高校時代からの友人、エヌムラ君が上京してきたので横須賀までツーリングしてきましたよ。横浜銀蠅とか上々颱風とかクレイジーケンバンドがおうたに歌った横須賀であります。リーゼントにサングラスにスカジャンでキめたイキな若衆が黒人の米海兵隊とドブ板通りで喧嘩してるところでもあります(誇張含む)。
最近寒かったけど、今日はわりと暖かくてバイク日和。
下道だけでずるずると走って一時間ほどで横須賀に到着。
さて最終目的地の猿島、東京湾に唯一浮かぶ自然島ということで、微妙に名の知れた微妙な観光地であります。こんな冬場に船があるかいなと思っていたが、思っていたよりも物好きは世間に多く、きっちり船は一時間に一便、乗る人も結構多かったですよ。

さて猿島、主なレジャーは海水浴にバーベキューに釣りといったところですが、意外にこんもりとした小山のような島で、ぐるっと一回りしても小一時間はかかります。しかも、かつては旧日本軍がトンネル掘ったり機銃据え付けたりして島全体を要塞化していたこともあって、ちょいとディープに歴史を忍ぶことができるのでした。
あ、ドイツのヘルゴラント島とちょっと似てるかしら。
似てないか。
まあそんな感じで島を一周し、魚を捕る海鵜を観察したり盛大にはしゃいでいる中年カップルを観察したり木更津方面の工場を観察したり海ッぱたで一人物思いにふける青年が盛大に波しぶきを浴びてびしょ濡れになるところを観察したりして、ひとしきり猿島を堪能して帰途につきました。
電車中心の生活だと気付きにくいんだけど、横浜-横須賀って結構な距離ありますね。しかも道が悪いんだ、いきなり片側一車線になったりして。
わりとくたびれてしまったので、横浜でエヌムラ君と軽くお茶など飲んだあとは首都高に乗ったのですが、ベイブリッジは風が強くて、バイクだと泣きそうなぐらい怖かったですよ。
まあ久しぶりに我が愛車スカラベオを都外に連れ出せたので楽しかったですよ。
時間があれば静岡とか長野とかまでも行ってみたいけど、遠いなあ……。
最近寒かったけど、今日はわりと暖かくてバイク日和。
下道だけでずるずると走って一時間ほどで横須賀に到着。
さて最終目的地の猿島、東京湾に唯一浮かぶ自然島ということで、微妙に名の知れた微妙な観光地であります。こんな冬場に船があるかいなと思っていたが、思っていたよりも物好きは世間に多く、きっちり船は一時間に一便、乗る人も結構多かったですよ。

さて猿島、主なレジャーは海水浴にバーベキューに釣りといったところですが、意外にこんもりとした小山のような島で、ぐるっと一回りしても小一時間はかかります。しかも、かつては旧日本軍がトンネル掘ったり機銃据え付けたりして島全体を要塞化していたこともあって、ちょいとディープに歴史を忍ぶことができるのでした。
あ、ドイツのヘルゴラント島とちょっと似てるかしら。
似てないか。
まあそんな感じで島を一周し、魚を捕る海鵜を観察したり盛大にはしゃいでいる中年カップルを観察したり木更津方面の工場を観察したり海ッぱたで一人物思いにふける青年が盛大に波しぶきを浴びてびしょ濡れになるところを観察したりして、ひとしきり猿島を堪能して帰途につきました。
電車中心の生活だと気付きにくいんだけど、横浜-横須賀って結構な距離ありますね。しかも道が悪いんだ、いきなり片側一車線になったりして。
わりとくたびれてしまったので、横浜でエヌムラ君と軽くお茶など飲んだあとは首都高に乗ったのですが、ベイブリッジは風が強くて、バイクだと泣きそうなぐらい怖かったですよ。
まあ久しぶりに我が愛車スカラベオを都外に連れ出せたので楽しかったですよ。
時間があれば静岡とか長野とかまでも行ってみたいけど、遠いなあ……。
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ヤモリのペットマスターである後輩とヤモリの話をしていたら、ふと四半世紀近く前の記憶、「折り紙でヤモリを折った人」のことを思い出しまして。ちゃちゃっと検索してみたら、出てきましたよ。つくづくネットって便利です。
前川淳さんという、天才折り紙作家。
たかが折り紙と思うなかれ、この人の作品は余りにもすごいのです。
折り紙に、「設計」という概念を導入し、必要なパーツを展開図に埋め込むという方法で「正方形の用紙をいっさい切らない」という制約ありの折り紙に飛躍的な作風の幅を広げてしまった人なのですよ。
