英語で言うとHawaii in my heartですね。ハワイ語で言うとHawai'i ma loko ko'u pu'uwai. 合ってるのかなこれ。
まあそれはそれとして、ハワイの学会に出席して参りました。実は、これが人生初ハワイであります。そもそもあんまりハワイに対する思い入れ(=ハワイ愛)が強くはなかったんですが、よもや仕事で行くことになるとは思いませんでした。
振り返ってみると、自分の人生とハワイとの最初の接点は、「常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)」ではなかったかと思います。昭和の末期ごろまでは北関東のあちこちで目にすることができた「常磐~」の看板を目にするたび、なんだか不思議な施設だなあと思っておりました。結局行くことはなかったんですが。これは自分より若い世代の人々には分かって貰いづらいことかもしれませんけど、バブル以前、要するに昭和末期までは、海外旅行って本当に高嶺の花だったんですよ。一ドルが二百円以上したこともあるんですけど、それ以上に海外旅行への心理的なハードルが高かったんじゃないでしょうか。少なくとも今みたいに、ちょっと連休に海外へとか修学旅行で海外とか、そういう社会の雰囲気はありませんでしたから。
次にハワイとの接点……と言えるかどうか、ともかくハワイ的なモノにふれたのは、吉田戦車の漫画「伝染るんです。」でしょうかね。メインキャラのかわうそ君が、なぜかハワイに異常な執着を見せるくだり。連載時期は自分が高校生のころですから昭和~平成の端境期、要するにバブル末期のことでした。今にして思えば、あれは「ハワイをギャグの一環として捉える」さきがけだったかもしれませんね。これは考えてみれば面白いことで、ハワイに対する過剰な憧れが日本人にある(あった?)ことを前提としなければ成立しないでしょう。たぶんこのセンスは、最近だと増田こうすけ「ギャグ漫画日和」のOPあたりにもつながっていく気がします。
「白い波とワイキキビーチ 浮かぶ浮かぶディナークルーズ 忘れられない思い出 ココナツの香り あぁハワイ ギャグ漫画日和!」
まあ自分自身は大学に入ってからも社会人になってからも相変わらずハワイとの縁はなかったんですが、無理をして探せばハワイとの接点がないこともないです。特に、音楽を通じて「ハワイ」はちょくちょく顔を出していましたから。
たとえば、これはかなり早い時期の経験になるんですけど、大学に入ったころ、オリエンテーションとやらで九十九里浜に行きました。ここの施設で見た「九十九里音頭」なる曲の歌詞が実にひどかったんですよ(無論誉め言葉)。
「うちの隣はアメリカハワイ 奥の茶の間は東京だ みんな来い来い 九十九里浜へ 月も裸でフラ踊り さて ヤッサヤサヤサ ヤサホイのホイ 九十九里だよ ヤサホイのホイ」
ああもうなんというか、実に濃厚な「(日本人にとっての)ハワイ愛」成分が検出できていいですね。ハワイ愛さえあれば現実のハワイなんぞ知らずとも充分!という勢いの詞が素晴らしいです。「フラ踊り」と呼称しているのも興味深い。同様の例は「ハワイ小唄」などにも見られますね。
自分が大学生だったころに日本で突如有名になったポンチャック界のえらいひと、李博士(イ・パクサ)のビデオ「李博士の八十日間世界一周ポンチャック」の中にも、ワイキキビーチかどっかにカシオトーンを持ち込んでノリノリで歌いまくるパクサが出てきました(ついでにおねいさんにオイルを塗るご機嫌なパクサも)。パクサと明和電気の奇跡的なコラボ「俺は宇宙のファンタジー」でも、冒頭の歌詞は「かわいいあの娘追いかけて 気がつきゃハワイ(ヒー!)」ですからね。パクサとハワイはなんか相性がいいんでしょうか。これも「ハワイをギャグ」の一種なのかな。
音楽といえば、六年ぐらい前に出た「アロハイサイ」というアルバムも良かったですね。沖縄とハワイ、人的なつながりも多ければ気候も近い二つの土地の音楽をイイ感じにミクスチュアした傑作アルバムです。中でも、カヴァーされてる「ハワイ音頭」はアレンジ・歌いッぷりとも最高なんですが、これの歌詞は実にひどい(もちろん誉め言葉)。原曲はご存じ殿さまキングスです。
