セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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音楽ネタではなく夜行バスの話です。ヤコバ。


週末、実に久しぶりに仙台→東京の夜行バスに乗ってきました。
もうおっちゃんエエ年やしなー、腰でもイわしたらかなわんワァと
インチキ関西弁で心配しておりましたが
もともと非常に睡眠が得意な体質なので、
高速に乗る前に爆睡、
PAで一度トイレに行ってまた爆睡、
気が付いたら東京駅八重洲口でしたよ。
「いちゃつくカップルや騒がしい馬鹿者が乗り物酔いに苦しみますように」という呪いを
入念にかけての乗車でしたが、
気が付いてみたら自分の方がとっととお先に入眠しておりました。
考えてみれば、ラオスの農村の道ばたでも中国人民列車の硬坐でも
昔の大垣夜行(非リクライニング)でも爆睡できたセガワです。
夜行バスぐらい楽勝です。


そもそも自分が長距離バス童貞を捨てたのは確か19の時、
よりにもよって新彊ウイグル自治区でのウルムチ→カシュガル路線です。
摂氏40度のタクラマカン砂漠の1000kmを2泊3日かけ、
中国国産バス(冷房非禁煙リクライニングなし)で爆走する
ぶらり人情タクラマカン砂漠灼熱地獄の旅を経験してしまったものですから、
大抵のえげつない旅程には耐えられるようになってしまった模様です。
ゴルムド→ラサ2泊3日の旅もトビリシ→イスタンブール1泊2日の旅も余裕でした。
……マーこれがいいことなのかどうかは微妙ですけど。


普段はどうしても鉄道を選択したくなるのですが(いろいろ楽だし)、
やっぱJRは正規運賃でまともに乗ると高いですよ。
GW中という理由で割引切符を使わせないJR東日本は腹を切って死ぬべきである。
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 下北沢シネマアートン映画「眠り姫」を観てきました。
 ユーロスペースでやってた本放映時に見逃していたのですが、4/25までアンコール上映だそうです。4/18の記事でご紹介した、侘美さんが音楽を担当なさっています。
 なお、この映画の原作は山本直樹の漫画、更にそれは内田百間の小説に取材しているようなのですが、どちらも未見です。以下の記述、その点ご了承下さい。


 非常に野心的な試みの映画でした。
 なにしろ、画面にほとんど人間が出てきません。最初と最後、主人公らしき女性の姿が(ほとんどシルエットで)見える他は、画面のほとんどは風景で構成されます。例えば学校のシーン、職員室の映像に生徒たちのざわめきや先生どうしの会話が聞こえますが、その話し手はどこにも写っていません。この手法は徹底していて、街中やファミレス、電車の中といった、本来ならばまず人間がいるであろう場面でも、人間の姿は周到に排除されています。
 見始めて数分、この意図に気付いたときは、これで一時間半観るのは少々しんどいぞと身構えたのですが、幸いそういうことにはなりませんでした。不思議なのですが、非常に印象的な風景の連続と、時に曖昧なセリフを追っているだけなのに、ほとんど中だるみすることなく観ることができました。
 これは、映画の途中に挿入される、きわめて抽象的な数カ所のシーンがうまく作用していたからかも知れません。主人公の夢を象徴しているのでしょうか、朝ぼらけの街路、あるいはどこかの川端、そういった風景に、音楽が被さります。それが、どこか不安をかき立てるフラジョレットやグリッサンドを多用した音響から、画面の移ろうにつれて柔らかい木管のハーモニーに流れていったりもします。これは本当に秀逸な、きわめて印象深いカットでした。この夢と思しきシーンだけでも、この映画は充分に観る価値があると思ったほどです。
 しかし、そうであっても、観るのに少々の疲労を感じたことは事実なのです。
 それはこの映画の採った手法のせいではないということは、先に強調しておきます。