残念ながら公式サイトがないようなので、こちらをご参照下さいな。
http://kazufujiatuo.ld.infoseek.co.jp/02maekawa.html
小学生のころの自分はドッジボールと野球嫌い、趣味はあやとりと折り紙というかなりのび太君度数の高いインドア系小学生だったのですが、確かこの頃に図書館から借りてきた折り紙の本にびっくり仰天してしまったのが前川作品との出会いだったと思います。「ビバ!おりがみ」という前川さんの初単行でした。
文字通り、震撼と言っていい感覚。結構高い本だったけど親にねだって買ってもらい、
小学生の自分に手に負えるようなレベルのモノじゃなかったけれど、それでも少しずつ折ってみては楽しみ、いろいろ眺めては驚愕したことを覚えています。
それから歴史が下り、折り紙もやらなくなってずいぶん経つんですが、改めて調べてびっくりしたのは、この前川さん、件の「ビバ!おりがみ」を上梓したとき、なんと弱冠26歳だったらしい。
もちろん26歳になってぽんと本が出せるはずもなく、それまで膨大な試行錯誤を重ねた結果がこの本なのでしょう。
その若さと革新性の両方に、つくづく驚嘆します。
この前川さんに限らず、モノ作る人の来歴を調べるに、最近つとに「その人がいつその仕事をしたのか」ということが気になります。
まあ二十歳ぐらいの頃だったら、立派な仕事をした人っていうのはたいてい自分よりはるかに年上なわけです。そうであればあんまり身近にも感じられないし、焦る理由も乏しい。「マー俺も歳とりゃそれなりの仕事ができるべや」と、悪い意味でおおらかな結論に至るわけです。もちろん先人たちもその年になるまでダラダラ遊び暮らしてたわけではなく、単にその年にいたって果実が実っただけのことなんでしょうが、まあ、当時の自分はそのへんに対して実に無邪気だったんでしょう。
で、自分がある程度年を食って、ようやく慌て始めたということです。お恥ずかしい話ですが。
そうしてみると、三十歳台というのはある程度の力押しで仕事ができる最後の時期なんじゃないかという気がします。引き合いに出すのもおこがましいけど、ジョイスもフォークナーもガルシア=マルケスも、三十台にものすごく濃密で立派な仕事をしていますし。
巨大な先人たちに伍せるなどと大それたことは思っちゃいないが、規範とすべき物差しを知っておくのは悪いことではないと思います。
そういうものがないと、底の浅い現場主義を省みるのは難しいと思うんですよ。
及ぶとは思わずとも、せめて足掻きたいとつくづく思います。
時間ってのはあるようでないものだし、それでいてあんがいゆったり流れるものですから。
前川淳さんという、天才折り紙作家。
たかが折り紙と思うなかれ、この人の作品は余りにもすごいのです。
折り紙に、「設計」という概念を導入し、必要なパーツを展開図に埋め込むという方法で「正方形の用紙をいっさい切らない」という制約ありの折り紙に飛躍的な作風の幅を広げてしまった人なのですよ。
残念ながら公式サイトがないようなので、こちらをご参照下さいな。
http://kazufujiatuo.ld.infoseek.co.jp/02maekawa.html
小学生のころの自分はドッジボールと野球嫌い、趣味はあやとりと折り紙というかなりのび太君度数の高いインドア系小学生だったのですが、確かこの頃に図書館から借りてきた折り紙の本にびっくり仰天してしまったのが前川作品との出会いだったと思います。「ビバ!おりがみ」という前川さんの初単行でした。
文字通り、震撼と言っていい感覚。結構高い本だったけど親にねだって買ってもらい、
小学生の自分に手に負えるようなレベルのモノじゃなかったけれど、それでも少しずつ折ってみては楽しみ、いろいろ眺めては驚愕したことを覚えています。
それから歴史が下り、折り紙もやらなくなってずいぶん経つんですが、改めて調べてびっくりしたのは、この前川さん、件の「ビバ!おりがみ」を上梓したとき、なんと弱冠26歳だったらしい。
もちろん26歳になってぽんと本が出せるはずもなく、それまで膨大な試行錯誤を重ねた結果がこの本なのでしょう。
その若さと革新性の両方に、つくづく驚嘆します。
この前川さんに限らず、モノ作る人の来歴を調べるに、最近つとに「その人がいつその仕事をしたのか」ということが気になります。
