セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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 一週間ほど中国を旅行しておりました。いわゆる旧満州のあたりです。大連、瀋陽、ハルビン、そして丹東という妙な旅先でした。旅の顛末はまた別の機会に書くかもしれないので、ここではちょっと違うことを。
 実は12年ぶりの訪中だったのですが、いやまあなんというか。当時は社会主義な雰囲気がもうちょっと強かったんですけどね。今でも政治体制が変わった訳じゃないんですが、商業主義で思いきり厚塗りしちゃってなにがなんだかよく分からなくなっている感じでした。場合によっては、当の中国人自身もよく分かっていないのかも知れないと思ってみたり。もうちょっとソフィスティケイトされた部分があるかと思ってたんですが、エントロピー増大しっぱなしの中国にすっかりやられて帰って参りました。疲れたなあ。
 で、帰国してみれば、そういえば日本は衆院選挙の直前でした。どうやら政権交代となる可能性が濃厚のようですが。


 で、ふと思い出したのが、大連の町はずれのアパート街を歩いていたときのこと。「中国共産党六十周年」みたいなことが書いてあって、ああそういや今度の9/1で建国60年なんだなと言うことを思い出しました。日本でいわゆる55年体制が確立してから54年ですから、実は結構期間が近いんですよね。
 もちろん社会主義国家と自由主義国家を同列に比べることには大した意味はないんですが、一つの政党がずっと政権の中枢にいた点ではその異質さが似ているんじゃないかと思います。じっさい、アジアの開発途上国に開発独裁の政党は結構存在していましたし、少なくともバブル崩壊までの自民党も明らかにそういう側面を持っていたでしょうし。
 ただ、自分が驚くのは、ここまで自民党が長期政権を担当してきたという事実で、曲がりなりにも自由選挙のある国でこれは異例のことだと思います。よもや、例えば台湾の国民党やインドネシアのゴルカルやメキシコの制度的革命党などよりも自民党の方が長命を保つとは思わなかった。G8内でも先進国の中でも、唯一の例でしょうね。
 逆に言えば、たとえば外交にせよ経済にせよ地方自治にせよ、政権にアクセスすると言うことは自民党にアクセスするということを意味したわけで、これはなんとも安定した、裏を返せば緊張感を欠いた関係を構築してきたのではないかと推察します。族議員などという言葉が普通にまかり通ってきたわけですから。
 もちろん功罪両面あったことは認めるにせよ、とにかく自分の感想としては、長すぎたというのが率直なところです。どんな組織であっても、半世紀は長い。プロトコールとメソドロジーが完成されすぎるというのは、政治にとっては決して幸福なことではないだろうとセガワは思います。刻一刻と変化する社会に対応していかなければならないのが政治ですから。
 そんなわけで、今度の選挙は結構楽しみにしています。政治家、官僚、経済界、メディア、そして当の日本国民が、この長すぎた政治的安定の変化をどう受容していくのか、すごく興味が湧きますよ。
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 昨日は終戦記念日でした。
 もう終戦から64年も経ったんですねえ。戦争体験者の中でも実際に戦地に赴いた人がほぼ確実に80歳を超えているということで、これは結構大きなことなんじゃないかと思います。セガワが学生のころには、まだぎりぎり「出征」「軍事教練」ということを経験した世代の先生が残っていたんですが。先の大戦を経験したと言っても、子供のころの(いわゆる銃後の)体験と、実際の戦地での体験とではずいぶんな違いがあるでしょうから。
 ある巨大な事象を語る場合でも、「決して美化できないなにものか」を経験として持っている人と、そうでない人とでは、その事象のとらえ方が異なると思うんですよね。大まかにわれらの言う「戦後」とは、実はそういう点でもずいぶん変化しているんだと思います。


 これは前にもどこかで書いたことなんですが、セガワは先の大戦を、「日本人に大損をさせた」というただ一点に基づいて、まるで評価できないものだと思っています。海外領土と海外資産を丸ごと失って原爆まで二発落とされて三十万人をいっぺんに殺されて無条件降伏っていうのは、近現代史でもまれに見る完膚無き負けッぷりでしたしね。
 戦争の正当性とかアジア諸国への侵略または解放とかそういうことを言う前に、肝心の日本国民にとって大損。この結果をふまえると、とても正当化できるシロモノだとは思えないんですが、この大失敗ぶりがきちんと検証されたのかどうかは疑わしいところですね。今どき、歴史修正主義みたいな言い方が一部ではまかり通っているようですし。あんな失敗は繰り返したくないなあ。
 ちなみにその「アジアの解放」についてはちょいと面白い経験をしまして。
 三年ほど前、ベトナムを旅行しているとき、ベトナム人の女の子とフランス人青年というカップルと列車で同席になりました。ホーチミンシティから北上してフエに行く途上だったのですが、どこに行くのかと訊ねると「ディエンビエンフーを観光に」
 ……ウワァ、フランス人太いなあ、俺に仮にロシア人の彼女が居たとしてノモンハン観光に行きましょうよって言われても断るだろうなあ……などと思いつつ雑談していると、「そういえば日本もヴィシー政権を支持してたわよね」とベトナム人の女の子の鋭い一言。
 一本取られたなーと思いました。あの子に八紘一宇などと言う概念を持ちだしても失笑されるでしょうね。


