拙著「チューバはうたう」の表紙を描いてくださった衿沢世衣子さんの新刊が出ましたよ!
……といってももう先月のことなのですが。タイミングのずれたご紹介になってしまってすみませんです。
「シンプル ノット ローファー」。素敵なタイトルです。とはいえ自分のような野暮天は、ローファーってなんだっけ……あの女子高生とかがはいてる革の平靴ねアーウンウン、と慌てて調べてしまうのですが。
そしてタイトル通り、これはとある女子高を舞台にして、女の子たちの生活を描いた漫画です。これと言った事件が起こるわけでもない、緩やかな日常。しかしこれが、面白いんですよ。
こう書くと、なにか今様の「萌え」「まったり」「癒し系」みたいなキーワードで語られそうになるのですが、あまりそういう印象は受けないんですよね。確かに描かれているのは、女子高のなんてことはない緩やかな生活なんですが。
ここに描かれているのは、なにか余計なことばっかりしている女の子の姿です。べつだん悪いことではなく、取り立てて奇抜なことというわけでもなく、しかし、決して生活の要になりそうにないささやかな事柄。例えば、電気工作とか、コーヒーとか、映画とか、ダンスとか。なのに彼女たちは、やけに真剣に、おのれの信じる何ごとかに組み付いてゆくんですよ。取り立てて悲壮感を漂わせるでもなく、軽やかに、しかし熱心に。そして、これはまさしく筆者の力量だと思うのですが、彼女たちはモノローグの形で自分の心情を吐露しません。すべては現れ出る行動から推し量るよりなく、その行動には嘘が混じらず、感じ取れるものは「軽やかながむしゃらさ」とでも言うべき彼女たちの情熱です。そっと敬意を表したくなります。
それは読み手たる筆者ばかりではないようで、彼女たちどうしもまた、絶妙な距離をとりつつ、わざとらしい共感を示すでもなく、無理解をあげつらうでもなく、しかし確かにお互いを認め合っているようです。いいなあ、こういう人間同士のつきあい。それは本当に難しいことなのだ、とは、もうそこそこ年を食ってしまった筆者の嘆きではあるのですが。
なんだか堅苦しい話になってしまいましたが、実際のところ、それぞれの話は本当に楽しげな物語です。だいたいにして打ち込んでいるのは「余計なこと」なので、その一種の無鉄砲には少なからず微苦笑を誘われます。
筆者個人の好みでは、なぜか電気工事に打ち込み始めたりょうちゃん(とその友人のふくれっ面が可愛いナロメ)、やけにテンション高くリヤカーで爆走するナカジ、片時も手放さない携帯からふと顔を上げたエマちゃん、孤独を愛したいらしいコーヒー好きのくぐみちゃん、茶道の素晴らしさに開眼した(と信じているらしい)なっちゃん、あたりでしょうか。
いいなあ、こういう高校生活。本書を読んでいて、なぜかしきりに思い出されてならなかったのは、ほとんど歴史のかなたに行ってしまった自分自身の高校生活でした。あなた都会の真ん中の女子高、こなた片田舎の小汚い男子校、ほとんど天地ほどの差があるにも関わらず。接点などありようもない二つの世界ですが、一つだけ拾い上げるならば、やはり余計なことばっかりしていたかつての自分の高校生活で、あの膨大な無駄で満たされていた三年間は、かけがえのないものだったのだと今になってみれば思います。
すべての物語の最後、ざわめきが静まった後の数ページの素晴らしさは無類のものです。これは、是非、お読みになって下さればと思います。
筆者は確かにここに、なにか音楽が流れていると感じました。旋律もリズムも、響きすらもない、そういう音楽です。夏空にそのまま連なってゆく音楽です。
今の季節にうってつけの一冊です。
畳の上に寝っ転がりながら、サイダーとかラムネをすすりながら、お気に入りの音楽をかけながら、是非どうぞ。
……といってももう先月のことなのですが。タイミングのずれたご紹介になってしまってすみませんです。