 こういうストーリーの映画です。
 主人公は、おそらく20代の女性です。友人が24歳ということなので、その前後の年齢でしょう。中学校の非常勤講師をしています。はっきりとした理由は示されないのですが、主人公は自分の生活に違和感を抱いています。「部屋の中に誰かがいるような」といった言葉や、同僚教師の顔立ちへの言及に、そのことが端的に暗示されます。
 そのせいなのかどうか、主人公は非常に長く眠ります。「眠っても疲れが取れない」という趣旨のことを言い、起きるとたくさん水を飲みます。この眠りは、先に述べたような、非常に効果的な映像で暗示されているようです。そのほかにも、落下するピンポン玉や流れる雲と言った抽象的な映像が、主人公の独白を修飾します。
 主人公には高校時代からのつきあいの彼がいるらしく、その男はちょくちょく主人公宅に立ち寄ります。当然セックスなどもこなします。男は結婚する気も満々なようなのですが、主人公は今ひとつ乗り気ではありません。男はだまし討ちで母親に主人公を引き合わせますが、主人公はそのことに苛立ち、のちにはその母親が自室を無断で来訪したという妄想を抱いたりもします。
 結局、主人公は男と喧嘩します。はっきり別れたかどうかは、示されませんが。
 そののち、主人公は同僚教師の野口とちょくちょく二人きりで会うようになります。恋愛関係ではなさそうですが。野口は睡眠薬に溺れているらしく、しだいに痩せてゆきます。ここで、主人公は、眠る側から眠る野口を見守る側に逆転しているようです。主人公は最後に、男と別れて結婚を辞めることを野口に相談しますが、野口は辛辣な言葉を返します。
 そして、数日後、野口は自殺します。
 おおむね、こういった話の流れだと思います。


 自分がこの映画を観ていて少々の疲労を感じたのは、おそらく三つの理由があると思います。
 それは、一つ、この内容に象徴されるような問題を、今の自分はあまり痛切に感じられないことです。「今現在の自分に対する違和感」というのは、現代の日本人ならば多少なりとも抱える精神病理なのでしょうが、それはおそらく、(作中最後の野口のセリフに示されるように)どのように言い立てたところで解決の見える問題ではないのでしょう。傷一つない生活など、存在するはずがないからです。自分も確かに、二十歳のころならば自分に対する不安と不満と不充足に灼けるような苛立ちを感じてはいましたが、それは、残念なことに今の自分にはそれほど切実に感じることのできない問題です。
 もう一つ、この内容に象徴されるような問題に、ちょっとした懐かしさを感じてしまうことです。「今のワタシに対する不安」とは、誰しも抱く心理でしょうが、そこには確実に過多の差があります。それをすくい上げ、誰しもが抱く「甘やかな自己否定」と共鳴させるような作話手法が、確かに一時期の流行りであったな、と、今の自分は懐かしく思い出します。自己否定に到るほど、自己と向かい合っている人間が現在どれほど居るのか、自分には判断が付けられません。おそらく、携帯やらネットやらSNSやらといった、お手軽に自我を垂れ流せるツールがこれほどの隆盛を迎えたことで、自己に延々と向き合ってゆくことを多くの人間は放棄したのではないかと、自分には思われます。
 最後の一つは、自分が書き手のハシクレであるということで、自分ならばこう表現するであろうということをいちいち考え込んでしまうことです。もちろんこれは、この映画に限ったことではないので、ここでは詳述しません。


 もちろん、このような映画の「ストーリー」を逐一追いかけて云々するのは、少々野暮な行為かも知れません。しかし、これほど周到に仕上げられた映像を前に、その印象や雰囲気ばかりを追いかけるのはもったいないことだと自分には思われます。
 眠りゆく女性に不満の心理を象徴させるのならば、ぜひ、その女性が目覚めるところまで踏み込んで欲しかった、というのが、率直な自分の感想です。それは、とてもではありませんが、同僚教師の自死やカレシとの別れで解決されるような問題ではないだろうからです。
 それでなくとも、今どき、眠りたがる手合いが多すぎるのですから。


 なお、上映後に、七里圭監督と宮沢章夫さんのトークセッションが行われました。宮沢さんの質問が大変面白く、特に、こういう抽象的な映画でどのように時間の配分を行っているのか、という趣旨の問いかけは、まさしく舞台の人ならではだと思わされました。また、1995年という年を一つの節目とするかどうか、という問題提起は少々すれ違った感もあるのですが、お二人の世代差や世界観も相まって、非常に興味深い対話となったように思います。


 4/25まで上映は続くようです。連日20:30からのレイトショーです。見逃した方は、お早めにどうぞ。
というわけで4/13(日)。

「ゆびでひくもの、ゆみでひくもの」というコンサートに行って来ました。
知人の作曲家、侘美秀俊さんが企画なさったのですが、
ヴァイオリンとギターのデュオというなかなかに粋な組み合わせです。
後述しますけど、とりわけクラシックではこの編成の曲は少ないんですよ。
音色としては非常に相性よく聞こえますし、
編曲というかたちでは最近ずいぶん演奏や録音もされているみたいですが。
ギターは日渡奈那さん、ヴァイオリンは中根みどりさん。
お二人とも、実演を聞くのは初めてでした。