 まあそんなわけで、あの失敗を繰り返さなかった六十四年間というのは日本にとって本当に尊い六十四年間だったと思っています。これを「平和ボケ」って言いたがる手合いもいるようですが、戦争をヴァーチャルなモノとしてしか捕らえられない以上大差ない気もしますし、平和ボケってそもそも悪口なんですかね。戦争なんぞしないに越したことはないですよ。


 それからもう一つ、セガワが戦争に断固反対する理由は、戦争の時におそらく蔓延するであろうマチスモな雰囲気に絶対に我慢できないであろうことが挙げられます。
 そもそも自分は体育会系的な雰囲気ですら苦手なんですよ、あの応援の時にでかい声出したり、「体前に出して当たってけー」的な抽象的な物言いがまかり通る世界。スポーツが面白いと思うようになったのは成人してからで、自分が「体育が嫌いなんじゃなくて体育会系の雰囲気が嫌いだったのだ」と気付いたときには目から鱗が落ちる思いでした(*)。
 これが戦争なんぞになれば、もっとタチ悪い集団的な圧力が生じるだろうなとセガワは確信しています。それでなくたって日本人、精神主義とか根性とかが大好きですから。マッチョ志向の集団ヒステリーって本当にタチが悪いですよ。「自分自身が雄々しく、なにか崇高なものごとに連なっている」幻想を共有した社会っていやだなあ。ここぞとばかりに張り切る廊下鳶が大量発生しそうです(**)。あのアメリカだって、イラク戦争の際にはフレンチフライをフリーダムフライと言い換えるような寝ぼけたことをしていたわけですから、この点においては人類はまったく進歩していないんでしょう。あれを提唱した議員って、今なにやってるんでしょうね。


 まあセガワも年齢的には戦争にかり出される時期は過ぎているでしょうし(とはいえ太平洋戦争の末期には四十越えのオッサンたちまで引っ張り出されたらしいですけど)、なれば次の世代も戦争を経験することがないように祈りたいものです。
 あの長く損失の多かった戦争に携わった人たちのご冥福とともに。



(*) 「人前ででかい声を出すのが苦手」という性分は、わりとスポーツに不向きなんじゃないかと本気で思っています。少なくとも日本では。これはわりと本気で考えていることで、「体育会系と体育」の差異については一度稿を改めて書いてみたいですね。

(**)これについては、中国人の知人から聞いた文化大革命当時のエピソードが面白すぎたんですが、これはまた別の機会に書きます。端的に言えば戦時下の日本とそっくりだったという印象を抱きました。


 富山に行って来ました。これといった用もない純然たる小旅行であります。
 どうもこのところ(といってももう十年近く)日本海側に対する興味が強く、隙あらば「あちら側」の海沿いの街を歴訪しております(自分は岩手→栃木→東京……と、大平洋側の上下に移動したことしかないので、どうも日本海側というのは「あちら側」という心理的な風景になるのです)。これまでに行った町を列挙すると、出雲、松江、米子、敦賀、福井、金沢、高岡、酒田、秋田ということになりますが、どこも例外なく気持ちの良い土地でしたね。今回はそこに、富山を加えた旅でした。


