーとローエングリン、あとパルジファルを生で見ることぐらいは残りの人生の目標にしておこうと思った。ウワーたのしみだなあ。平均余命まで生きるならば、40年ぐらい猶予はあるはずだし。


 ワーグナーの仕事っぷりというのは、モノ作る人間ならば誰しもしょげかえらずにいられないものがあって、まあ指輪の四部作だけでも木っ端作家10人分ぐらいの仕事をしている。もちろん傑作はこれだけじゃない上に、王様をたらし込んで巨額のゼニを引っ張って今に続くバイロイト音楽祭を企画して、女にもこまめで、片手間に革命の片棒まで担いでいるんだからどんだけ濃厚な人生なんだろう。迷惑被った人も相当多そうだけど。


 そのへんの史実は詳しくないので省くけれど、ネットで流し見していたら、ワーグナー一族のその後がこれまた波瀾万丈に過ぎて手が止まらなくなった。普通、こんだけエライご先祖がいたらだいたい三代目当たりのボンクラが財産を食いつぶすと相場が決まっているのだが、どうもそうではないらしい。
 ホモ疑惑の濃厚だったワーグナー家の嫡子、ジークフリート・ワーグナーに嫁いだ若干十七歳のヴィニフレート嬢が相当なドラゴン・レディであったのも面白すぎるし(ナチスに接近してゼニ引っ張った手腕もすごい。賛否はさておき)、なによりも孫に当たるヴィーラント・ワーグナー、戦後の物資欠乏期のゆえであったとはいえ、極度に切り詰められたポスト・モダンなスタイルの新バイロイト様式を押っ立ててしまったらしいあたりがすごい。始祖の三代目と来ては、萎縮するか保守化するかのどっちかに偏りそうなのに。
 早世したヴィーラントとはひたすら仲が悪かったらしい弟のヴォルフガング・ワーグナーがバイロイトの後を継いで、しかしこの人も相当に有能だったようで百歳の長寿を保ちつつバイロイトの名を地にまみれさせず、今はその二人の異母娘が後を継いでいるとか(しかもこの姉妹が仲悪いというのが因果だなあ)。
 たった150年、四世代の歴史が濃厚すぎる。すごいなワーグナー家。日本の伝統芸能でも親族の骨肉の争いってのはたまに聞こえてくることだけど、申し訳ないけど濃ゆさの桁が二桁ぐらい違いそうだ。
 もっともこのへんはwikipediaから拾った知識なので、誤解はご容赦。


 ちなみに今ネットで見てる動画はかなり新機軸の演出みたいなんだけれど(ウワァ漢字や日本語が出てきた。衣装はちょっとしょっぱいサイバーパンクみたいだ)、こういう解釈が許されるのも、まあたどればヴィーラントさんあたりの功績なのかなあ。
 もし自分が実演を見るのであれば、まあ最初はガッツリ北欧神話な舞台背景のやつが見たいですけどね。ワーグナーの中二病な世界観は五臓六腑に染み渡りますし。
普段使いにしているワープロと変換ソフトは一太郎とATOK、20年来変わらない布陣のセガワです。
まあそれだけ使ってるんで毎度とは言わずとも三年に一度ぐらいはアップデートしていて、現在はどちらも2010。
このATOK2010にかなり微妙な機能を発見してしまった。いえまあ有名なことなのかも知れないけど。


英文でタイプして変換するとカタカナ発音が出る、というのがそれ。
knightと打って変換するとナイト、wasと打って変換するとご丁寧にもウォズとでる。
せっかくだからいろいろ発音が微妙そうなものを入れてみた。
fociはフォウサイ、employeeはエンプロイー、thoughはゾウ、neverthelessはネヴァーザレス。
この辺は(カタカナ発音に突っ込むのも野暮だけど)まあ合ってる気がするな。
しかしcolonelはコロネルと出た。カーネルの方がいい気がするけどまあいいか。
nationはなぜか出ず。womenも出ないな。しかしoxenはオクセンと出る。
patientはペイシェントのほかに「クランケ」も出たのでちょっと微笑。
ブラックジャックの影響かも知れないけど、今はクランケはほとんど使わないと思います。


う、うーん……。
自分の想定の範囲だけでモノを判断しちゃいけないけど、これはいったいどういう役に立つんだろう。
それっぽいカタカナ発音になってるところを見ると、あらかじめ辞書登録してあるんだろうけど。
英語のフルスペルを正確に打てるなら、カタカナ発音も自前でなんとかできそうだ。
そもそも、カタカナ発音を実際に文章に打つ機会ってあんまりない気がするんですが。
あるのかな。


そんなことよりも、ATOKはもうちょっと口語的な音便に対応して欲しいなあ。
前にも書いた気がするけど、「分からねえ」「冷てえ」が一発変換できないのです。
不正確な日本語は撲滅されるべきだと思いますが(嘘。思ってない)、
小説だと不正確上等な文章が頻出するのでどうぞよしなに。

segawashin

Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
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ツイッターはこちら。
http://twitter.com/#!/segawashin

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