まあ二十歳ぐらいの頃だったら、立派な仕事をした人っていうのはたいてい自分よりはるかに年上なわけです。そうであればあんまり身近にも感じられないし、焦る理由も乏しい。「マー俺も歳とりゃそれなりの仕事ができるべや」と、悪い意味でおおらかな結論に至るわけです。もちろん先人たちもその年になるまでダラダラ遊び暮らしてたわけではなく、単にその年にいたって果実が実っただけのことなんでしょうが、まあ、当時の自分はそのへんに対して実に無邪気だったんでしょう。
で、自分がある程度年を食って、ようやく慌て始めたということです。お恥ずかしい話ですが。
そうしてみると、三十歳台というのはある程度の力押しで仕事ができる最後の時期なんじゃないかという気がします。引き合いに出すのもおこがましいけど、ジョイスもフォークナーもガルシア=マルケスも、三十台にものすごく濃密で立派な仕事をしていますし。
巨大な先人たちに伍せるなどと大それたことは思っちゃいないが、規範とすべき物差しを知っておくのは悪いことではないと思います。
そういうものがないと、底の浅い現場主義を省みるのは難しいと思うんですよ。
及ぶとは思わずとも、せめて足掻きたいとつくづく思います。
時間ってのはあるようでないものだし、それでいてあんがいゆったり流れるものですから。
CICALA-MVTA(シカラムータ)というバンドのライブに行って来ました。
どういうバンドかというと……
…………あぁー!説明に困る!!!
まあともかく。
ここ数年来の大ファンだったんですが、瀬川がこの人たちからの音楽から得た影響には図り知れないモノがあります。なにより、「音楽をジャンルにこだわらず聞く」耳は相当育ててもらったように思います。
どういうきっかけで知ったのかよく覚えていないんだけど、たしか10年近く前、友人からコンポステラってバンドのCDを貸してもらって、そこでチューバ吹いてる人が参加してるバンドだってことでシカラムータを知って、ついでにソウルフラワーモノノケサミットとか言った味の濃いチンドン・バンドのことも知ったりして、スピッツとかミスチルとかが大流行だった当時の世間並びに同世代と激しく乖離した音楽経験を積むわけであります。
……良かったのだろうか(笑)。
まあ良かったんでしょうね。
結局このへんのちょいとコースアウトな音楽経験が、mit Tubaに結実するわけですから。
このへんは創作の根幹にも関わることなんであんまり具体的に書きたくはないんだけど、mit Tubaに出てくる我樂多樂團のモデルの一部はシカラムータであったりします。まあいろいろ混ぜてるんですが。
で、作中に出てくる「黒帽子の男」、この方の外見はシカラムータのリーダーである大熊ワタルさんの写真から思いついたんです。『凸凹』ってアルバムに載ってた写真が印象深くて。国会議事堂の前で黒帽子かぶって、クラリネット構えてるっていうw。
まあもちろんご本人のことは存じ上げないんで、キャラの中身はまるで創作なんですが、やけに自信家だったり女にだらしなかったりとご本人に知られたら気まずいなーみたいな書き方をしてしまってどうしようかと思っていたら
ご 本 人 に 伝 わ っ て い た よ う で
うひゃあ申し訳ありません!という気分を抱えて池袋に行って参りました。
ライブの前半にやったKILLING FLOORというバンド、まったく予備知識なしだったんですが、これがかなりの大当たりでした。ジャズ・ファンクといえばいいのかしら。あんまりそのへんのジャンル分けには詳しくないんですが。
ドラム三人(!)が叩き出すゴリゴリのビートと、ちょいといなたいフレーズをぐんぐん変容させていくホーンセクション。これは気持ちよかったですよ。胸郭と腹膜にばんばん響いてきます。
凄い爽快感溢れるプレイでした。これはCD買おう。
で、後半のシカラムータであります。
いえ、実はライブは二年ぶりぐらいだったんですが、実に気持ちいい、相変わらずの変拍子ッぷりでした。7拍子とか11拍子とかそういうリズムで軽々とプレイしちゃうんですわ。あのタテノリとかいう機械的な陶酔とはまるで違った、ぐねぐねうねるグルーヴです。日本人の原風景には絶対ないリズムなのに、なんでこんなに楽しいんだろう。横隔膜や脊髄に直に響いてくる音圧も、ライブならではの迫力だったし。