「月が出た出た カメハメハ 椰子の葉揺れる カメハメハ 知らぬ同士が肩寄せあって 踊ればワイキキ パラダイス アァアァアァアァア カメハメハメハ ちょいとカメハメハ」。
ああぁ、ひどいなあ(誉め言葉)。実際のハワイとは一カ所もかぶってないようなこの内容、二番、三番とどんどんひどくなってゆきます(誉め言葉)。なによりも驚いたのが、改めて調べてみたらこのハワイ音頭がなんと1980年のリリースだったという事実ですね。それより二十年ぐらい前の曲かと思ってましたよ。今からおよそ三十年前の日本、まだこういうすっとこどっこいなセンスを受容する度量が残っていたみたいです。
(※こんな傑作アルバムがなんとamazonでは買えないらしい。仕方ないので高良レコード店のリンクを一つ貼っておきます。→■)
まあ要するに、自分にとってのハワイは、常磐ハワイアンセンターに始まって李博士や殿さまキングスを経由してギャグ漫画日和に至るという、なんというか、その、どうしてもギャグの一環というかお笑いのイメージが強いというか、なんかろくでもない印象ばっかで申し訳ないんですけれど、これも結局のところは昭和の中ごろ、ハワイが日本人に強烈に憧れられ愛された歴史的経緯を抜きにできないことは確かです。自分は、ああいうピュアなハワイ愛にいい加減手垢が付いちゃった世代なのかもしれません。悲しいことです。
で、現実のハワイとなれば、これが結構えげつない歴史を背負ったところですからねえ。地球の歩き方程度の記述でも、コロニアリズムの問題点を全部集めて佃煮にしちゃった来歴が軽く読めてしまって、常夏の島で結構陰気な気分になれます。ああ当時のアメリカはインチキクーデター起こして政権転覆させることぐらい朝飯前にやってた国だったなあと言うことを否応なく思い出してしまったりして(中米やフィリピンなんかでも似たようなことやってましたね)。
実際行ってみて驚いたのは、今のハワイって、驚くほど昔を忍ばせるものがないんですよ。曲がりなりにもハワイ王国の統一から200年以上、なんかしらそういうものが見える部分があるかというとほとんど皆無で、アメリカの凡庸な地方都市がだらりんと広がっている印象です。これはなんか凄いことだなあ、と。東南アジアにせよ南アジアにせよ中近東にせよ満州にせよ台湾にせよカリブ海地域にせよ、街を歩けばどこかしらにかつての宗主国と基層文化とがアマルガムになって作り上げられた町の雰囲気が感じ取れたもんなんですけどね。そうやってみると、ハワイの基層文化はもうほとんど残ってないんじゃないかなと思ってしまいます。事実上ハワイ語も、今じゃ田舎か離島で細々と話されてるだけのようですし。ポスト・コロニアリズムみたいな問題は、もうハワイでは成立しないんじゃないかなと危ぶんでしまいました。
(でまあ、そういうえげつない歴史の果てに、慌てて固有名詞にハワイ語を復活させたり、ハワイアン・ロミロミみたいなもんを持ち出してきても、ぶっちゃけなんかまやかしくせえなあとしか思えないんですよ。ソフトな贖罪感というか。アメリカン・ネイティブの文化を事実上壊滅させた後で、彼らのスピリチュアルな部分やら工芸品だけ切り出してありがたがるのと似たようなセンスを感じてしまいます。)
ま、それはそれとして、初ハワイの感想を軽く書いておきます。
入国審査のところで高校生の集団に遭遇し、「高校生が……修学旅行でハワイ……!(ビキィ」とかわうそ君のように阿修羅像を背負ってしまったり、とにかくホノルルはアベック(死語)だらけでレストランに行ってもトロリーに乗ってもショッピングセンターに行ってもアベック、あんたらアベックか!と理不尽な憤りを抱いてしまったり、同行したのは大学院生のHONDAくんなんですが「えっ、男性二人でいらしたんですか」と旅行会社のおねいさんに軽く引かれたりしましたが、まあそのほかはバナナボートにも乗らずパラグライダーも試さずワイキキビーチでも泳がず、コンベンションセンターとホテルを往復するだけの大変ハワイ満喫な一週間でした。
ホノルルはまるでディズニーシーとかイクスピアリみたくきれいな町並みでよかったです。
……ああそうだ、なんかディズニーランドに一週間軟禁されてた気分だ……。
