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セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

 今年から園芸部に入部しました。つっても部員はセガワ一人ですが。部長兼副部長兼会計兼会計監査で頑張っております。
 拙作「ミサキラヂオ」で農業青年のことを書いたわりには俺農業やったことねえなあ……という反省もあり、ちょいと植物ネタで小説書けないだろうかという色気もあり、まあいろいろあって始めてみたんですが。いや、すげえ楽しいです。マジで楽しいです、園芸。
 とりあえず五月の上旬、近所のホームセンターでプランターと土とゴーヤーの苗とジョーロを買ってきましたよ。


5/13

 土を湿らせてちょいと肥料を入れて、ゴーヤーの苗を植えました。


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 一週間でこんな具合です。まだひょろひょろなんで、風よけに気を使いました。


 写真が残ってないんですが、このあと棒を立てて蔓を絡ませてます。これが軌道に乗るまで、結構手間でした。美味いこと棒に絡んでくれないんで、あちこち縛ってみたり。
 あと、植えて二週間目ぐらいで肥料の追加をしています。


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 三週間でこんな感じ。棒を立てて絡ませていたんですが、だいたいてっぺんまで蔓が伸びたのでネットを張りました。ちなみに右がゴーヤー、左がヘチマです。ヘチマはゴーヤーの一週間遅れぐらいで植えました。育て方はほとんど一緒です。


6/13

 ちょうど一ヶ月で花が咲きました!多分これは雄花ですね。かわいいなあ。


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 こちらはヘチマの花。ゴーヤーに一週間遅れぐらいで咲きました。


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 そしてこれが先週。もうすっかり緑のカーテンになりました。ゴーヤーもヘチマも、むちゃくちゃ伸びるのが速いですよ。さすがは南の植物だなあ。


 そんな具合で、現在ベランダにはものすごい勢いでゴーヤーとヘチマが繁茂しております。雄花も雌花も揃ってきたんで、ちょっと受粉のお手伝いをしたりしています。余計なことせず、虫に任せとけばいいのかな。
 しかし、まあ、こんなに植物育てるのが面白いとは思っていませんでした。やっぱり生き物はいいですね。それに、あんなちんまい苗がここまで育つと、なんかある種の感動があります。最初にちょっと肥料をやっただけで、後はほとんど自力で光合成して栄養を作って大きくなったわけですから。植物はすごいなあ。
 後は、うまいこと実がなってくれることを期待しましょう。夏野菜で料理するのが楽しみだ。


 そんなわけで、ゴーヤーやヘチマを育てたご経験のある方、コツがあったら教えてください。ほとんど自己流でやってるので、これでいいのかちょいと不安。
 あ、それから、別のプランターでは大豆がすくすく育っています。
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 下北沢の本多劇場で、劇団昴のお芝居「となりで浮気?」を観てきました。こちらのパンフレットにエッセイを書かせて頂いたご縁です。ご紹介頂いたイタバシミノルさんと劇団昴の菅野さん、ありがとうございました。


 セガワはあんまり観劇をしないんですけど、逆に新鮮に舞台が見られて面白かったですね。
 とりわけこの作品、二組の夫婦の浮気が話の中心になって進むのですが、これが同一の舞台で同時に進行するのです。つまり夫婦Aと夫婦Bは同じ舞台に立ちながらも、お互いの会話は全くないものとして話が進むわけです。
 ああ、これは面白い仕掛けだなあと思いました。演劇をやっている人には、珍しくない手法なのかも知れませんが。俳優さんの導線や、セリフの間合い(同時に喋ったらなに言ってるか分かりませんからね)など、かなり周到に計算されているものとお見受けしました。小道具・大道具の配置もすごくよく考えられていると感じましたよ。
 どうしてももう性分としては一観客として素直に劇を観られないのが残念ではあるのですが。学ぶところの多い舞台でした。


 少々我田引水な話になりますが、舞台と登場人物が限られた話作りってわりと好きなんですよ。一つの部屋にお客が三人入ってきて代わる代わる喋るだけの話とか、電車で一駅通過する間に周りの情景を描いただけの話とか、昔はよく書いていましたから。制限された素材で想像を膨らますのって面白いんですよね。
 まあ、とはいえ、芝居の脚本と小説というのは似ているようでまるで違った表現だとも思ったんですが。お芝居と小説を面白く両立させた人ってなかなかいないですからね。たぶん短歌と俳句のように、似ているようでいて恐ろしく距離のある表現なんじゃないかなというのが今の時点での感想です。