「STARA PLANINA」「ある道化師の週末」といった自分の大好きな曲も聴けて、締めはやっぱり「アルバート・アイラー・メドレー」。
ああもう。解毒されるなあ。
実に幸福なライブでした。
ちなみにちょっと凄いなと思ったのはアンコールでやった「四丁目」という曲。最後の最後に、思いきりの全力疾走を見せられた気分でした。プロって凄いなあ。
で、このあと、大熊ワタルさんにダザイ賞の本をお渡ししてきました。ウワァ緊張した。
しかも、ミュージックマガジンという雑誌に拙作の書評を書いてくださったと言うことで思いきり恐縮しました。えーと、小説の登場人物のモデルになった人がその小説の書評を書く、と。
なんでしょうこのメタフィクショナルな偶然はw。読むのが怖いです。
いろいろお話を聞かせていただいたのですが、ちょっとびっくりしたのは、mit Tubaの作中に書いたバッハのチンドン風アレンジ、あれ、実際にやったことがあるんだそうです。
へええええ。完全に自分の妄想の産物だったんですが、そういうこともあるんだなあ。ちょっとうれしい。
そんなこんなでサインもいただき、興奮さめやらぬままちょっと焼鳥屋に入って一杯引っかけて、楽しい気分抱えて家に帰ってきました。
いや、柄にもなく幸福だと思いました、今日は。
ぶっちゃけ大熊ワタル・シカラムータへの献辞は太宰賞の受賞の言葉に書いちゃってたんですが、これは、mit Tubaが世に出ることになったら絶対入れようと思っていたんですね。
それが実現して、そのご本人たちに会うって言うのは、相当な幸運だと思います。ビートルズネタに小説書いてビートルズに対面するとか、三橋三智也ネタに小説書いて三橋三智也に対面するとか、まあいろいろ例は挙げられると思うんですが。
俺ももうちょっとがんばらなきゃと思います。
そうすることで、まれに、このような幸運が舞い降りるようですから。
どういうバンドかというと……
…………あぁー!説明に困る!!!
まあともかく。
ここ数年来の大ファンだったんですが、瀬川がこの人たちからの音楽から得た影響には図り知れないモノがあります。なにより、「音楽をジャンルにこだわらず聞く」耳は相当育ててもらったように思います。
どういうきっかけで知ったのかよく覚えていないんだけど、たしか10年近く前、友人からコンポステラってバンドのCDを貸してもらって、そこでチューバ吹いてる人が参加してるバンドだってことでシカラムータを知って、ついでにソウルフラワーモノノケサミットとか言った味の濃いチンドン・バンドのことも知ったりして、スピッツとかミスチルとかが大流行だった当時の世間並びに同世代と激しく乖離した音楽経験を積むわけであります。
……良かったのだろうか(笑)。
まあ良かったんでしょうね。
結局このへんのちょいとコースアウトな音楽経験が、mit Tubaに結実するわけですから。
このへんは創作の根幹にも関わることなんであんまり具体的に書きたくはないんだけど、mit Tubaに出てくる我樂多樂團のモデルの一部はシカラムータであったりします。まあいろいろ混ぜてるんですが。
で、作中に出てくる「黒帽子の男」、この方の外見はシカラムータのリーダーである大熊ワタルさんの写真から思いついたんです。『凸凹』ってアルバムに載ってた写真が印象深くて。国会議事堂の前で黒帽子かぶって、クラリネット構えてるっていうw。
まあもちろんご本人のことは存じ上げないんで、キャラの中身はまるで創作なんですが、やけに自信家だったり女にだらしなかったりとご本人に知られたら気まずいなーみたいな書き方をしてしまってどうしようかと思っていたら
ご 本 人 に 伝 わ っ て い た よ う で
うひゃあ申し訳ありません!という気分を抱えて池袋に行って参りました。
ライブの前半にやったKILLING FLOORというバンド、まったく予備知識なしだったんですが、これがかなりの大当たりでした。ジャズ・ファンクといえばいいのかしら。あんまりそのへんのジャンル分けには詳しくないんですが。
ドラム三人(!)が叩き出すゴリゴリのビートと、ちょいといなたいフレーズをぐんぐん変容させていくホーンセクション。これは気持ちよかったですよ。胸郭と腹膜にばんばん響いてきます。
凄い爽快感溢れるプレイでした。これはCD買おう。
で、後半のシカラムータであります。