「シンプル ノット ローファー」。素敵なタイトルです。とはいえ自分のような野暮天は、ローファーってなんだっけ……あの女子高生とかがはいてる革の平靴ねアーウンウン、と慌てて調べてしまうのですが。
そしてタイトル通り、これはとある女子高を舞台にして、女の子たちの生活を描いた漫画です。これと言った事件が起こるわけでもない、緩やかな日常。しかしこれが、面白いんですよ。
こう書くと、なにか今様の「萌え」「まったり」「癒し系」みたいなキーワードで語られそうになるのですが、あまりそういう印象は受けないんですよね。確かに描かれているのは、女子高のなんてことはない緩やかな生活なんですが。
ここに描かれているのは、なにか余計なことばっかりしている女の子の姿です。べつだん悪いことではなく、取り立てて奇抜なことというわけでもなく、しかし、決して生活の要になりそうにないささやかな事柄。例えば、電気工作とか、コーヒーとか、映画とか、ダンスとか。なのに彼女たちは、やけに真剣に、おのれの信じる何ごとかに組み付いてゆくんですよ。取り立てて悲壮感を漂わせるでもなく、軽やかに、しかし熱心に。そして、これはまさしく筆者の力量だと思うのですが、彼女たちはモノローグの形で自分の心情を吐露しません。すべては現れ出る行動から推し量るよりなく、その行動には嘘が混じらず、感じ取れるものは「軽やかながむしゃらさ」とでも言うべき彼女たちの情熱です。そっと敬意を表したくなります。
それは読み手たる筆者ばかりではないようで、彼女たちどうしもまた、絶妙な距離をとりつつ、わざとらしい共感を示すでもなく、無理解をあげつらうでもなく、しかし確かにお互いを認め合っているようです。いいなあ、こういう人間同士のつきあい。それは本当に難しいことなのだ、とは、もうそこそこ年を食ってしまった筆者の嘆きではあるのですが。
なんだか堅苦しい話になってしまいましたが、実際のところ、それぞれの話は本当に楽しげな物語です。だいたいにして打ち込んでいるのは「余計なこと」なので、その一種の無鉄砲には少なからず微苦笑を誘われます。
筆者個人の好みでは、なぜか電気工事に打ち込み始めたりょうちゃん(とその友人のふくれっ面が可愛いナロメ)、やけにテンション高くリヤカーで爆走するナカジ、片時も手放さない携帯からふと顔を上げたエマちゃん、孤独を愛したいらしいコーヒー好きのくぐみちゃん、茶道の素晴らしさに開眼した(と信じているらしい)なっちゃん、あたりでしょうか。
いいなあ、こういう高校生活。本書を読んでいて、なぜかしきりに思い出されてならなかったのは、ほとんど歴史のかなたに行ってしまった自分自身の高校生活でした。あなた都会の真ん中の女子高、こなた片田舎の小汚い男子校、ほとんど天地ほどの差があるにも関わらず。接点などありようもない二つの世界ですが、一つだけ拾い上げるならば、やはり余計なことばっかりしていたかつての自分の高校生活で、あの膨大な無駄で満たされていた三年間は、かけがえのないものだったのだと今になってみれば思います。
すべての物語の最後、ざわめきが静まった後の数ページの素晴らしさは無類のものです。これは、是非、お読みになって下さればと思います。
筆者は確かにここに、なにか音楽が流れていると感じました。旋律もリズムも、響きすらもない、そういう音楽です。夏空にそのまま連なってゆく音楽です。
今の季節にうってつけの一冊です。
畳の上に寝っ転がりながら、サイダーとかラムネをすすりながら、お気に入りの音楽をかけながら、是非どうぞ。
![]() | シンプルノットローファー (2009/05/20) 衿沢 世衣子 商品詳細を見る |
小説絶賛手直し中です。やっぱり量が多いと時間かかりますねエヘヘ。
ちょっと現実逃避息抜きに買い物行ったり部屋の掃除したりしてました。
やはり時節柄、街中は怒濤のクリスマスモードですね。
正直このアッパー名雰囲気は苦手なんですが、30年以上生きていると