 まあそういう小理屈はさておき、俳優さんが生で動いているのを観るのは、生理的にも実に楽しい経験でした。やっぱりこういう肉体的なリアリズムは必要ですね。
 24日までの公演ですので、ご興味おありの方は是非どうぞ。ご紹介が遅れてしまって申し訳ありませんが……。
 米子のことを書こうと思ったら書きたいことがありすぎて結局ブログを放置プレイにしておりました。計画性のなさは相変わらずですがセガワは元気です。米子についてはいつか必ず書きます。


 なんか最近宣伝ばかりで恐縮なんですが、季節ものの話題と言うことでご容赦下さい。
 実は先週の10日、セガワのインタビュウが朝日新聞に載りました。記事の内容はこちらです。とても面白いインタビューだったのですが、セガワの駄法螺をものすごく巧くまとめて下さったと思っています。ありがとうございました。
 とりわけ「古典的な教養主義」とは面はゆいお褒めの言葉で、自分のこのへんの源流は、我が母校にそこはかとなく漂っていた旧制中学の残り香にあるのかなと自分では思っております。ああいう学校で、オサレやら時流やらに無縁な一種の浮世離れの中に過ごした青春時代というのはずいぶん貴重な財産になるものだと、今ごろになって気付きました。
 で、当日はいきなり伯父から電話がかかってきたり小学校時代の恩師から連絡があったりして、実家の両親がびっくりしておりましたよ。さすがは新聞です。油断なりません。
 でもって翌日病院の外来に新聞のコピーが貼られておりました。


 というかwebに掲載されると思わずに新聞をスキャンしたのちにリンクを発見し、ウワァ無駄骨だと思ったのですがなんか悔しいので画像を貼っておきます。(個人情報保護の見地に基づき画像を一部加工しております)


asahi_20090610


 他にも、共同通信からの配信で各地方紙に書評が載ったようなのですが、さすがにこちらは未確認です。親類や友人からの情報で、岩手日報と河北新報と信濃毎日新聞には載ったことを確認してるんですが。


 そういえばおとついは太宰治賞の授賞式でした。このことは稿を改めてまた書きます。
もしも私がこの町に生まれていたら
高校へは自転車で通っただろう
遠回りして汽水湖のほとりを走り
週に一度はかつて城の築かれていた
小高い山の上に登って
山のかなたあるいは
海のはてを眺め
ここではないどこかばかりに心を馳せていただろう


私がこの小さな町
汽水湖のほとり
古い栄華の商都に生まれていたら
自分を弾き出すただ一つの方法であると信じて
熱をこめて勉強しただろう
飽きることなく
代数あるいは英文法の問題に没頭し
君たちにはまだ理解の外だろう との
教師からの挑発にうかうかと乗って
フランツ・カフカやサマセット・モームにかじりつき
ブルックナーの交響曲を聴いただろう


私がこの小さな町
大きな雪山のふもと
幾千もの船を集めた港町に生まれていたら
何度となく古い堀割
白壁の家々のさなかを走り抜けながら
美しき過去のことも
時おりすれちがう少女たちのことも頭になかっただろう
ただ濃密なる現在と
あやふやで莫大な未来ばかりを眺め
私はまぎれもなく幸福であったに違いない


そして
もしも私が
この古雅でつつましやかな
小さな町に生まれていたら
私は今になって
懐かしく思い返すに違いない、
はるか遠くに離れた土地で、驚嘆すべき充足と
かすかな後悔とを伴って。


本当は私に親しい、
北関東の北辺の
とるにたりないうらぶれた
夕立だらけの町を
思い返すみたいに。


(Oct 22, 2006; Yonago-Tokyo)



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 学会で米子に行って来ました。
 米子を初めて訪れたのは三年前の秋、これも学会でのことで、この山陰の静かな町を大好きになってしまいました。自分の狭い見聞の範囲と断ってのことですが、静かなたたずまい、豊かで複雑な地形、町の至るところに残る長い時間の痕跡、慎ましやかな人の言葉とふるまい、いずれを取っても日本でも指折りの素敵な町ではないかと思います。
 前回は堀割の上にも街路の隙間にも中海の上にも涼しい風の流れる季節の訪問でしたが、幸運にも今回は夏の始まる季節の米子の顔を見ることができました。米子の印象については稿を改めて書くとして、前回の訪問の時に書いた詩を掲載します。
 自分からはさまざまな意味で遥かな町への片恋です。

segawashin

Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
ホームページはこちら。
www.segawashin.com
ツイッターはこちら。
http://twitter.com/#!/segawashin

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