セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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2012年8月13日付朝日新聞朝刊。

20120813


カンガセイロとか沙汰未練書とかも大概ですけどね。
しかし、誰がこれを言ってるんだろう。
しげばあちゃんが順当そうだが、まさかのまつ子さんかも。
「死の床に横たわりて」とか読んでたりして。
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 近所の書店にももう見当たらなくてamazonに注文していた「文藝別冊 いしいひさいち」が届く。わぁいお待ちかねーと思いながら読み始めたのだけれど、読み止められなくて困った。なんだか凄まじい緊張感のある本だった。

 冒頭の架空インタビューがまずすごいシロモノだった。おちゃらけているようで全然おちゃらけていなくて、なんだかほとんど怖い。自分の感じ方がおかしいのかも知れないけれど、なんていうか、無造作にフリーハンドでビシバシ完璧な直線を描かれてる感じ。いやあちょっと歪んでるんですよねとか言いながら、完璧な直角を描かれている感じ。個別の感想はここでは書かないけれど、これだけでもこの書籍の価値はあるので是非ご一読を。
 それから、寄せられているコメントやトリビュート作がいちいちすごい。当代一流の書き手が、この途方もない才能を持った作家に全力で切り結んでいる。一部そうでもないけど。皆さん金属バットの使用も辞さずに土俵に上がっている印象を受けた。とりわけすごいなあと思ったのは吉田戦車さんの漫画と川島克之さんの寄稿。

 総じていしいひさいちという作家は、これほどに広く深く多様な仕事をしていながら、それなのにと言うべきか、それだからと言うべきか、「俺がこの作家を好きな理由は他の人には理解されない」という感想を今なお持たれ続けている書き手なんじゃないかなと思った。もちろん、僕のこの文章もそこに含まれるのだろう。

 なお、編集後記見てびっくりした。編集が新保信長さんだった。これは本当にいい仕事だと思う。このお名前見て笑いそうになるのは西原理恵子漫画の補正が強すぎるせいですが(笑)。


 余談。手元にある「わんだーらんど通信 6号」というミニコミ誌に、「元気なき戦い」といういしいひさいちさんの漫画が載っている(原作・みねぜっと)。発行は1983年4月1日。今になってみれば分からないネタも多々あるんだけれど、ここに出てくる角川春樹と高取英の似顔絵がとにかくイカスということだけ言いたかった。


いしいひさいち  仁義なきお笑い (文藝別冊/KAWADE夢ムック)いしいひさいち 仁義なきお笑い (文藝別冊/KAWADE夢ムック)
(2012/06/16)
不明

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 ぼちぼち夏休みが始まったであろう学生の皆様お元気でしょうか。とっくに夏休みになど縁がなくなってしま今したが、セガワの心はいつでも夏休みです。Yes成熟拒否。終わりなき青春終わりなき日常終わりなき夏休み。
 このへんの始祖ってやはりサリンジャーなのかなあ。とはいえハンス・カストルプもムイシュキン侯爵もある意味似たキャラ付けの気がする。「青年」を発明したのは近代である、などと言うとインテリっぽくていいですね。


 「ユリイカ」誌1997年4月号は日本の漫画特集で、複数の漫画家のインタビューが載っている。「J-コミック'97」というタイトルは今見ればちょっと微苦笑が浮かぶなあとか(なんでもかんでもi-をくっつける時代の前にはe-をくっつけるのが流行って、90年代はJ-をつけるのが流行ってたんですよ)、荒木飛呂彦や伊藤潤二は今特集やっても入りそうだなあとか、町野変丸って今何やってるんだろうとか、それぞれインタビューが載っている吉田戦車と伊藤理佐がまさか結婚しちゃうとはなあとか、松本大洋とか黒田硫黄みたいなサブカル的な人気高かった層が入ってないのは意外だなあとか、当時すでに市場ができてたはずのオタ萌え系の漫画家が入ってないのは意外だなあとか、まあいろいろ思うところがあって面白いんですが。
 しかし、この特集でいちばん注目したいのは、村田ひろゆきのインタビューが載ってること。きちんと調べた訳じゃないけど、この作家がこういうかたちでインタビューを受けるのは珍しいことじゃないかと思う。そしてこれがまた、今読めば、かなり貴重な談話が含まれている。いい仕事だと思う。
 この当時にタイムスリップして、インタビュアー氏(フリーライターの轟夕起夫氏である)に「15年後、村田ひろゆきは終わらない夏休みへのオトシマエをつけてますよ」と言ったらどんな反応をされるだろうか。
 また、当時この号を手に取って(えぇ村田ひろゆきにインタビュー!?)と驚いていた小賢しいサブカル小僧の自分に「15年後村田ひろゆきが医療漫画描いてるぞ。しかもかなり面白い」と言ったら、どんな顔をするだろうか。