「俺クリスチャンじゃねえから関係ねえよ」
という強がり言うのもしんどくなってきます。
それでもいっときの狂乱ぶりに比べたらおとなしくなってきた気もしますけど。
しかし日本のクリスマスがこんなオモシロ方向に闇進化してしまったのって
やっぱりバブルのせいなんですかねえ。
バブル真っ盛りの頃には田舎の冴えない学生だったセガワには想像も付かないんですが、
イタメシ食ってティファニーのリング送って赤プリで宿泊とかマーそんな感じだったんでしょうか。
なんか知らない国の奇習を耳にしているような気分です。
そういう時代に青春を過ごさなくて良かったなあ。
やっぱり身の丈に合わないことを強いられる空気ってのはキツイですわ。
クリスマスに憎悪を滾らせる皆様は、
ホイチョイプロあたりに恨みをぶつけてみるというのはいかがでしょう。
なんてことを思いながらふと↓の漫画を引っ張り出してきて読んでみました。
すげえや。
80年代の半ばにしてこの作風というのは、本当に奇跡的な感じがします。
それに、ここに描かれている冴えない若者たちの鬱屈が
驚くほど今と変わってないことに改めて驚きました。
それはおそらく若者のライフスタイルの変化とも無縁じゃなくて、
例えば大友克洋が70年代に発表していた短篇と比較すると、
この70年代から80年代にかけて都市生活のあり方が大きく変わったことに驚かされます。
これ以降は、あんまり変わってない感もありますね。
せいぜいネットと携帯がくっつくぐらいじゃないかな。
まあそんなわけで、クリスマスにお薦めの一冊です。
お友達に、大切なあの人に、是非どうぞ。
ちょっと
やはり時節柄、街中は怒濤のクリスマスモードですね。
正直このアッパー名雰囲気は苦手なんですが、30年以上生きていると
「俺クリスチャンじゃねえから関係ねえよ」
という強がり言うのもしんどくなってきます。
それでもいっときの狂乱ぶりに比べたらおとなしくなってきた気もしますけど。
しかし日本のクリスマスがこんなオモシロ方向に闇進化してしまったのって
やっぱりバブルのせいなんですかねえ。
バブル真っ盛りの頃には田舎の冴えない学生だったセガワには想像も付かないんですが、
イタメシ食ってティファニーのリング送って赤プリで宿泊とかマーそんな感じだったんでしょうか。
なんか知らない国の奇習を耳にしているような気分です。
そういう時代に青春を過ごさなくて良かったなあ。
やっぱり身の丈に合わないことを強いられる空気ってのはキツイですわ。
クリスマスに憎悪を滾らせる皆様は、
ホイチョイプロあたりに恨みをぶつけてみるというのはいかがでしょう。
なんてことを思いながらふと↓の漫画を引っ張り出してきて読んでみました。
すげえや。
80年代の半ばにしてこの作風というのは、本当に奇跡的な感じがします。
それに、ここに描かれている冴えない若者たちの鬱屈が
驚くほど今と変わってないことに改めて驚きました。
それはおそらく若者のライフスタイルの変化とも無縁じゃなくて、
例えば大友克洋が70年代に発表していた短篇と比較すると、
この70年代から80年代にかけて都市生活のあり方が大きく変わったことに驚かされます。
これ以降は、あんまり変わってない感もありますね。
せいぜいネットと携帯がくっつくぐらいじゃないかな。
まあそんなわけで、クリスマスにお薦めの一冊です。
お友達に、大切なあの人に、是非どうぞ。
![]() | 初期のいましろたかし―ハーツ&マインズ+ザ★ライトスタッフ+その他 (Big comics ikki) (2002/07) いましろ たかし 商品詳細を見る |
ものすごく面白い本が発売になりました。
漫画家・イラストレーターの速水螺旋人さんの作品集です。以前から大好きな作家さんだったのですが、最近チューバのアレとかをご縁にお知り合いになりまして(ちょっと自慢)。キャリアの長さを考えるにちょっと意外なのですが、これが記念すべき初単行本だそうです。