 セガワは地図を眺めるのが大好きなので、今回も出発に先駆けてあのあたりの地図を眺めていたのですが、あらためて富山の地形は面白いもんだなと思いました。
 ご承知の通り、富山の東端というのは日本アルプスが海にぶつかる親不知という地点なのですが、これほど強烈な国ざかいは日本でも有数でしょうね。今回は上越新幹線→ほくほく線→北陸本線というルートで富山入りしたものですから、とりわけその思いを新たにしました。
 これは特に越中側から見たときにその印象が強いんですが、富山のどこからでも目に入る立山連峰、それがどんどん海に近付いてきて、文字通り行く手を阻むわけです。ああダメだ、これ以上先には進めねえや、しみじみそんな気分にさせられる地点であります。ここが西日本と東日本を分かち、鉄道を通すにも道路を通すにも難渋した場所であるのがよく分かる地形でしたね。
 そのくせ、越中も越後も広々とした平野に恵まれているのですから面白い。これは地図を見ても実際に列車や車で走ってもよく分かることですが、富山というのはやけに川の多い土地です。飛騨山脈から流れ下る川がいくつもの支流をなして日本海に注ぐわけで、それはまさしく富山平野や砺波平野を縦横に走るという形容が似合うような気がします。山の近さを考えるに、源流から河口までの高低差と川の長さの比はものすごいでしょうね。おそらく水の勢いも強いでしょうし、そうとなれば富山の川がやけに広い河川敷を持っている理由も分かるような気がします。
 これはどこかで見た風景に似てるなあ……、としばし考え、山と海との距離が近くて川がやけに多いあたり、台湾西部の風景じゃないかなと思いました。嘉義とか鹿港とか台南とか、あのへんの町を回っていたときのことを思い出しました。


 富山の地図を眺めているともう一つ気付くことがあるんですが、それは、やけに私鉄の路線が充実しているということです。大都市圏以外でこんなにもりもり私鉄が走っている県というのは稀じゃないでしょうか。JR線はおおむね海沿いに東西に引かれているだけなので、それ以外の富山平野を富山地方鉄道という私鉄がカバーしているわけです。これはいったいどうしてなんでしょうね。お隣の新潟や石川でもこうはいかなかったのに。立山とか黒部とか、一部観光コースに組み入れられて成功している路線があるとは言っても、これだけでは説明できないような気がします。
 あろうことか、富山市では、かつての国鉄のローカル線を大幅に改造して日本初のライトレールに仕立て上げるという芸当までやってのけています。このへんの実行力もすごいもんだなあと、余所者であるセガワはのんきな感想を抱いてしまうんですが。
 これはぜひ乗らねば、ということで乗車してきたんですが、結論から言ってすごく快適な乗り心地でしたよ。だいたい10~15分間隔の運転なんであまり待つこともないですし。こういう乗り物はヨーロッパではよく目にするんですが、日本でももうちょいと一般的になってくれるといいなあ。特に、都市圏の人口が五十万人を超えたら、車だけで人の移動をまかなうのは無理じゃないかと思うんですけどね。
 快適な都市交通というのは大切だと思いますよ、なんと言っても出歩く気になりますから。町なかを人が歩けば町が活性化するわけで、長い目で見れば、これは大変有意義な投資になるんじゃなかろうかとセガワは思います。
 ちなみに我が青春の土地、宇都宮市でもライトレール計画があるにはあるようですが、こちらはなんかグダグダになりつつあるようで、このへんがしもつかれ県の限界なのかも知れません。まあ進取の気性に乏しい土地だしなあ。

ポートラム
愛称はPORTRAM。しゃれてます。

 本当は終点の岩瀬浜まで行ってブリリアントなビーチリゾートを満喫する予定だったんですが、あいにく天気は最悪。かわりに二つ手前の東岩瀬という駅で降りて、岩瀬という古い街並みを散策してきました。結果から言えば、これは大成功だったんですが。
 この岩瀬という町、かつては、北回船の交易地として大変に栄えたところだったようです。神通川に平行して掘られた運河が今なお残り、この運河に沿って倉と商家が立ち並ぶ、そんな町だったようです。
 感心したのは、岩瀬の街並みを保存しようと結構な努力が払われていると見受けられたところです。電線は地下に埋設しているようですし、建物も(まあフェイクですが)古い様式に見えるように改築しているらしい。これはいいですね。

岩瀬
こちらが岩瀬の町並み。

 で、森家という岩瀬における大商人の旧宅を見物してきました。中を地元のおじいさんが案内してくれたんですが、これがまあ、実に流麗流暢な素ン晴らしい名調子で。根本閣下言うところの、いわゆるイイ声イイ顔というやつであります。昔はいったいどういう生業の方だったんだろうかと気になって仕方がないほどの素晴らしさでありました。

「そちら大広間ね、これだけのお大尽でもなんと!自分の部屋ってもんがなかった、立って半畳寝て一畳、それだけあればいいってことだったんだね、それで旦那以下家族八人はこちらに雑魚寝、従業員百二十人はみんな通い」
「ハイそこから上がると二階、この近隣の十三から十六までの女の子が嫁入り前の行儀見習いに来てた
「火鉢のこちらに座ったのが旦那、こちらは奥様、こちらはお嫁様。客人はこっちに座って話を聞いた」
「ほいお嬢ちゃんこの金庫開けてご覧(と小学生の女の子を手招きして)、重いだろう、扉ん中に砂詰めてあるからね、そうそうこれでいいところに嫁に行けるよ
「これ昔の帳簿です。今はパソコンだけどね、昔は筆で縦書き、これ見ればどこそこに何両、全部分かった。大事なのは読み書き算盤だね、お嬢ちゃん勉強してるかい?」