いえ、実はライブは二年ぶりぐらいだったんですが、実に気持ちいい、相変わらずの変拍子ッぷりでした。7拍子とか11拍子とかそういうリズムで軽々とプレイしちゃうんですわ。あのタテノリとかいう機械的な陶酔とはまるで違った、ぐねぐねうねるグルーヴです。日本人の原風景には絶対ないリズムなのに、なんでこんなに楽しいんだろう。横隔膜や脊髄に直に響いてくる音圧も、ライブならではの迫力だったし。
「STARA PLANINA」「ある道化師の週末」といった自分の大好きな曲も聴けて、締めはやっぱり「アルバート・アイラー・メドレー」。
ああもう。解毒されるなあ。
実に幸福なライブでした。
ちなみにちょっと凄いなと思ったのはアンコールでやった「四丁目」という曲。最後の最後に、思いきりの全力疾走を見せられた気分でした。プロって凄いなあ。
で、このあと、大熊ワタルさんにダザイ賞の本をお渡ししてきました。ウワァ緊張した。
しかも、ミュージックマガジンという雑誌に拙作の書評を書いてくださったと言うことで思いきり恐縮しました。えーと、小説の登場人物のモデルになった人がその小説の書評を書く、と。
なんでしょうこのメタフィクショナルな偶然はw。読むのが怖いです。
いろいろお話を聞かせていただいたのですが、ちょっとびっくりしたのは、mit Tubaの作中に書いたバッハのチンドン風アレンジ、あれ、実際にやったことがあるんだそうです。
へええええ。完全に自分の妄想の産物だったんですが、そういうこともあるんだなあ。ちょっとうれしい。
そんなこんなでサインもいただき、興奮さめやらぬままちょっと焼鳥屋に入って一杯引っかけて、楽しい気分抱えて家に帰ってきました。
いや、柄にもなく幸福だと思いました、今日は。
ぶっちゃけ大熊ワタル・シカラムータへの献辞は太宰賞の受賞の言葉に書いちゃってたんですが、これは、mit Tubaが世に出ることになったら絶対入れようと思っていたんですね。
それが実現して、そのご本人たちに会うって言うのは、相当な幸運だと思います。ビートルズネタに小説書いてビートルズに対面するとか、三橋三智也ネタに小説書いて三橋三智也に対面するとか、まあいろいろ例は挙げられると思うんですが。
俺ももうちょっとがんばらなきゃと思います。
そうすることで、まれに、このような幸運が舞い降りるようですから。
FC2ブログというのを選んでみたんだけど、やたらに自由度が高くて驚いています。
以前やってたブログは某プロバイダのおまけだったんだけど、
テンプレートその他はほとんど固定だったからなあ。
htmlもいじれるのか。
すげえや。
もうちょっと記事が書きたまったら、色々いじってみようと思います。
次回作の資料集めなんぞということをやっていて、
無線の本を読んだりマグロの本を読んだり。
頭の中に情報放り込んで、かっちり物語を固める前に
じわじわ発酵させてるときというのは
いちばん楽しいときなのかも知れません。
オーストリア帝国の最後の皇太子、オットー・フォン・ハプスブルク氏が
まだご存命であることを知って軽く驚愕。今年95歳かあ。
欧州議会の議員やってたってのもイカス。
王位を追われちゃったヨーロッパの王様って結構多いけど、
スペインのカルロスⅠ世みたいに王位に復帰したり
ブルガリアのシオメンⅡ世みたいに面白いかたちで返り咲いたり
ドラマチックな話が多くて面白いですな。
以前やってたブログは某プロバイダのおまけだったんだけど、
テンプレートその他はほとんど固定だったからなあ。
htmlもいじれるのか。
すげえや。
もうちょっと記事が書きたまったら、色々いじってみようと思います。
次回作の資料集めなんぞということをやっていて、
無線の本を読んだりマグロの本を読んだり。
頭の中に情報放り込んで、かっちり物語を固める前に
じわじわ発酵させてるときというのは
いちばん楽しいときなのかも知れません。
オーストリア帝国の最後の皇太子、オットー・フォン・ハプスブルク氏が
まだご存命であることを知って軽く驚愕。今年95歳かあ。
欧州議会の議員やってたってのもイカス。
王位を追われちゃったヨーロッパの王様って結構多いけど、
スペインのカルロスⅠ世みたいに王位に復帰したり
ブルガリアのシオメンⅡ世みたいに面白いかたちで返り咲いたり
ドラマチックな話が多くて面白いですな。
まずは試験運用。