軍事ものの漫画を中心にファンタジーものやロシアネタ、イラスト、フリートークと三百ページに及ぶ堂々たるテンコ盛りな内容なのですが、なんといってもタイトルの元ネタ「馬車馬戦記」がめっぽう面白いですよ。要するに架空戦記と言ってしまえば話が早いのですが、驚くべきはそのホラの完成度にあります。おそろしく凝ったディティールにあちこちに挿入される遊び心、そしてそれらを丸ごとえいやあと納得させてしまう絵の力。これらを存分に駆使して、いくつもの歴史の物語が語られるわけです。
戦車のかわりに戦象を導入してしまったインドシナ半島の王国の物語。一つの沼を巡って延々としょうもない戦争を続けた南米の小国の物語。アフリカの革命勢力に派遣されて現地人の作ったポンコツ飛行機を操縦することになってしまったスラブ娘の物語。西洋かぶれの殿様が巨大な大砲を据え付けてしまった幕末の下北半島の物語。
あれれ?そういえばこんな史実があったような?なかったような?と思いつつ読み進めていけば、半分は作者の術中にはまったようなもんです。多くは戦争をモチーフにしてはいるのですが、そこにあるのは、どうにもばかばかしい事態にやけに熱心にかぶりついてゆく人間たちのシチュエーションです。戦記と銘打ちつつも、単なる勝った負けたの国取り合戦の物語と一線を画す点は、そこにあるのではないかと思います。率直に言って戦争物にはあまりなじめないセガワが、ものすごい勢いで読破してしまったぐらいですから。
これらを次々と展開させる速水さんの妄想力は、ただごとではありません。ここでは想像力ではなく、敢えて妄想力と言ってみたいんですが。……失礼でしょうか、スミマセン。
絵の魅力についても、ぜひ書いておきたいところです。
速水さんの絵というのは大変に独特で、その独特のデフォルメというのはあんまり類例がないんじゃないかと思います。なんというか、当方は絵のシロウトなので的外れを覚悟で書いてみますが、どんなものを描くにしても、それは速水流のデフォルメの中に落とし込まれるのですよ。やたらに骨張った兵器や車でも、さまざまな人種でも、歴史上の人物でも、それがいったん作者の描線に取り込まれながらその本体を失っていない点は、見事としかいいようがありません。ほかの作者を引き合いに出すのは失礼に当たるかも知れませんが、鳥山明さんとか竹本泉さんなんかのやり方にちょっと似たものを感じるのですが。
特に人物の描写はセガワのお気に入りで、マレー半島あたりの戦争マニアの軍人とか、ウズベク出身のソ連兵とか、南米の小国の独裁者とか(どことなくイタリア系っぽいなあ、などと想像させるところがまたすごい)、「あーこんな感じの人がいそうだなあ」と思わせてしまう説得力がやけに強いのです。デフォルメと説得力というのは、実は両立する概念だと言うことに気付かされましたね。逆に言えば、いかに「リアルな」絵柄であっても、それが対象の特徴を巧みにすくい上げるものでなければ、写実的であるという以上の説得力は出ないのでしょう。
また、これも絵の魅力としては少々伝えづらいのですが、絵の細部が素晴らしいのですね。描き込んでいる、と言えばその通りなのですが、そのディティールがとことん生き生きしている。一個一個の小物に、なにか物語を想像させるものがあるわけです。雑然とした部屋とか、食堂にたむろする群衆とか、へんてこな建物とか、こういうのをやけに楽しげに、しかもものすごく説得力を持って描いてしまうあたり、作者の真骨頂だと思います。モブ(群衆)シーンをこんなに楽しげに描ける漫画家さんって、なかなか希有ではないでしょうか。
