セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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もしも私がこの町に生まれていたら
高校へは自転車で通っただろう
遠回りして汽水湖のほとりを走り
週に一度はかつて城の築かれていた
小高い山の上に登って
山のかなたあるいは
海のはてを眺め
ここではないどこかばかりに心を馳せていただろう


私がこの小さな町
汽水湖のほとり
古い栄華の商都に生まれていたら
自分を弾き出すただ一つの方法であると信じて
熱をこめて勉強しただろう
飽きることなく
代数あるいは英文法の問題に没頭し
君たちにはまだ理解の外だろう との
教師からの挑発にうかうかと乗って
フランツ・カフカやサマセット・モームにかじりつき
ブルックナーの交響曲を聴いただろう


私がこの小さな町
大きな雪山のふもと
幾千もの船を集めた港町に生まれていたら
何度となく古い堀割
白壁の家々のさなかを走り抜けながら
美しき過去のことも
時おりすれちがう少女たちのことも頭になかっただろう
ただ濃密なる現在と
あやふやで莫大な未来ばかりを眺め
私はまぎれもなく幸福であったに違いない


そして
もしも私が
この古雅でつつましやかな
小さな町に生まれていたら
私は今になって
懐かしく思い返すに違いない、
はるか遠くに離れた土地で、驚嘆すべき充足と
かすかな後悔とを伴って。


本当は私に親しい、
北関東の北辺の
とるにたりないうらぶれた
夕立だらけの町を
思い返すみたいに。


(Oct 22, 2006; Yonago-Tokyo)



-------- ☆ --------


 学会で米子に行って来ました。
 米子を初めて訪れたのは三年前の秋、これも学会でのことで、この山陰の静かな町を大好きになってしまいました。自分の狭い見聞の範囲と断ってのことですが、静かなたたずまい、豊かで複雑な地形、町の至るところに残る長い時間の痕跡、慎ましやかな人の言葉とふるまい、いずれを取っても日本でも指折りの素敵な町ではないかと思います。
 前回は堀割の上にも街路の隙間にも中海の上にも涼しい風の流れる季節の訪問でしたが、幸運にも今回は夏の始まる季節の米子の顔を見ることができました。米子の印象については稿を改めて書くとして、前回の訪問の時に書いた詩を掲載します。
 自分からはさまざまな意味で遥かな町への片恋です。
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久しぶりに詩を作りました。
¡con alegría! というのは、大喜びで、嬉しそうに、という意味です。
コン アレグリーア!
いつのまにやら母は
耕す人になっていた
産む人であり育てる人だと思っていたが
月がめぐり水がながれ
干支がひとまわりもすれば
家の前の一反にもならない土地は
いつしか苗床となって
実りへと身を大きく伸ばしつつあるようだ
思えば赤ん坊は海の中で生まれ
這って陸に上がり
肌の上の塩水(えんすい)を拭われてからは
間近く海に臨みつつも
土の上に両足をつけて育ち
土の中に殖えるものを喰らい
土の下に眠るのだから
母もまたその作法に倣ったものらしい
このせつなにもまた
赤ん坊は水の中で産声を上げ
月夜の浜へと這い上がってくる
だから耕しておかねばなるまい
波間に母がいるのならば
石ころのあいだ畝のあいだにも母がいる




-------- ☆ --------

母親の誕生日に詩を贈りました。
おれたちがぴかぴかに飾りたてられた街路を歩き
安酒を飲んで女の肩に手を回すのと
ちょうど同じとき
地球の裏がわで
人々は
父なる神に"¡señor!"と呼びかける
隣人ロドリーゴに話すように親しく
顔役ドン・ペドロに申し上げるように恭しく
詩人フエンテスを讃えるように敬意をもって
おれたちの土地では
冷え 研がれた夜気のまん中を
澄みきった月の光が差すが
あなたがたはそのときに
頬をなでる夜風の中
祭壇に青ボタルの灯をともし
おれたちと等しくこの夜を祝うのだろう
よろこびもかなしみも
しあわせもわざわいも色濃い
夏の夜のやりかたで。
おれたちは安らいでおります。
どうぞあなたがたにも
この夜の平安を。
¡Feliciz Navidad!



-------- ☆ --------



メルセデス・ソーサの歌う "Navidad Nuestra"(われらのクリスマス)に触発されて書いた詩です。
スペイン語の歌詞にフォルクローレの手法を盛り込んだこの曲は
ヨーロッパの風土からは決して生まれなかったものでしょうが、
これ以上に鮮やかに生き生きとキリスト生誕を寿いだ歌を寡聞にしてセガワは知りません。
ホセ・カレーラスの歌った盤もありますが、やはりソーサの方が断然いいですね。
まあ別にクリスチャンというわけでもないんですが、
時にこんな豊潤な文化を産み出してしまうキリスト教という宗教には
ちょっぴり羨ましさを感じます。
なお、平録されている "Misa Ceiolla" (クレオールのミサ)もとても素晴らしいですよ。



↓アフィリ貼ってみたけど品切れ……。でも貼る。超お薦めですから。

ミサ・クリオージャ (南米大陸のミサ)ミサ・クリオージャ (南米大陸のミサ)
(2000/09/23)
メルセデス・ソーサ

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どうせ効きもしないクーラーを止めてしまい
窓をいっぱいに開けると
熱い風がとたんに吹き込んでくる
時に仔虫や土埃をまじえ
車の中が夏に満ちる
地の果てまで続く田んぼに
まっすぐの道がのびる
イバラキ県はツクバ郡の片隅を車は走り
カーステレオからは
ヒバリたちの囀りが響きわたる
かわいらしさともあどけなさとも縁のない
どことなくふてぶてしく臆面なく
この地上でいちばんの力に満ちたヒバリたちの歌だ
道は続き車はうなりをあげ
ヒバリたちは歌い続ける
そうだヒバリたちよ歌ってくれ
ドナウのほとりの沃野から舞い上がり
かるがると成層圏をこえユーラシアを渡り
極東の島ぐにに舞い降りてくれ
クラリネットよ舞え
トランペットよ叫べ
サキソフォンよ身を震わせろ
テューバよ大地を揺るがせよ
ここはイバラキ県ツクバ郡の
田んぼのさなかを果てしなくつづく一本道だ
ただ暑いばかりの夏風をものともせず
おまえたちの歌はかるがると大気の中を舞うだろう
俺はもう少しアクセルをふかそう
十年落ちのオンボロ車に鞭をあてよう
だからヒバリたちよ
歌ってくれ
はてしなく暑くどこまでも長い
夏のさなかの一本道を
それでも車を走らせる俺のかたわらに
きらきらとまぶされる光りのような
かけがえのないいろどりとなってくれ



-------- ☆ --------


研修医のころ、イバラキ県の片田舎の病院に勤務していました。
まあ休日になるとやることがないので車でフラフラ徘徊したりしたんですが、
その当時にFanfare Ciocarliaというバンドを知りました。
ルーマニアの、ジプシー・ブラスのバンドです。
そのへんの経緯はこちらのエントリーをご覧いただくとして、
まあおそらく北海道を覗けばいちばん日本でだだっ広い風景が楽しめるイバラキ県の水郷地帯を、
Fanfare CiocarliaをBGMにオンボロ車ですっ飛ばしていたあの夏は
自分の人生の中でも最上の記憶の一つだったと今になっても思います。
そのFanfare Ciocarliaがこのたび来日するということなので、その記念に当時の詩を再掲。

segawashin

Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
ホームページはこちら。
www.segawashin.com
ツイッターはこちら。
http://twitter.com/#!/segawashin

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