 ここで、記憶を平成の初頭に戻してみる。ビーバップハイスクールの影響でとにかくヤンキー漫画全盛期の頃である。ビーバップと湘南爆走族が人気で言えばツートップで、他にも特攻の拓とかファンキーモンキーティーチャーとかヤンキー烈風隊とか直管小僧とか湘南純愛組とかカメレオンとか。男旗……は別腹だな。しかし濃い漫画が揃ってた時代だったんだなー。景気がいいというのはこういうことでもあるんだろうか。
 この当時から村田ひろゆきは、「ヤンマガを開けば載ってる」作家だった。そこではいかにも頭の悪そうな高校生がじゃれ合ったり喧嘩しあったり、なにかというとセックスしたりしていた。自分も北関東の片田舎の高校に通っていたからそういう世界に既視感はあるにせよ、オタクやサブカルの世界に片足つっこみはじめた小僧だった自分にとっては、冷笑と失笑しか浮かばない漫画だった。「アッタマ悪い漫画だなぁ」と思ってたわけだ。ああ恥ずかしい。
 この当時から村田ひろゆきは「工業哀歌バレーボーイズ」の連載をしていて、ユリイカのインタビュー当時ですでに連載8年目(最終的に連載は18年の長期に及んだ)。で、その中味といえば、相も変わらずだべってつるんでセックスしての沼工トリオ(本作の主人公たちです)の終わりなき日常。
 だから、インタビュアー氏はインタビューの前に、こういう問いを置いた。

「果たして彼はこの”夏休み”にどうオトシマエをつけようとしているのだろうか?」



 この問いかけは面白いなあと思う。
 「終わらない夏休みをどう終わらせるか」という問いかけ自体はこの時点でもすでに新しいものではなかったはずで(宮台真司が「終わりなき日常を生きろ」を出したのが95年だったはず)、他の作品にもよく投げられていたと思うんだけれど、それはどっちかと言えばオタク・サブカル系の作品に偏っていたんじゃなかろうか。作者と読者と作品とが近い距離にあるという幻想を共有しやすいタイプの作品。ある種のセンスの共有が前提となるタイプの作品。
 作品そのものが一種の楽園めいた箱庭になってしまえば、そこからどう決別するかということは、まず読者にとって、次いで作者にとって、あげく作中人物にとってさえも(!)重要な問題になってしまう。うる星やつらのビューティフルドリーマーとか、ハルヒのエンドレスエイトみたいに。テレビ版エヴァの終盤の迷走みたいに。
 しかし、そういう問いを、こういうヤンキー漫画(バレーボーイズの内実と必ずしも合ってるレッテルだとは思わないけど)に投げたのは本当に面白い。確かに沼工トリオの日常はこの時点では終わりが見えなかったけれど、だからといって、沼工トリオの未来に思いを馳せつつこの作品を読んでいた読者はほとんどいなかったんじゃないだろうか。
 にもかかわらず、インタビュアー氏はこの問いかけを一つのゴールと定めて、作者からいろいろな言葉を引き出していく。それは今回再読して、あらためて興味深かった。「バレーボーイズと銘打ってるくせに、バレーやらずにセックスばっかりしてる」というのは連載当時から囁かれていたことだったけれど、その点についての作者の言葉。

「かろうじて残っているのが”哀歌”の部分なんですよねえ。(中略)必ずそれはどこかに入れておこうと。(中略)当時もいまも高校生の感覚なんて全然分からない。ただ、基本的に”哀歌”の部分は変わっていないんじゃないか、だったらその部分だけで勝負するから、ってね」 (前掲書 p.217)

 そっか。男おいどんや独身アパートどくだみ荘とコンパチな作品だったんだなあ。本当に今さらだけど。

「言い方悪いけれど、読み捨て漫画でいいと思ってるんです。そのときだけ楽しんでもらえばいい。(中略)僕はどこを取ってもそれなりに面白い漫画を描いていきたい」 (p.220-221)
「赤城たちが三年になってから夏までの間、もう10巻以上やってると思いますよ。(中略)でもそれを書いたら、もう後はないんですね。秋になって冬が来たらもう卒業だぞ、と」 (p.222)