セガワは海外旅行マニアであるので、まあ世界のあちゃこちゃでいろんな風景を目にしているわけですが、例えばルーマニアの田舎のバスターミナルと来てはチャウシェスク時代の豪壮趣味を反映しているのか、やたらにだだっ広くて天井が高くて、真ん中にぽつんと一個達磨ストーブが置いてあるばかりの寒々しいところにスカーフかぶった大ぶとりのおばちゃんたちがひしめいていたりするわけです。また、アンダルシア山中の村と来ては山の斜面にひしめく白壁の家々を見上げるところに一本のオレンジの木が植わっていて、その木陰にちっちゃなバーが昼間からサングリアを出していたりします。そんな風景が、この本を読んでいるとまざまざと蘇ってきます。絵の描けないセガワの、視覚的な感興を思いきり呼び覚ましてくれる、そんな作用が速水さんの絵にはあるようです。
ちょっとだけ書く側の視点で話をしますと、セガワもいろいろとウソ話をこしらえるのが大好きで、そういう話をずいぶん書いてきました。以前は小説の丸ごとがウソ話で、独立間もない中央アジアの小国で医者とハンガリー人の青年医師が延々と語る話とか、ロシアと思しき片田舎で収容所から帰ってきたチェロ弾きの話とか、東南アジアと思しき屋台の料理の話とか、なんというかその、分類に困るし説明もしづらいような話ばかりなのですが、これは面白くて仕方ない作業でした。
さすがに今はちょっとそういう色合いが薄まったものの、ホラ吹きの血は拙作にちょっとずつ顔を覗かせています。まあ野暮だからいちいち書きませんが、「チューバはうたう」のアレとかコレとか、「飛天の瞳」のアソコとかアノアタリとか。ウソとホントを適度にブレンドするのがコツですね。
やっぱり、ウソを書くのって本当に楽しいことです。本書を読んで、しみじみとそう感じました。
……変ですかね。
なお、本書でお気に入りの話は、メキシコで飛行教官になってしまったイタリア軍将校の話「バトル・オブ・テキサス」、東南アジアの貧乏国家が三輪トラックを改造して一個師団を形成し、あげくイラクにまで出陣してしまう話「装甲三輪車伝説」あたりです。
ちょっとファンタジーの色合いが混じりますが、「海底戦艦パンタグリュエル」も実にいい話ですよ。おデブで狡猾な捕虜の潜水艦長と、貴族の娘にしていろいろと無茶をなさる海底戦艦艦長のラファリエール大佐の掛け合いが楽しい一作です。最後のオチがまた素敵で。ラファリエール大佐萌え(笑)。
ともあれ、この素敵な本が世に出たことを、心から喜びたいと思います。
面白いですよ。
![]() | 速水螺旋人の馬車馬大作戦 (2008/05/12) 速水螺旋人 商品詳細を見る |
漫画家・イラストレーターの速水螺旋人さんの作品集です。以前から大好きな作家さんだったのですが、最近チューバのアレとかをご縁にお知り合いになりまして(ちょっと自慢)。キャリアの長さを考えるにちょっと意外なのですが、これが記念すべき初単行本だそうです。
軍事ものの漫画を中心にファンタジーものやロシアネタ、イラスト、フリートークと三百ページに及ぶ堂々たるテンコ盛りな内容なのですが、なんといってもタイトルの元ネタ「馬車馬戦記」がめっぽう面白いですよ。要するに架空戦記と言ってしまえば話が早いのですが、驚くべきはそのホラの完成度にあります。おそろしく凝ったディティールにあちこちに挿入される遊び心、そしてそれらを丸ごとえいやあと納得させてしまう絵の力。これらを存分に駆使して、いくつもの歴史の物語が語られるわけです。
戦車のかわりに戦象を導入してしまったインドシナ半島の王国の物語。一つの沼を巡って延々としょうもない戦争を続けた南米の小国の物語。アフリカの革命勢力に派遣されて現地人の作ったポンコツ飛行機を操縦することになってしまったスラブ娘の物語。西洋かぶれの殿様が巨大な大砲を据え付けてしまった幕末の下北半島の物語。
