セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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 ホームページのトップを実に久しぶりに変更しました。クリックするとカラーになるって気付いてる方はいらっしゃるんでしょうか。


 そういえばポルトガルで面白かった話が一つ。
 ポルトガル人はあんまりフレンドリーじゃないぜ!という趣旨のことを前々回に書きましたが、まあ稀にフレンドリーな人もいまして。ポルトガルに着いた次の日の朝、ロシオ広場のベンチに腰かけて地図を眺めていたら気さくにに話しかけてきたお兄ちゃんがいました。おージャパニーズか、俺は日本が好きだー、みたいなことをへたくそな英語で言ってきて、そのあと放送禁止用語を口走っていたのでよく顔を見てみたら目の焦点が合っていない人でした。多分おクスリ関係のジャンキーだと思います。
 あらやだヤク中じゃないの、ってことに気付いてそそくさと逃げ出したのですが、前回のエントリーでご紹介したアントニオ・タブッキの「レクイエム」という小説、この主人公がリスボンにやってきて初めて話す人物がやっぱり麻薬中毒の青年なんですよね。すごい符合。といってこのあとにアレンテージョ出身の心優しき娼婦ヴィリアータに会うようなこともなく、バイロ・アルトの裏通りでおじさんだかおばさんだか即座に判断できないような立ちんぼの人に声をかけられて、びびって逃げ出したぐらいだったんですが。


 このことに引っかけてロシア人力士の大麻のことでも書こうかと思ったんですが、あんまり時事ネタは扱いたくないのでやめておきます。まあ、リンチ殺人の時に比べてずいぶん処分が早い&厳しいなあとか、今どき日本の若い衆で力士になりたがるやつも少ないのにあんな逸材を永久追放ってもったいないなあとか、せっかく各国から剛の者が集まってきてリアル男塾みたいで面白くなってきた大相撲だったのに(天挑五輪大武會的な意味で)外国人力士に偏見もたれたら残念だあとか、ミュージシャンや芸能人ではわりとうやむやになっちゃう大麻使用が力士の時は大騒ぎだなあとか、そもそもセガワの世代では双羽黒の廃業とか若貴兄弟の確執とかであんまり力士に清廉潔白な要素は期待してなかったんだけどここぞとばかりに国技の品格とか言い出す人の相撲像はセガワとはずいぶん違ったモノなんだろうなあとか、まあそれなりに思うところはあるんですが。それにこういうことを述べる資格があるほど相撲を見ているのかというと見てないですからね。自宅にテレビないですし。


 ちょっと本業とか小説書きとかが忙しいので、更新は滞りがちになると思います。元々あんまりマメに更新してなかったですけど……。
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今回旅先で読んだ本です。


・アントニオ・タブッキ「レクイエム」
 まあご当地ものと言うことで。
 例によってタブッキの筆致は軽妙で軽快、まるで飽きることなくひとつらなりの物語を読むことができました。ただし、読後の印象としては「供述によるとペレイラは……」よりは、断然「インド夜想曲」に近い。正直なところ、この軽妙さが充分に焦点を結びきらないまま物語は結末へとなだれ込み、ある種のノスタルジアのような感情に紛らされてしまった印象も受けました。調べてみたら本作は、「ペレイラ」よりも前の執筆でしたね。
 こうなると「フェルナンド・ペソアの最後の三日間」も読んでみたいところですが、古書でけっこうな値段になっちゃってるんだよなあ……。

レクイエム (白水Uブックス―海外小説の誘惑)レクイエム (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
(1999/07)
アントニオ タブッキ

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・井上光晴「象を撃つ」
 これはまだ半分ぐらいしか読んでいないのですが、少々時代を感じさせる生硬さにくたびれる以外は(非常に迂遠な会話とか作為的な人名とか)、興味深く読んでいます。しかしそれにしても、読んでいて寒々しい気分になって仕方のない小説です。これは小説の出来映えとは関係なく。このかさついた人間関係の物語を最後まで読み通せるかどうか、ちょっと今のところは自信がありません。