会場は下高井戸の、中国茶芸館Blue-Tというお店でした。
この場所がまたステキだったのですが、少々古びた(婉曲表現)雑居ビルの三階、
ふだんは中国茶を中心にしたカフェであります。
店内はお茶の香りが満ちてひっそりと静まり返っているのですが、
眼下には下高井戸の商店街、耳をすませば遠くの車の音や人のざわめきがかすかに聞こえてくる、
ちょっとばかり休日午後の世界から乖離したような雰囲気の場です。
ちなみにコンサートはお食事付き。
ビュッフェ形式でいろいろ選べた料理のなかでも、
とりわけカレーがすばらしくスパイシーでおいしかったことを書いておきます。


パガニーニのソナタ第1番からコンサートが始まりました。
今日の隆盛ぶりからは信じがたいことですが、ギターという楽器は、
どうも十九世紀の中葉までイベリア半島の民族楽器という位置づけを出なかったようですね。
従って近世のドイツあたりの作曲家は軒並みギターの曲を書いていないのですが、
ニコロ・パガニーニという超絶技巧ヴァイオリニストにしてイタリア出身の色男は、
愛人がギター弾きであったというまことに分かりやすい理由から
ギターの曲を何曲も作っております。
このポルノ野郎のおかげで近代ギター音楽の間口が広がったと考えると
色がらみの欲望もあながちバカにできませんね。
まあこういうの、芸術のジャンルでは(時に政治や科学のジャンルでも)ままあることですけど。
パガニーニの曲は何曲か演奏されたのですが、非常に意外だったのは、
実演で聞くと実に映える曲揃いだと言うことです。
率直に言って、パガニーニの曲というのはやたらにヴァイオリンが忙しそうなばかりで
どうも続けて聞くのはしんどい音楽だという偏見を持っていたのですが、
たった今そこにあるヴァイオリンからすいすいと流れ出てくれば
胸の空くように気持ちのいい音楽なのだと感じ入りました。
リストとかショパンの曲にも、似たような雰囲気があるような気がします。


侘美さんの曲も演奏されましたよ。
「ある日の3つのスケッチ」というヴァイオリンとギターの曲から、二曲。
一曲目は、朗々と歌いつつもどこか遠くから聞こえてくるようなヴァイオリンが、
二曲目は訥々と刻まれるヴァイオリンのピチカートが
非常に印象的でした。
眠りに落ちるときにそっとかかっていたら幸福であろうな、そんな曲でした。


なお、数曲はギターソロの曲でした。
日渡さんのギターは非常にキレが良くて、音の粒が明瞭でとても気持ちがいいのです。
カステルヌオーヴォ=テデスコのソナタ、武満徹「ギターのための12の歌」から早春賦、
特に後者は自分の大好きな曲です(この12曲はいずれも珠玉の商品だと思います)。
二曲演奏されたジブリのアニメの音楽が本当に素敵だったも付け加えておきます。
一つは魔女の宅急便から「海の見える町」、
一つはとなりのトトロから「さんぽ」。
特に一曲目、ギターで弾かれるとこれぐらい印象深い曲だとは思いませんでした。
また、会場にいた小さな女の子二人が少々退屈していたようなのですが、
二曲目が始まるなりさっと目を輝かせ、小さな声で一緒に歌っていました。
和みます。
箸休めと言えばあまりにも失礼でしょうが、
コンサートの合間に差し込まれた小粋なデザートであったと思います。


↓CDがありましたのでご紹介。
ジブリ・ザ・ギタージブリ・ザ・ギター
(2007/07/18)
日渡奈那

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コンサート終了後に侘美さんや日渡さん、企画をなさった梅原さんなどとおしゃべりしました。
それぞれの分野のプロフェッショナルの人と、こういう形で話ができるのは楽しいですね。
それに、冒頭にも書いたとおり、これは会場の選定を含め、とても素敵で小粋なコンサートでした。
不勉強かも知れませんが、あまり自分の知らない形態のコンサートでもあり、
多く行われていないと言うことは、実際に行うにはそれなりのご苦労もあったことと推察します。
携わった方々に深く感謝したいです。