あれれ?そういえばこんな史実があったような?なかったような?と思いつつ読み進めていけば、半分は作者の術中にはまったようなもんです。多くは戦争をモチーフにしてはいるのですが、そこにあるのは、どうにもばかばかしい事態にやけに熱心にかぶりついてゆく人間たちのシチュエーションです。戦記と銘打ちつつも、単なる勝った負けたの国取り合戦の物語と一線を画す点は、そこにあるのではないかと思います。率直に言って戦争物にはあまりなじめないセガワが、ものすごい勢いで読破してしまったぐらいですから。
これらを次々と展開させる速水さんの妄想力は、ただごとではありません。ここでは想像力ではなく、敢えて妄想力と言ってみたいんですが。……失礼でしょうか、スミマセン。
絵の魅力についても、ぜひ書いておきたいところです。
速水さんの絵というのは大変に独特で、その独特のデフォルメというのはあんまり類例がないんじゃないかと思います。なんというか、当方は絵のシロウトなので的外れを覚悟で書いてみますが、どんなものを描くにしても、それは速水流のデフォルメの中に落とし込まれるのですよ。やたらに骨張った兵器や車でも、さまざまな人種でも、歴史上の人物でも、それがいったん作者の描線に取り込まれながらその本体を失っていない点は、見事としかいいようがありません。ほかの作者を引き合いに出すのは失礼に当たるかも知れませんが、鳥山明さんとか竹本泉さんなんかのやり方にちょっと似たものを感じるのですが。
特に人物の描写はセガワのお気に入りで、マレー半島あたりの戦争マニアの軍人とか、ウズベク出身のソ連兵とか、南米の小国の独裁者とか(どことなくイタリア系っぽいなあ、などと想像させるところがまたすごい)、「あーこんな感じの人がいそうだなあ」と思わせてしまう説得力がやけに強いのです。デフォルメと説得力というのは、実は両立する概念だと言うことに気付かされましたね。逆に言えば、いかに「リアルな」絵柄であっても、それが対象の特徴を巧みにすくい上げるものでなければ、写実的であるという以上の説得力は出ないのでしょう。
また、これも絵の魅力としては少々伝えづらいのですが、絵の細部が素晴らしいのですね。描き込んでいる、と言えばその通りなのですが、そのディティールがとことん生き生きしている。一個一個の小物に、なにか物語を想像させるものがあるわけです。雑然とした部屋とか、食堂にたむろする群衆とか、へんてこな建物とか、こういうのをやけに楽しげに、しかもものすごく説得力を持って描いてしまうあたり、作者の真骨頂だと思います。モブ(群衆)シーンをこんなに楽しげに描ける漫画家さんって、なかなか希有ではないでしょうか。
セガワは海外旅行マニアであるので、まあ世界のあちゃこちゃでいろんな風景を目にしているわけですが、例えばルーマニアの田舎のバスターミナルと来てはチャウシェスク時代の豪壮趣味を反映しているのか、やたらにだだっ広くて天井が高くて、真ん中にぽつんと一個達磨ストーブが置いてあるばかりの寒々しいところにスカーフかぶった大ぶとりのおばちゃんたちがひしめいていたりするわけです。また、アンダルシア山中の村と来ては山の斜面にひしめく白壁の家々を見上げるところに一本のオレンジの木が植わっていて、その木陰にちっちゃなバーが昼間からサングリアを出していたりします。そんな風景が、この本を読んでいるとまざまざと蘇ってきます。絵の描けないセガワの、視覚的な感興を思いきり呼び覚ましてくれる、そんな作用が速水さんの絵にはあるようです。
ちょっとだけ書く側の視点で話をしますと、セガワもいろいろとウソ話をこしらえるのが大好きで、そういう話をずいぶん書いてきました。以前は小説の丸ごとがウソ話で、独立間もない中央アジアの小国で医者とハンガリー人の青年医師が延々と語る話とか、ロシアと思しき片田舎で収容所から帰ってきたチェロ弾きの話とか、東南アジアと思しき屋台の料理の話とか、なんというかその、分類に困るし説明もしづらいような話ばかりなのですが、これは面白くて仕方ない作業でした。