 カッコイイ。村田ひろゆきは徹底して娯楽のプロに徹していて、しかし、インタビューの最後でかすかな迷いを見せている。作者の言葉がすべて真実を語っているわけではないにせよ、この時点では作者自身、終わらない夏休みへのオトシマエを決めかねていたようだ。語られる言葉には迷いが混じりまとまりがなく、インタビュアー氏も敢えてそこにきれいな整序をつけていないように見える。
 そしてこのインタビューからほぼ10年後、村田ひろゆきは「好色哀歌 元バレーボーイズ」という凄まじい作品を描いた。卒業の先にきちんと筆を進め、生老病死の生(性?)を象徴するかの如き夏の沼工トリオの陰画みたいに、老病死をいろんな角度から描いた作品である。ワープアだの失業だの妊娠だのメンヘルだの病気だの介護だの死だの、一筋縄じゃ行かない要素がてんこ盛りである、にもかかわらず、さすがに娯楽の大ベテランはこれを陰惨一辺倒では描かない。悲嘆に身をよじらせることばかりが哀歌じゃありませんからね。そのへん、大向こうを狙ってお涙頂戴にするような安いことを村田ひろゆきはやらなかったみたいだ。この人の筆には、どこかに楽天的な光りがあっていい。
 かくしてバレーボーイズの「終わりなき夏休み」には、実に見事なオトシマエがついた。ユリイカの特集から13年後のことである。高校を卒業しても、人生は続く。死ぬまで続く。本当だったら、ごく当たり前のことなのだ。その当たり前のことをきちんと描いた、出色の作品だったんじゃないかと僕は思っている。その当たり前のことを当たり前にできず、未だに「終わりなき日常」でグダッてる作品が少なからぬことを踏まえた上で。



 個人的にはもう一つ気になることがあって、「元バレーボーイズ」には病気の話がよく出てきていた。しかも「ガンです」みたいな杜撰な扱いではなくて、谷口の病気が腸骨の骨髄炎だとか、妙にきちんとした描写になっていて。作者自身の闘病経験があるにせよ、それを作品に反映させるかどうかはまた別のことだから、この描写はすごいなあと思って見ていた。
 などと思っていたら、今年に入って村田ひろゆきが「ドクター早乙女」の連載を開始したので、正直ものすごくびっくりした。医療ものですよ医療もの。医者がすげえヤンキー面だけど(笑)。まだ連載序盤だから内容云々するほど読んでいないけれど、意外なぐらいにきっちりとした描写です。
 こちらも傑作になることを祈って。

(文中敬称略)
 拙著「チューバはうたう」の表紙を描いてくださった衿沢世衣子さんの新刊が出ましたよ!


 ……といってももう先月のことなのですが。タイミングのずれたご紹介になってしまってすみませんです。
 「シンプル ノット ローファー」。素敵なタイトルです。とはいえ自分のような野暮天は、ローファーってなんだっけ……あの女子高生とかがはいてる革の平靴ねアーウンウン、と慌てて調べてしまうのですが。
 そしてタイトル通り、これはとある女子高を舞台にして、女の子たちの生活を描いた漫画です。これと言った事件が起こるわけでもない、緩やかな日常。しかしこれが、面白いんですよ。


 こう書くと、なにか今様の「萌え」「まったり」「癒し系」みたいなキーワードで語られそうになるのですが、あまりそういう印象は受けないんですよね。確かに描かれているのは、女子高のなんてことはない緩やかな生活なんですが。
 ここに描かれているのは、なにか余計なことばっかりしている女の子の姿です。べつだん悪いことではなく、取り立てて奇抜なことというわけでもなく、しかし、決して生活の要になりそうにないささやかな事柄。例えば、電気工作とか、コーヒーとか、映画とか、ダンスとか。なのに彼女たちは、やけに真剣に、おのれの信じる何ごとかに組み付いてゆくんですよ。取り立てて悲壮感を漂わせるでもなく、軽やかに、しかし熱心に。そして、これはまさしく筆者の力量だと思うのですが、彼女たちはモノローグの形で自分の心情を吐露しません。すべては現れ出る行動から推し量るよりなく、その行動には嘘が混じらず、感じ取れるものは「軽やかながむしゃらさ」とでも言うべき彼女たちの情熱です。そっと敬意を表したくなります。
 それは読み手たる筆者ばかりではないようで、彼女たちどうしもまた、絶妙な距離をとりつつ、わざとらしい共感を示すでもなく、無理解をあげつらうでもなく、しかし確かにお互いを認め合っているようです。いいなあ、こういう人間同士のつきあい。それは本当に難しいことなのだ、とは、もうそこそこ年を食ってしまった筆者の嘆きではあるのですが。