図らずも二日続けてコンサートとなったのですが、
つくづく音楽というのは幅広く豊かなものだと改めて感じ入ります。
特に、両日ともヴァイオリンが全面に出てくるコンサートでしたが、
そこから紡ぎ出される音楽は大きく違い、そしていずれも非常に面白いものでした。
音楽というのは人間の生存にはこれっぽっちも必要ではないのですが、
実は人間、うたうことをやめたら死ぬ生き物ではないのかとすら思います。
そうでなければ、世界のあらゆる時代のあらゆる土地で、
人間たちが歌を歌い楽器を奏で、技を鍛え、新しい音楽を作りだし続けてきた理由が説明できません。
きのうの記事にも似たようなことを書きましたが、
「面白いもの」というのは、世界にまだまだいくらでも存在するのでしょう。


人生に飽きるには、まだ少々はやいようです。
先週はどういったことかやけに音楽づいた週末でした。
今さらながらご報告ですよ。


4/12(土)。
Violin Explosion 2008というライブに行って来ましたー。
以前、拙著をアルゼンチンまで空輸してくださった徳永先生からのご招待です。
徳永先生ありがとうございます。


これがまあ実に濃いライブでした。
出演したのは中西俊博さん太田恵資さん喜多直毅さんの3人。
それぞれにおっそろしく個性派のヴァイオリニストが3人集まると
どういうセッションになるのか、はなはだ興味がありました。


前半は各人のソロでした。
喜多さん→太田さん→中西さんの順序だったのですが、
中西さんが鋭角なリズムの気持ちいいタンゴ調の曲を聴かせたかと思うと
太田さんが濃厚な中近東風の「モズクス(だったかな)」を歌い、
中西さんがとびきり快速のアイリッシュ・リールを弾く。
もうこれだけで地球一周ですよ。
凄いライブだなこれは、と、この時点でしみじみ思いました。


後半は二人ずつのデュオ、そして3人でのセッションとなったのですが、
ここでそれぞれのヴァイオリンがさまざまに表情を変えるのが実に印象的でした。
と言ってもセガワがそれまで実演で聴いていたのは
シカラムータでの太田さんと、某東京うましか大学の学内ライブでの喜多さんという
それぞれのプレイヤーのごく一部でしかなかったのですが、
曲目や演奏者によって、プロフェッショナルのヴァイオリンというのは
色合いに音色に歌い方を実に幅広く変化(へんげ)させるモノだと思い知りました。
曲目を逐一メモっていなかったことが悔やまれるのですが、
たとえば太田さん・中西さんのジャンゴ・ラインハルトは、
その歌い方と軽やかさに思わず目を見張らされましたし、
最後の3人のセッションは、同じ曲をやっていながらに
これほどにヴァイオリンとは個性が出るものかと驚かされました。
あくまでこちらはド素人、ろくすっぽ音楽の素養も持ち合わせない聴衆に過ぎないと
ご容赦頂きたいのですが、
例えば中西さんのヴァイオリンが低く太く唸り、太田さんのヴァイオリンが高く細く歌うときに、
喜多さんのヴァイオリンはさくさくとリズムの楔を打ち込んでゆく。
そんな感じであります。
アンコールで演奏されたこれまたジャンゴの『タイガーラグ』、
あのとてつもない熱狂と高揚感は、滅多に経験できないものだったと
今になっても思います。
まったく使い古された言い回しなのですが、
それでも「ライブならでは」としか言いようのない、
会場の空気が熱い風で満たされたかのような一瞬でした。


なお、どうしても言及が後回しになってしまって恐縮なのですが、
その他のプレイヤーの方々が凄腕揃いであったことも付け加えておきます。
言ってみればこれほどに音楽ジャンルの違う3人に軽々とついてゆき、
ソロも掛け合いも平然とやってのけたのですから。
それからもう一つ、軽妙なトークはやはり太田さんの独壇場でありました(笑)。


それにしてもヴァイオリンという楽器がここまで幅広い色合いを持つことに
本当に驚きました。
それはもちろん、これだけの手練れかつ個性派のヴァイオリニストが一同に介したことで
はっきりと見えたことではあったのですが、
ヴァイオリンあるいはフィドルという楽器が
西洋の片隅から世界中に播種されたポテンシャルの一端を垣間見たような気分でした。
クラシックは勿論のこと、中近東の楽団やインドの大道芸人、
日本や韓国の演歌にムードミュージック、
ブルースやカントリー、タンゴやフォルクローレにまで
ヴァイオリンはぬけぬけと食い込んでそれぞれの歌を歌うのですから。