 いやもう、これ聞いただけでも富山に来た甲斐がありました。
 こういう語りができる人間って、日本では絶滅に向かいつつあるんじゃないでしょうかね。自分があと三十年か四十年年取ったとして、こういう爺さんになれる自信はまるでありません。

森家
森家のお座敷でございます。

 それにしてもこういうものを見ると、越中とは奥深い豊かさを持つ土地なんだなあと思いましたよ。この岩瀬という土地の繁栄が今の富山の基礎になったことは確かなようです。乗ってきたライトレールの前身である鉄道も、あろうことか富山大学までも、この土地の富豪が支えたということなのですから。
 こういう土地を以前にも見たことがあるなあ、と思い返してみれば、米子や島根の平田で見た商家です。あちらもまた、水運で栄えた結構な大旦那がいた土地のようです。大都市圏ばかりにゼニと人とが集まる現代というものが成立する前、確実に今とは違った金とモノの流れがあったわけですね。そういったものがかつて日本の地方を支え、人を育て、インフラを整備する礎となっていたんでしょう。
 もっとも、この過去の栄華がどのていど今につながっているのか、今のセガワには知識がないです。それを調べるのはちょっと恐ろしいような気分ですね。地方の衰退とはよく言われることですが、それが大都市集中型の経済に端を発していて、過去の資産を活かす視点が欠如していなかったのだとすれば、現代とはなんとも罪深い時代であるように思います。
 まあ海遊びには恵まれませんでしたが、岩瀬の散策は補って余りある収穫でした。やはり日本海側の街は奥が深くて面白いです。
 あ、翌日出かけた氷見の町がなかなか素敵で、回転寿司が大変美味しかったことも付け加えておきます。「東京では回らない寿司が富山では回っている」とはネットで見付けた名言ですが、まさにこの言葉通りの寿司でした。


 それにしても、どうもあのあたり、北陸や山陰を旅していると抱くのは、人間の数がこれぐらいで生きていけるのならば、本当にそれは心地のいいことだろうなあという気分です。自分が大都市のど真ん中に暮らしていることを差し引いても、これは正直なところです。
 群像9月号にエッセイを書きました。リヴォニア語という言葉が題材になっています。ラトヴィア共和国で話されている少数言語です。ご興味おありの方はお読み下されば幸いです。
 かなり古い資料なのですが、手元にある「現代ヨーロッパの言語」(田中勝彦・Haarmann, H; 1985,
岩波新書)を参考に補足しますと、リヴォニア語はウラル語族のバルト海フィン語群に属するということで、おそらくフィンランド語やエストニア語の近縁の言語なのではないかと思います。文字表記は、かつては存在していたものの消滅し、1970年での母語話者は150人だったということです。ちなみに現時点での母語話者は、たった1人です。


 このエッセイを書いていて思い出されたのは、萱野茂さんのことでした。ご承知の方も多いかと思いますが、アイヌの言葉や文化の収集に生涯を捧げられ、アイヌ民族として初の国会議員も務められた方です。
 この萱野さんの著作を読んで驚いたのは、萱野さんの世代でもアイヌ語を母語として育ったのは珍しい例だったということです。萱野さんは1926年生まれですから、自分が想像していたよりもずっとアイヌへの同化圧力は強烈であったようです。これは萱野さんが子供のころ祖父母の手で育てられたという事情によるものらしく、このことをご自身は「アイヌ語というでっかい贈り物」というふうに表現されていたことを記憶しています。
 これは非常に悲しい示唆を含んだエピソードだと思うんですが、親から子供に言葉が伝えられないとき、言語は急速に衰亡へと向かうのでしょう。そのような言葉を守り保つことは、ほとんど絶望的に困難であるように思います。