象を撃つ (1970年)象を撃つ (1970年)
(1970)
井上 光晴

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・パウロ・コエーリョ「星の巡礼」
 拙作「百万の星の孤独」で、赤瀬川怜仁さんが読んでいた本。改めて読んでみましたが、こういう小説を読んでいる女子高生ってなんというかその、実際のところ扱いづらい娘であるような気がいたしますよ(笑)。こういう探求はもうちょっと年食って体にガタが来て、人生への不安がもっと具体的な形になって立ち現れてからでいいんじゃないの、と、今なら彼女に言ってあげたい気分になります。

星の巡礼 (角川文庫)星の巡礼 (角川文庫)
(1998/04)
パウロ・コエーリョ山川 紘矢

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・ジャン・エシュノーズ「チェロキー」
 ピカレスクやフィルム・ノワールのテイストをふんだんに盛り込んだ物語。こういうアプローチの仕方は嫌いじゃないです。今年初頭に読んだミシェル・リオ「踏みはずし」がどうしても思い出されたのですが、こういうアプローチが今のフランスの小説には結構あるんでしょうか。
 ただし本作、探求の物語と言うにはちょっとだけ軽いような気がします。最初はベケット「マーフィー」とかピンチョン「競売ナンバー49の叫び」あたりを想像していたのですが、探求することじたいの混乱や痛みみたいなものが感じられる小説ではありませんでした。さてそうとなると、ちょっと感想が述べにくい小説ではあります。

チェロキー (新しいフランスの小説)チェロキー (新しいフランスの小説)
(1994/11)
ジャン エシュノーズ

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・今福龍太・沼野充義・四方田犬彦 編「怒りと響き」
 15年ぐらい前に出た世界文学のアンソロジー。ボウルズとかルシュディとかジョナス・メカスとか、旅先で読むのに実に面白い作品が揃っていました。しかしこのピエール・ギヨタって人はすごいなあ(なんとなく、訳すの大変だっただろうなあとも思いました)。こういう作家が読者を獲得できてしまっているフランスという国も妙に懐が深い。このシリーズ、他の巻も探してみようかな。

世界文学のフロンティア〈6〉怒りと響き世界文学のフロンティア〈6〉怒りと響き
(1997/03)
今福 竜太

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フェルナンド・ペソア「ペソアと歩くリスボン」
 これもまあご当地モノなんですが、なにが凄いかってこの七〇年以上前に書かれた文章に沿って、ほとんど現在のリスボンも歩けてしまうというところ。ポルトガルという国の強固な停滞を垣間見る気分にもなれます。

ペソアと歩くリスボン (ポルトガル文学叢書)ペソアと歩くリスボン (ポルトガル文学叢書)
(1999/06)
フェルナンド ペソア

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・倉橋由美子「迷路の旅人」
 第二エッセイ集と言うことなのですが、本当に楽しく読めました。旅行中、心身ともに疲れ切っているときにこういう正確で辛辣な文章を読むと、ちょっとだけ頭の中の霧が晴れるような気分になります。例えばジョン・アップダイクについて書かれた文章、執筆時が一九七〇年なのでこの作家についてはかなりはやい時期の日本語での紹介と言うことになりそうですが、例えばこんな部分、ちょっと長くなるけど引用します。

(以下引用)
 フォクシーはピエットと寝るつもりでコンドームを持ってきたもので、避妊用ジェリーの新しいチューブをコグズウェルのドラッグストアで買ってきたと打ち明けた。

 これもよく磨かれた清潔な便器の中を見るような文章で、またこういうことを打ち明ける女の気持ちにはほほえましいものさえ感じられるが、私ならば男にこんなふうに打ち明けるかどうかは別として、小説の中にこれを書かないことだけは確かである。
(引用終わり)

 アップダイクは日本でもかなり広く読まれているアメリカの作家だと思いますけど、なかなかこういう意見を読むことは不勉強のせいもあって、自分にはなかったと思います。このほかにもこのエッセイには、「書かれること」「書かれないこと」を厳しく弁別し、ある種の不用意なあけすけさを厳しくいましめる文章が随所に出てきて、正直なところ物書きのハシクレとしては身のすくむような思いをしたこともしばしばでした。
 エッセイとは個人的な経験といっときの感情とひとつまみのイイ話を適当に混合したものなどでは決してないのだという、きわめて当たり前のことを再認識させてくれる、おっかない文章で満ちております。お勧めです。