 なんだか堅苦しい話になってしまいましたが、実際のところ、それぞれの話は本当に楽しげな物語です。だいたいにして打ち込んでいるのは「余計なこと」なので、その一種の無鉄砲には少なからず微苦笑を誘われます。
 筆者個人の好みでは、なぜか電気工事に打ち込み始めたりょうちゃん(とその友人のふくれっ面が可愛いナロメ)、やけにテンション高くリヤカーで爆走するナカジ、片時も手放さない携帯からふと顔を上げたエマちゃん、孤独を愛したいらしいコーヒー好きのくぐみちゃん、茶道の素晴らしさに開眼した(と信じているらしい)なっちゃん、あたりでしょうか。
 いいなあ、こういう高校生活。本書を読んでいて、なぜかしきりに思い出されてならなかったのは、ほとんど歴史のかなたに行ってしまった自分自身の高校生活でした。あなた都会の真ん中の女子高、こなた片田舎の小汚い男子校、ほとんど天地ほどの差があるにも関わらず。接点などありようもない二つの世界ですが、一つだけ拾い上げるならば、やはり余計なことばっかりしていたかつての自分の高校生活で、あの膨大な無駄で満たされていた三年間は、かけがえのないものだったのだと今になってみれば思います。


 すべての物語の最後、ざわめきが静まった後の数ページの素晴らしさは無類のものです。これは、是非、お読みになって下さればと思います。
 筆者は確かにここに、なにか音楽が流れていると感じました。旋律もリズムも、響きすらもない、そういう音楽です。夏空にそのまま連なってゆく音楽です。


 今の季節にうってつけの一冊です。
 畳の上に寝っ転がりながら、サイダーとかラムネをすすりながら、お気に入りの音楽をかけながら、是非どうぞ。


シンプルノットローファーシンプルノットローファー
(2009/05/20)
衿沢 世衣子

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小説絶賛手直し中です。やっぱり量が多いと時間かかりますねエヘヘ。
ちょっと現実逃避息抜きに買い物行ったり部屋の掃除したりしてました。


やはり時節柄、街中は怒濤のクリスマスモードですね。
正直このアッパー名雰囲気は苦手なんですが、30年以上生きていると
「俺クリスチャンじゃねえから関係ねえよ」
という強がり言うのもしんどくなってきます。
それでもいっときの狂乱ぶりに比べたらおとなしくなってきた気もしますけど。
しかし日本のクリスマスがこんなオモシロ方向に闇進化してしまったのって
やっぱりバブルのせいなんですかねえ。
バブル真っ盛りの頃には田舎の冴えない学生だったセガワには想像も付かないんですが、
イタメシ食ってティファニーのリング送って赤プリで宿泊とかマーそんな感じだったんでしょうか。
なんか知らない国の奇習を耳にしているような気分です。
そういう時代に青春を過ごさなくて良かったなあ。
やっぱり身の丈に合わないことを強いられる空気ってのはキツイですわ。
クリスマスに憎悪を滾らせる皆様は、
ホイチョイプロあたりに恨みをぶつけてみるというのはいかがでしょう。


なんてことを思いながらふと↓の漫画を引っ張り出してきて読んでみました。
すげえや。
80年代の半ばにしてこの作風というのは、本当に奇跡的な感じがします。
それに、ここに描かれている冴えない若者たちの鬱屈が
驚くほど今と変わってないことに改めて驚きました。
それはおそらく若者のライフスタイルの変化とも無縁じゃなくて、
例えば大友克洋が70年代に発表していた短篇と比較すると、
この70年代から80年代にかけて都市生活のあり方が大きく変わったことに驚かされます。
これ以降は、あんまり変わってない感もありますね。
せいぜいネットと携帯がくっつくぐらいじゃないかな。


まあそんなわけで、クリスマスにお薦めの一冊です。
お友達に、大切なあの人に、是非どうぞ。



初期のいましろたかし―ハーツ&マインズ+ザ★ライトスタッフ+その他 (Big comics ikki)初期のいましろたかし―ハーツ&マインズ+ザ★ライトスタッフ+その他 (Big comics ikki)
(2002/07)
いましろ たかし

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segawashin

Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
ホームページはこちら。
www.segawashin.com
ツイッターはこちら。
http://twitter.com/#!/segawashin

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