さすがに今はちょっとそういう色合いが薄まったものの、ホラ吹きの血は拙作にちょっとずつ顔を覗かせています。まあ野暮だからいちいち書きませんが、「チューバはうたう」のアレとかコレとか、「飛天の瞳」のアソコとかアノアタリとか。ウソとホントを適度にブレンドするのがコツですね。
やっぱり、ウソを書くのって本当に楽しいことです。本書を読んで、しみじみとそう感じました。
……変ですかね。
なお、本書でお気に入りの話は、メキシコで飛行教官になってしまったイタリア軍将校の話「バトル・オブ・テキサス」、東南アジアの貧乏国家が三輪トラックを改造して一個師団を形成し、あげくイラクにまで出陣してしまう話「装甲三輪車伝説」あたりです。
ちょっとファンタジーの色合いが混じりますが、「海底戦艦パンタグリュエル」も実にいい話ですよ。おデブで狡猾な捕虜の潜水艦長と、貴族の娘にしていろいろと無茶をなさる海底戦艦艦長のラファリエール大佐の掛け合いが楽しい一作です。最後のオチがまた素敵で。ラファリエール大佐萌え(笑)。
ともあれ、この素敵な本が世に出たことを、心から喜びたいと思います。
面白いですよ。
連休中のことを書こうかと思ったけど長くなりそうなので、本日買った漫画のことを先に。
(本項は敬称略です、失礼)
−−−−−−−− ☆ −−−−−−−−
島本和彦「アオイホノオ」が素晴らしく良かった。
漫画家の書いた漫画モノにハズレはずれなしという言い方があるみたいだけど、身近な題材であることもさることながら、漫画という実はおそろしく手間のかかる表現技法に没入した記憶を誰しも持つからなんだろうなと思う。基本的に個人作業である表現手段の中でも、漫画の孤独さと手間のかかり方というのは群を抜いているんじゃないだろうか。
確かに藤子不二雄Aの「漫画道」も、吉田忠「ハムサラダくん」も、山本おさむ「ペンだこパラダイス」もみんな素晴らしかった。タイトルが思い出せないけどさいとうたかをの少年期を書いた話とか、comic新現実に載ってた吾妻ひでおの漫画もすごく良かった。(でもなぜか永島慎二のだけは微妙に苦手だ)
で、「アオイホノオ」、80年代初頭という日本の漫画の転換期を舞台に島本和彦の青春時代が書かれているわけだが、例によっての「熱い」画面が、なぜか異常に切なく伝わってくる。もともと作者はギャグの一環として少々意図的にあの「熱い」描法を取っている節があるようなんだけど、ここではその「熱さ」が実に見事に空回りしている。もちろん悪い意味ではなくて、それは主人公焔燃(ホノオ・モユル)の立場がどうやったって空回りせざるを得ないところにいるからなんだと思う。
完成させた漫画は一本もなく、金も地位も彼女もないけれど、漫画やアニメへの情熱は人一倍強い。周囲に群れをなして集まる異才秀才天才たちに圧倒されつつも、どこか焔は無闇な自己肯定にあふれ、1本の映画をオールナイトで4回も鑑賞し、インチキくさい筋力トレーニングマシンを通販で購入して筋トレにいそしむ。
なんか、もう、読んでいて嬉しくてたまらなかった。
焔燃はやたらに悩み、逡巡するものの、つまらない自己否定や自己憐憫には陥らない。他者の才能を認め、驚き、恐れるが、嫉妬はしない。「俺ならこうしてみせる」という根拠があるんだかないんだか分からないモチベーションに転化される(一本も作品を完成していないにもかかわらず!)。
この無闇な情熱が、無性に心地よかった。漫画ゆえの誇張を大いに含むと承知しつつも、嬉しくて仕方なかった。こういう闇雲さが許されるところに、まだ、焔燃は居るからなのだろう。
(批判を承知で書くけれど、対置して思い出されるのがちょっと前にヤンマガでやっていた『G戦場ヘブンズドア』という作品。これが自分はどうも苦手だったのだが、それは漫画を書くという行為に才能や確執という要素をふんだんに盛り込んでいたからなのだと思う。もちろん才能は必要なものだしそれを否定はしないが、高校生前後の人間たちがそんなことにこだわっていてどうなるものかというのが自分の意見。誰もがおしなべて出来ることを当たり前のように出来るようになってから、改めて度考え直したってまるで遅くはないことなのだから。この作品の意図を否定する意見ではないけれど、残念ながら自分にはどうしてもなじめない内容の作品ではあった。)