また、終演後に徳永先生とちょっと話していて思ったことなんですが、
こんなにも面白いライブを東京では聴くことが出来るんですね。
変な言い回しですが、正直に言って今回のライブ、
他人に説明するときにはちょっと言葉に迷うところがあります。
ジャズとも言えるしタンゴとも言える、中東や東欧の音楽とも言える。
といって曲目の半数はオリジナルの曲なわけですから、
現代日本の音楽といっても間違いではない。
突き詰めれば、「ヴァイオリンで演奏されるさまざまな音楽」としか言いようがない。
「間違いなく面白いから聴いてみてくれ」としか言いようがない。
これは、人に伝えるには少々難しいことなのですが、
しかし、伝えなければいけないなとも思うわけです。
少々大それたことを言えば、こういう面白いものが世の中に存在すると分かれば
ちょっとは人生も楽しくなると思うんですよ。
これは今回のライブに限ったことではなくて、
そのほかにも、それぞれの人にとって「実はものすごく面白い」ものが
必ず存在すると思うのです。
そういうものを探し当てるのには少々体力も時間も必要ですし、
運や人の縁も必要なのでしょうが、それは払うに足る苦労じゃないでしょうかね。
ある種の倦怠や不満足を、確実に覆す力を持つでしょうから。
少々気取って言うならば、「人生を嘆く前に」ということであります。


ともあれ、セガワにとってこの日はひどく幸福な夜でした。
翌日のコンサートについては、また明日書きます。


(追記)
ものすごく詳細に曲目を解説して下さっているブログがありましたので、リンクを貼っておきます。
こちらです。
ワタシのようなヘタレオーディエンスにはつくづくありがたいですよ。

(さらに追記)
上のリンクのアドレスが間違っていたので修正しました。重ね重ね失礼いたしました……。
交響曲ニ長調

四月のある日
埼玉県春日部市あたりを
自転車で徘徊していたら
とつぜん水と泥のにおいがした
なんということだ
こういう日は早く家に帰ろう
帰ったら窓を大きく開けて
ドヴォルザークの交響曲を聴こう
ボヘミアの片田舎の旅籠屋の小倅が
音楽の神に心から愛されて起こした
豊かで惜しみない奇蹟を聴こう


べつだん畏まることはない
人の手によるもっとも豊かな果実であるくせ
ここには
春はじめて鳴く鳥や
野の上に満ちる陽光や
百姓どものらんちき騒ぎが
音楽の深い淵の中にいっぱいに詰まっている
まるで春の泥が
珪素や燐やカリウムや
仔虫の骸やそれを喰むバクテリアや
そして生み出される窒素や糖やアミノ酸に満ち
巨大な混沌と連鎖の果てに
やがて群がり育つ
あまたの実りを支えるように


そうだこうしてはいられない
こういう日には早く帰ろう
そして家の窓を開けて
ドヴォルザークの交響曲を聴くのだ



-------- ☆ --------


久しぶりに、昔書いた詩をあげてみました。


今日はやけにいい天気でしたが、
小説を書きながら久しぶりにドヴォルザークの交響曲を聴いていました。
ドヴォルザークというものすごい天分に恵まれた作曲家が
その資質をまるで出し惜しみもせずにどんどん音楽の中に放り込み、
ちょっとまとまりの悪いところもあんまり気にせず豊潤な音をぎゅうぎゅうに詰め込んだ、
そんな感じのこの上なく魅力的な曲だと思います。
まさしく、これこそが春なのだなと思わせるような曲です。

ドヴォルザーク:交響曲第6番ドヴォルザーク:交響曲第6番
(2005/09/21)
クーベリック(ラファエル)

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友人から電話あり。
「あっどうだったこないだのシカムラータのライブ」
シカラムータです。