まあそれはそれとして、ハワイの学会に出席して参りました。実は、これが人生初ハワイであります。そもそもあんまりハワイに対する思い入れ(=ハワイ愛)が強くはなかったんですが、よもや仕事で行くことになるとは思いませんでした。
振り返ってみると、自分の人生とハワイとの最初の接点は、「常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)」ではなかったかと思います。昭和の末期ごろまでは北関東のあちこちで目にすることができた「常磐~」の看板を目にするたび、なんだか不思議な施設だなあと思っておりました。結局行くことはなかったんですが。これは自分より若い世代の人々には分かって貰いづらいことかもしれませんけど、バブル以前、要するに昭和末期までは、海外旅行って本当に高嶺の花だったんですよ。一ドルが二百円以上したこともあるんですけど、それ以上に海外旅行への心理的なハードルが高かったんじゃないでしょうか。少なくとも今みたいに、ちょっと連休に海外へとか修学旅行で海外とか、そういう社会の雰囲気はありませんでしたから。
次にハワイとの接点……と言えるかどうか、ともかくハワイ的なモノにふれたのは、吉田戦車の漫画「伝染るんです。」でしょうかね。メインキャラのかわうそ君が、なぜかハワイに異常な執着を見せるくだり。連載時期は自分が高校生のころですから昭和~平成の端境期、要するにバブル末期のことでした。今にして思えば、あれは「ハワイをギャグの一環として捉える」さきがけだったかもしれませんね。これは考えてみれば面白いことで、ハワイに対する過剰な憧れが日本人にある(あった?)ことを前提としなければ成立しないでしょう。たぶんこのセンスは、最近だと増田こうすけ「ギャグ漫画日和」のOPあたりにもつながっていく気がします。
「白い波とワイキキビーチ 浮かぶ浮かぶディナークルーズ 忘れられない思い出 ココナツの香り あぁハワイ ギャグ漫画日和!」
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まあ自分自身は大学に入ってからも社会人になってからも相変わらずハワイとの縁はなかったんですが、無理をして探せばハワイとの接点がないこともないです。特に、音楽を通じて「ハワイ」はちょくちょく顔を出していましたから。
たとえば、これはかなり早い時期の経験になるんですけど、大学に入ったころ、オリエンテーションとやらで九十九里浜に行きました。ここの施設で見た「九十九里音頭」なる曲の歌詞が実にひどかったんですよ(無論誉め言葉)。
「うちの隣はアメリカハワイ 奥の茶の間は東京だ みんな来い来い 九十九里浜へ 月も裸でフラ踊り さて ヤッサヤサヤサ ヤサホイのホイ 九十九里だよ ヤサホイのホイ」
ああもうなんというか、実に濃厚な「(日本人にとっての)ハワイ愛」成分が検出できていいですね。ハワイ愛さえあれば現実のハワイなんぞ知らずとも充分!という勢いの詞が素晴らしいです。「フラ踊り」と呼称しているのも興味深い。同様の例は「ハワイ小唄」などにも見られますね。
自分が大学生だったころに日本で突如有名になったポンチャック界のえらいひと、李博士(イ・パクサ)のビデオ「李博士の八十日間世界一周ポンチャック」の中にも、ワイキキビーチかどっかにカシオトーンを持ち込んでノリノリで歌いまくるパクサが出てきました(ついでにおねいさんにオイルを塗るご機嫌なパクサも)。パクサと明和電気の奇跡的なコラボ「俺は宇宙のファンタジー」でも、冒頭の歌詞は「かわいいあの娘追いかけて 気がつきゃハワイ(ヒー!)」ですからね。パクサとハワイはなんか相性がいいんでしょうか。これも「ハワイをギャグ」の一種なのかな。
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音楽といえば、六年ぐらい前に出た「アロハイサイ」というアルバムも良かったですね。沖縄とハワイ、人的なつながりも多ければ気候も近い二つの土地の音楽をイイ感じにミクスチュアした傑作アルバムです。中でも、カヴァーされてる「ハワイ音頭」はアレンジ・歌いッぷりとも最高なんですが、これの歌詞は実にひどい(もちろん誉め言葉)。原曲はご存じ殿さまキングスです。
「月が出た出た カメハメハ 椰子の葉揺れる カメハメハ 知らぬ同士が肩寄せあって 踊ればワイキキ パラダイス アァアァアァアァア カメハメハメハ ちょいとカメハメハ」。