 なお余談ですが、倉橋さんが今から三〇年ほど前、ポルトガルに二年ほど滞在していたことを巻末の年譜で知って本当にびっくりしました。根本敬さん言うところの「偶然という名の必然」なんでしょうか、これは。
 
迷路の旅人 (1972年)迷路の旅人 (1972年)
(1972)
倉橋 由美子

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 先週末、無事ポルトガルより帰って参りました。
 やはり総じての印象は、残照の国の一言に尽きるような気がします。リスボンにポルト、美しい町並みや壮麗な教会があまりに見事なだけに。とりわけポルトの旧市街地は見事で、地形と建造物とが有機的に絡み合ってこれほどに立体的な町並みを作りだしている例を、自分の狭い見聞ではほとんど知りません。しかし、こういう町のインフラのたぐいをよくよく見ればけっこうくたびれてガタが来ており、どうも地中海性の気候と相まって、西欧というよりはバルカン半島あたりのどこかの街にいるように思えて不思議でした。雰囲気で言えば、マケドニアとかブルガリアに似ているような印象です。


 食べ物はたいそう美味しかったですよ。とりわけ、魚を多彩に料理する点については、日本に勝るとも劣らないような気がします。和食は少々生魚をありがたがりすぎるきらいがあると個人的には思うのですが、ポルトガルはそれがない分だけ、焼き、煮込み、揚げ、塩漬けにしてまたなにかと混ぜ込み、魚とその他の食材を器用に調和させているようです。
 もっとも、店によってずいぶん調理の腕に差があるようにも感じたのですが……。


 それともう一つ、ポルトガル人の気質はちょっと他の地中海沿岸の地域と違っていて、ある種の人なつこさみたいなものを感じることが少なかったように思います。よく言えば素朴なのかも知れませんが、まあ要するに総じての印象はぶっきらぼうでした。もちろん、愛想の良さと本質的な親切さとはまったく別のものだと理解してはいるのですが、それでも完全に異邦人の旅行者としては、なにか問いかけたときにぶつ切りの一言で返答したきり目を背けられてしまうと、どうもすっきりしない感情が募るのは確かです。英語が通じにくいことは仕方がないとしても、一応はヨーロッパ有数の観光地である街に行ってもそんな印象が拭いきれなかったです。
 もちろん、ポルトのホテルのおっちゃんおばさんとか、オビドスのカフェのお姉さんとか、少なからぬ例外にも出会っているんですけれどね。ことによれば彼らは、少々人見知りのような感情が強いのかも知れません。


 それからもう一つ、ポルトガルの書店はあまり大きいところがなかったです。ロードマップコレクターの自分はかなり苦労をしてイベリア半島のロードマップを購入したんですが、見たらフランスの出版社が出したやつでした。
 そんな品ぞろえだけれど、きっちりアントニオ・サラザールの伝記&写真集が売られていたり、アンゴラやモザンビークやマカオや東チモールの「植民地時代の」写真集が売られていたりするあたりは……なんというかその、ちょっとうすら寒い気分になりました。ここまで国が斜陽になっても(だからこそ、と言うべきか)、過去の栄光を回顧したい人がいるということなのでしょうかね。日本で戦後30年たってから「満州」「パラオ」みたいな写真集が出てしかもそれが結構売れているような状況を想像すれば近いのではないかと思います。
 ポルトガル植民地主義者というのは、あまり詳しくない分野ではありますけど、興味をそそられますね。フランスやイギリスのそれよりも、もっと頑固で浮世離れしている印象があります。そういえば、ナイポールの小説に、グダグダになった植民地時代のモザンビークの描写が出てきたことを思い出しました。


 まあそれはそれとして、ちょっとだけ写真をご披露。

Port

とにかく見事なPortoの旧市街です。


Tuba bar

Obidosで面白い店を見付けました!Barと書いてありますけど、まあふつうのカフェテリアです。
しかしなぜにチューバ?


Pesoa

こちらはまあお約束ですが。フェルナンド・ペソアさんと写真を撮って参りました。
今年は生誕120周年だそうです。

segawashin

Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
ホームページはこちら。
www.segawashin.com
ツイッターはこちら。
http://twitter.com/#!/segawashin

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