ちなみにこれは単行本の1巻だが、明らかにインチキな筋トレマシーンを繰り返した結果、焔燃にうっすらと腹筋がつき始めたところでこの巻は終わる。鈍重で執念深い鍛錬が、かすかに結実したことを示唆するラストだと思う。
いい漫画を読んだ。
(本項は敬称略です、失礼)
−−−−−−−− ☆ −−−−−−−−
島本和彦「アオイホノオ」が素晴らしく良かった。
漫画家の書いた漫画モノにハズレはずれなしという言い方があるみたいだけど、身近な題材であることもさることながら、漫画という実はおそろしく手間のかかる表現技法に没入した記憶を誰しも持つからなんだろうなと思う。基本的に個人作業である表現手段の中でも、漫画の孤独さと手間のかかり方というのは群を抜いているんじゃないだろうか。
確かに藤子不二雄Aの「漫画道」も、吉田忠「ハムサラダくん」も、山本おさむ「ペンだこパラダイス」もみんな素晴らしかった。タイトルが思い出せないけどさいとうたかをの少年期を書いた話とか、comic新現実に載ってた吾妻ひでおの漫画もすごく良かった。(でもなぜか永島慎二のだけは微妙に苦手だ)
で、「アオイホノオ」、80年代初頭という日本の漫画の転換期を舞台に島本和彦の青春時代が書かれているわけだが、例によっての「熱い」画面が、なぜか異常に切なく伝わってくる。もともと作者はギャグの一環として少々意図的にあの「熱い」描法を取っている節があるようなんだけど、ここではその「熱さ」が実に見事に空回りしている。もちろん悪い意味ではなくて、それは主人公焔燃(ホノオ・モユル)の立場がどうやったって空回りせざるを得ないところにいるからなんだと思う。
完成させた漫画は一本もなく、金も地位も彼女もないけれど、漫画やアニメへの情熱は人一倍強い。周囲に群れをなして集まる異才秀才天才たちに圧倒されつつも、どこか焔は無闇な自己肯定にあふれ、1本の映画をオールナイトで4回も鑑賞し、インチキくさい筋力トレーニングマシンを通販で購入して筋トレにいそしむ。
なんか、もう、読んでいて嬉しくてたまらなかった。
焔燃はやたらに悩み、逡巡するものの、つまらない自己否定や自己憐憫には陥らない。他者の才能を認め、驚き、恐れるが、嫉妬はしない。「俺ならこうしてみせる」という根拠があるんだかないんだか分からないモチベーションに転化される(一本も作品を完成していないにもかかわらず!)。
この無闇な情熱が、無性に心地よかった。漫画ゆえの誇張を大いに含むと承知しつつも、嬉しくて仕方なかった。こういう闇雲さが許されるところに、まだ、焔燃は居るからなのだろう。
(批判を承知で書くけれど、対置して思い出されるのがちょっと前にヤンマガでやっていた『G戦場ヘブンズドア』という作品。これが自分はどうも苦手だったのだが、それは漫画を書くという行為に才能や確執という要素をふんだんに盛り込んでいたからなのだと思う。もちろん才能は必要なものだしそれを否定はしないが、高校生前後の人間たちがそんなことにこだわっていてどうなるものかというのが自分の意見。誰もがおしなべて出来ることを当たり前のように出来るようになってから、改めて度考え直したってまるで遅くはないことなのだから。この作品の意図を否定する意見ではないけれど、残念ながら自分にはどうしてもなじめない内容の作品ではあった。)
ちなみにこれは単行本の1巻だが、明らかにインチキな筋トレマシーンを繰り返した結果、焔燃にうっすらと腹筋がつき始めたところでこの巻は終わる。鈍重で執念深い鍛錬が、かすかに結実したことを示唆するラストだと思う。
いい漫画を読んだ。