-------- ☆ --------


ネットニュースで見付けた、ものすごくステキな動画をご紹介。
1歳から100歳までの100人が順番に太鼓を叩いて行くムービーです。
動画への直接リンクはこちら。
内容はそのまんま。イギリスのフィルムのようですが、1歳から100歳までのいろんな人々が
順繰りに太鼓を叩いてゆくだけです。
「だからなんなの?」とお思いかも知れませんが、なかなかどうして。
見入ってしまいますよ、これは。
「人間は年を取るのだ」というごく当たり前のこと、そして、
「人間は死ぬまで年をとり続けるのだ」ということを、まざまざと実感できます。
1歳から25歳ぐらいまでの、めまぐるしい成長のありさまもほほえましいですが
(おちびさんが子供になって反抗期迎えてちょいと落ち着いて、なんて雰囲気が一瞬のうちに読みとれます)、
それ以降、20代から40代までのじっくりと煮えてゆくような成長の雰囲気もなかなか興味深い。
意外だったのが50歳以降、このフィルムでは後半です。
単純に「老人」と括りたくなってしまうこの時期でも、なお、人間は鮮やかに変化し続けるみたいです。
出てくる人々の人種や社会的立場もさまざまなようで、そこにも想像がめぐりますね。
「太鼓を叩く」というシンプルな動作で統一しているところも、このフィルムのうまいところです。
生真面目に叩く人あり、投げやりに叩く人あり、なにか一発カマしてやる気満々な人あり、
その動作にもまた各人の個性が投影されてますね。
個人的には、1,15,20,26,39,40,44,59,72,78,83,86,96,99,100歳の人が
特に印象に残りました。
改めて見直すと、お年寄りの方が面白いなあ……。


自分は、小説中にわりと幅広い年齢層の人間を出したくなるのですが、
こういうフィルムを観るといっそうその嗜好が強まりますね。
拙著「チューバはうたう」に収録した「百万の星の孤独」はそれを少々意識的にやってみた作品で、
10歳から88歳までの人物を登場させています。
どうも、同じ年齢でひとかたまりになっている集団というものに
あまりドラマを感じないからなのかも知れません。
特に、世代論めいた区分は本当に苦手で、そういうものに寄り添って人物を作り上げることだけは
慎みたいと思っています。
必ずしもうまくいくとは、限らないことですが。


余談ながら、太鼓を叩くと言えばどうしてもギュンター・グラス「ブリキの太鼓」を想像してしまうのですが、
あちらのオスカル・マツェラートが3歳で成長を止めた奇怪な人物像であることを考えると
このフィルムはいっそう面白く感じられますね。
制作者も、意識していたんでしょうか。


あんまりニュースサイトや動画サイトって観ないんですが、
せっかくこれだけ便利なツールが出そろっているのですから
こういうイカした作品がもっと出てくるといいなと思います。
本作は、単純なように見えて相当な手間がかかっているものとお見受けしますが……。


-------- ☆ --------


ちょっと思い出したので、微妙に関連する写真集をご紹介。
100歳を超えた人たちの写真を集めた写真集です。これもステキですよ。

笑顔のクスリ―百歳王笑顔のクスリ―百歳王
(2004/03)
黒川 由紀子、小野 庄一 他

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「ブリキの太鼓」はこちら。
なんとなく途中で挫折した人が多そうな小説ですが(笑)、
グラスの独特な文体になれてくると、2巻に入ったあたりからモリモリ読めますよ。

ブリキの太鼓 第1部 (1) (集英社文庫 ク 2-2)ブリキの太鼓 第1部 (1) (集英社文庫 ク 2-2)
(1978/09)
ギュンター・グラス

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本日発売のダ・ヴィンチ5月号に、ちょびっと瀬川のインタビューが掲載されましたよ。
42ページに控えめに載っております。
それから、筑摩書房のホームページにもインタビューが載りました。



まあ、
なんというかその、






中坊林太郎の画像を貼って
顔は関係ねえだろ?顔は!おー(葉巻ブハー)」
をやりたかったのですが、
近所の書店にもブックオフにも中坊林太郎のコミックスがなかったので断念しました。
というわけで、先日お伝えしたとおり、
CICALA-MVTAのライブ「シカラムータ・ダブルビート・オーケストラ」を聴きに行って参りましたー。
チューバを題材にした小説を書いて以来、不思議なご縁ができての参加となったのですが、
いやもう、至福の時でありました。
これがどんな音楽であるかといえば、あんまし説明になっていませんがこちらをどうぞ。