ああぁ、ひどいなあ(誉め言葉)。実際のハワイとは一カ所もかぶってないようなこの内容、二番、三番とどんどんひどくなってゆきます(誉め言葉)。なによりも驚いたのが、改めて調べてみたらこのハワイ音頭がなんと1980年のリリースだったという事実ですね。それより二十年ぐらい前の曲かと思ってましたよ。今からおよそ三十年前の日本、まだこういうすっとこどっこいなセンスを受容する度量が残っていたみたいです。
(※こんな傑作アルバムがなんとamazonでは買えないらしい。仕方ないので高良レコード店のリンクを一つ貼っておきます。→■)
まあ要するに、自分にとってのハワイは、常磐ハワイアンセンターに始まって李博士や殿さまキングスを経由してギャグ漫画日和に至るという、なんというか、その、どうしてもギャグの一環というかお笑いのイメージが強いというか、なんかろくでもない印象ばっかで申し訳ないんですけれど、これも結局のところは昭和の中ごろ、ハワイが日本人に強烈に憧れられ愛された歴史的経緯を抜きにできないことは確かです。自分は、ああいうピュアなハワイ愛にいい加減手垢が付いちゃった世代なのかもしれません。悲しいことです。
で、現実のハワイとなれば、これが結構えげつない歴史を背負ったところですからねえ。地球の歩き方程度の記述でも、コロニアリズムの問題点を全部集めて佃煮にしちゃった来歴が軽く読めてしまって、常夏の島で結構陰気な気分になれます。ああ当時のアメリカはインチキクーデター起こして政権転覆させることぐらい朝飯前にやってた国だったなあと言うことを否応なく思い出してしまったりして(中米やフィリピンなんかでも似たようなことやってましたね)。
実際行ってみて驚いたのは、今のハワイって、驚くほど昔を忍ばせるものがないんですよ。曲がりなりにもハワイ王国の統一から200年以上、なんかしらそういうものが見える部分があるかというとほとんど皆無で、アメリカの凡庸な地方都市がだらりんと広がっている印象です。これはなんか凄いことだなあ、と。東南アジアにせよ南アジアにせよ中近東にせよ満州にせよ台湾にせよカリブ海地域にせよ、街を歩けばどこかしらにかつての宗主国と基層文化とがアマルガムになって作り上げられた町の雰囲気が感じ取れたもんなんですけどね。そうやってみると、ハワイの基層文化はもうほとんど残ってないんじゃないかなと思ってしまいます。事実上ハワイ語も、今じゃ田舎か離島で細々と話されてるだけのようですし。ポスト・コロニアリズムみたいな問題は、もうハワイでは成立しないんじゃないかなと危ぶんでしまいました。
(でまあ、そういうえげつない歴史の果てに、慌てて固有名詞にハワイ語を復活させたり、ハワイアン・ロミロミみたいなもんを持ち出してきても、ぶっちゃけなんかまやかしくせえなあとしか思えないんですよ。ソフトな贖罪感というか。アメリカン・ネイティブの文化を事実上壊滅させた後で、彼らのスピリチュアルな部分やら工芸品だけ切り出してありがたがるのと似たようなセンスを感じてしまいます。)
ま、それはそれとして、初ハワイの感想を軽く書いておきます。
入国審査のところで高校生の集団に遭遇し、「高校生が……修学旅行でハワイ……!(ビキィ」とかわうそ君のように阿修羅像を背負ってしまったり、とにかくホノルルはアベック(死語)だらけでレストランに行ってもトロリーに乗ってもショッピングセンターに行ってもアベック、あんたらアベックか!と理不尽な憤りを抱いてしまったり、同行したのは大学院生のHONDAくんなんですが「えっ、男性二人でいらしたんですか」と旅行会社のおねいさんに軽く引かれたりしましたが、まあそのほかはバナナボートにも乗らずパラグライダーも試さずワイキキビーチでも泳がず、コンベンションセンターとホテルを往復するだけの大変ハワイ満喫な一週間でした。
ホノルルはまるでディズニーシーとかイクスピアリみたくきれいな町並みでよかったです。
……ああそうだ、なんかディズニーランドに一週間軟禁されてた気分だ……。
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一つ資格試験を受けて参りました。いい年こいて受験勉強はちょいときつかったですね。まあそれはともかく無事終わって良かったです。