 「少数言語が一つ滅んだとして、どうだと言うんだ?」とお思いの方には、「ひとつぶのサッチポロ」という本をお薦めします。萱野さんの書いたアイヌの民話集です。セガワはこれを小学生のころ、まったくの偶然から読んでいるのですが、その途方もない話の面白さを今でも覚えています。30年近く経った今でも、あらすじをほとんど思い出せるほどです。
 それは単に面白いばかりではなく、世界には、まるで違ったから視点からものごとを眺めている人たちがいるということを教えてくれました。神様が人間の娘に嫉妬してあげく許嫁を奪おうとし、親不孝をした鳥が苦しみ抜いて死に、虹が「どこまで追っても辿り着けない」幸福の象徴ではなく、「どれほど逃げても追ってくる」忌まわしいモノだと考えられる世界。「はなさかじいさん」や「いっすんぼうし」といった日本の昔話に親しんでいた自分には実に強烈で、忘れがたい印象を残した本です。
 これは萱野茂さんの編纂した民話集ですが、この物語を萱野さんに語って聞かせたように語れる人は、おそらく、この地上にはもういないのでしょう。そして、二度と現れないのかも知れません。言葉が一つ滅びるというのは、そういうことです。


 日本は少数言語の保護といったことにはまったく無頓着な国で(そもそもアイヌが日本における少数民族であると政府が認めたのすらたった二年前のことです)、少数の熱意ある人の行動がなければとっくにアイヌ語は滅びていたでしょう。おそらくウィルタ語の現状は絶望的でしょうし、長い目で見れば琉球語だって(特に離島の方言は)楽観視はできないでしょう。次の世代に伝えられないのであれば、一つ世代が下る毎に言語の命脈は細ってゆくからです。その点、冒頭に書いたリヴォニア語は、政府が保護しようという姿勢を見せている分だけ、まだ幸運なのかも知れません。
 言語を守るということはひどく手間と時間のかかることなのでしょうが、それでも、なされるべきことなのだとセガワは信じています。言語の多様性は文化の多様性であり、視点の多様性であると思うからです。


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 この暑い中、お台場に行って来ましたよ。といってもガンダムとかフジテレビに用があったわけではなく、研究発表会の会場がこちらだったので。だいぶ前のやはり夏にプラネタリウムを見に行こうとしたら、午前中だというのにその日のチケットがすべて売り切れという夏休みパワーの前に膝を屈した苦い記憶のある場所であります。


 しかしまあ、きれいで広くてびっくりしましたね。中の見学が目的ではなかったんですが、常設展とかちょっと見てくればよかったかな。個人的には上野の科学博物館の方が薄暗くてレトロで好きなんですが、これはまああんまり一般化できる趣味ではないですね。
 夏休みと言うこともあって、とにかくお子さまが多かったです。この中の一部、ごく一部の子供でいいですから、科学というものに興味を持ってくれればいいなあと思ってみたり。昨今は理系離れだなんて言いますけど、そもそも知的好奇心というモノは個人個人ですごく濃淡のあるものですし、ましてや理数系に興味を示す子っていうのは昔ッから一握りだったような気がしますよ。
 ただ、そういう子が示す興味というのは深くて濃くて、長く続くものだと思います。極論すれば教育とは、そういう子のために、奥深くあるべきなんでしょうね。


 売店はちょろっと覗いてみたんですが、楽しそうなものが多すぎて興奮しました(笑)。今どきは工作キットも豊富になったなあ。「風力発電機」なんかはまだ分かるとして、「光通信体験キット」なんてもう隔世の感があるコンテンツですよ。人体模型や白地図地球儀も、古典的ですけどすごく欲しかったです。
 科学関係の本もたくさん置いてありましたね。個人的にうれしかったのは、かこさとしさんの絵本が何点も置いてあったこと。子供のころに大好きだったんですが、今回あらためて読んでみて、その妥協のない内容に感動しました。敢えて言ってみますが、「決して内容を間引かずに、しかしわかりやすく説明する」という姿勢は昨今のコドモ向けの本にはなかなか見られないんじゃないかと思います。「わかりやすくする」ということは「内容を減らす」「省略する」ということとは無縁なのだという思いを強くしました。必要なのは、丁寧であることに尽きるんでしょうね。
 福音館の「かがくのとも」に収められた「うみ」「たいふう」と言った絵本、本当に素晴らしいですよ。


 しかしちょっと笑いそうになってしまったのは、ミシェル・ウェルベックの小説「素粒子」が置いてあったこと。
 ええと日本科学未来館の担当の方ー!これ科学の本じゃないですよー!
 っていうか子供が読んだらかなり問題ある内容てんこ盛りですよー(笑)!


(追記)
……と書きましたけど、あのラストを考えれば科学に関係ある小説ってことでいいのかな。
素粒子とはあんま関係ないですし、お子さま向けじゃないことは間違いないんですが。
あ、小説は大変面白いのでだいたい15歳以上の方は是非どうぞ。
現代ヨーロッパのしんどそうな様子が実によく伝わってきます。
日本も決して無縁じゃない疲労ぶりですね。
(2009.8.5)


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Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
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