なにしろ今回はツインチューバにツインドラムという滅多にない編成なのもさることながら
(更にみわぞうさんのチンドンを加えたらトリプルドラムだな)、
シカラムータのフルメンバーが揃ってのライブでありました。
これもまた滅多にないことなのだそうです。
ありがたいことに曲目を記録して下さった方がいましたので、大いに参考にさせて頂きます。
トラックバックのアドレスです。


曲は新旧取り混ぜて、と言いたいところですが、シカラムータは
同じ曲でもライブごとにどんどん変容していくのだなと思い知らされたライブでした。
これは今回ほとんどすべての曲で言えたことですが、
途中からソロが入り、フレーズを変容させ、何度とない繰り返しの中に少しずつの変化が混じり、
ほとんど分解してしまうんじゃないかとハラハラするぐらいに拡散し、広がりきった音楽が
一瞬で元のフレーズに回帰する、そんな驚くべき瞬間を何度も経験しました。
この自在と統率とが共存していたのは、本当にすごいことだと思います。
特にはっきりそのことに気付いたのは、4曲目「急な坂」でした。
確か2002年に発売のアルバム「凸凹」に収録のゴキゲンな曲です。
6年前の曲を、今のシカラムータがやるとどんな風に料理の方法が変わるのか、
そのことが鮮やかに聞こえてきた演奏でした。


休憩のあとの1曲目は、「泥の道」という昨年末の新曲でした。
拙作「チューバはうたう mit Tuba」の中から曲名を採って下さったのです。
これだけでも身に余るありがたい話なのですが、
この次の新曲も、なんと同じ小説から曲名を採って下さいました。
ステージにお呼ばれしてちょびっと挨拶をしたのですが、そこでのことです。
「火の中の火」。
ほんのちょっと誕生に手を貸した曲をその場で聴くという、滅多にない幸運に恵まれました。
これが、ものすごくいい曲だったんですよ。
率直な情熱と迫力に満ちた曲で、のっけからブラスの全奏に圧倒されます。
「ああなるほど、これは火だな」としみじみ思いました。
自分は小説の中に架空の音楽を出すとき、それがどんな音楽であるのかということは
ほとんど考えないんですね。
「それがどんな風に聴かれるか」ということは考えますが、
「それがどんな音楽であるのか」を考えるのは、自分の能力に余るわけです。
なので、この日は、「火の中の火」が実際に存在するとしたらこういう音楽になるのかも知れないな、と
幸福な想像に浸りながらこの曲を聴きました。
これは、本当に、書き手冥利に尽きる出来事だったと思います。
ありがとうございました。


アンコールはやはり「アルバート・アイラー・メドレー」(これもまたライブごとの変化に驚かされる曲です)、
そして「四丁目」。大熊さんやみわぞうさんが客席にまで出てきての、
アンコールとは思えないぐらいの熱演でお開きとなりました。


このあと、物販の片隅で、「チューバはうたう」を販売させていただきました。
おかげさまで、持ち込んだ分を完売することができましたよ。
時にスペルを間違えつつも、もりもりサインもしました。
手伝って下さった編集さんと、わざわざ駆けつけて下さった編集さんにも深く感謝いたします。
不思議な、そして嬉しいご縁でサイン会が出来ましたが、
あとは作品が楽しく読まれることを祈るのみです。


終了後、ビールなどを飲みつつメンバーの方々とお話しする運にも恵まれました。
ギターの桜井さんが読書家で、本についてかなり面白い話が聞けたり、
ヴァイオリンの太田さんのMCについてかなり面白い話が聞けたりと
このあたりも個人的には非常に実り多い時間でしたよ。
(太田さんは4/12にもライブをやります。
 また改めてお知らせするつもりですが、超絶技巧ヴァイオリンにご興味おありの方は是非。)


そんなこんな、とても楽しい夜でした。
大熊さん、みわぞうさんをはじめ、シカラムータの皆さん、本当にありがとうございました。


せっかくですのでシカラムータのアルバムをご紹介。下に行くほど新しいです。

シカラムータシカラムータ
(2000/08/23)
シカラムータ

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凸凹(デコボコ)凸凹(デコボコ)
(2001/10/24)
シカラムータ

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ゴースト・サーカスゴースト・サーカス
(2004/05/08)
シカラムータ

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生蝉★CICALA-MVTA★LIVE!2006生蝉★CICALA-MVTA★LIVE!2006
(2006/09/27)
CICALA-MVTA

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segawashin

Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
ホームページはこちら。
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