こないだライブに行って来たアルマーイルマンヴァサラットというバンドがえらく面白かったとか、ギター奏者の日渡奈那さんの演奏会に行って来たとか、いろいろ書きたいことはあるんですが、まずは季節モノの話題です。
今年のノーベル文学賞が決まりましたね。
なんとなく毎年楽しみにしているんだけれど、今年はネットで中継まで見てしまいましたよ。ノーベル賞発表をリアルタイムで観たのはこれが初めてです。
スポークスマンのおじちゃんが何カ国語も駆使して喋っているのに軽く驚愕しました。すごいなあ。たぶんスウェーデン語、ドイツ語、英語、フランス語、ロシア語……あたりは喋っていたような。三番目ぐらいに英語になって、ようやくなに言ってるか分かりました。「ハータ・ムラー」と発音していたようなので、誰のことかすぐには分からなかったんですが。
さて今年の受賞、ドイツのヘルタ・ミュラーさん、残念ながら作品を読んだことがないのです。英語版wikipediaによれば、ティミショアラ近郊に生まれたドイツ系のルーマニア人(確かにドイツ系の多い地域のようですね、ヘルマン・オーベルトなんかもこのへんの出身だったはず)。母語はドイツ語だったのかな?と想像。母親がソ連の強制収容所に入れられた経歴とか、本人がセクリターテに睨まれてドイツに亡命したとか、少々政治的な背景の強い作家だなと言う印象。数年前に取ったケルテース・イムレもそのような経歴の持ち主だったような。もっとも、それが作品内容に反映されているのかどうかは分からないですが。
それにしても、今年もヨーロッパ勢だとは、少々意外でした。しかもドイツ語圏とすれば、グラス、イェリネクに続いてこの10年で3人目ですよ。別に持ち回りにする規定などないにせよ、そろそろ北南米かなあとか、アフリカかなあとか根拠なく思っていただけに。
そうやってみると、2000年の高行健以来アジア人は取っていないし、トニ・モリスン以来アメリカ人が取っていないのも少々意外。やはり文学はヨーロッパのものなのかな、と、少々寂しい気分になりますね。なにしろ、科学系の三賞とは対照的に、文学賞は圧倒的にヨーロッパ勢が優勢ですから。この15年でヨーロッパの受賞者は13人もいるのです(ナイポールは厳密には違うかな。逆にクッツェーは欧州系と見なしていいかも)。
それでも、個人的には、イスマイル・カダレの受賞を祈っていました。いえ、単に、この人の小説が本当に好きなので。
寓話と物語を巧みに融合させた、いわばバルカンのマジック・リアリズムのような文体。こんな素晴らしい作家が現役で小説を書いていること、本当に嬉しく思います。あの閉鎖国家だったアルバニアで黙々と小説を書いていた点も、体験としては極めて特異でしょうし。
また、アルバニア語という「小さな」言語集団の作家が受賞すること、そのこと自体にも大いに価値があると思うんですよ。イディッシュ語のアイザック・シンガーやアイスランド語のラクスネスが受賞したように。人は優れた作品を通じて、その言語に目を向けますから、ノーベル文学賞という一つの称号は言語そのものを称揚することにもなるんじゃないかな、と、セガワはちょっと期待しています。
まあ、ともあれ、珍しくも文学がニュースの話題になるノーベル文学賞は楽しいお祭りです。来年は誰になるかなあ、北米だったらロスか、アリス・マンローか、ドン・デリーロか、まさかのピンチョンか。南米だったらフエンテスか、リョサか。はたまた非欧米系だったらチヌア・アチェベか。
それでも、個人的には、イスマイル・カダレを……。
カダレについては稿を改めて書きます。
最近新しく邦訳が出たことですし。
こないだライブに行って来たアルマーイルマンヴァサラットというバンドがえらく面白かったとか、ギター奏者の日渡奈那さんの演奏会に行って来たとか、いろいろ書きたいことはあるんですが、まずは季節モノの話題です。
今年のノーベル文学賞が決まりましたね。
なんとなく毎年楽しみにしているんだけれど、今年はネットで中継まで見てしまいましたよ。ノーベル賞発表をリアルタイムで観たのはこれが初めてです。
スポークスマンのおじちゃんが何カ国語も駆使して喋っているのに軽く驚愕しました。すごいなあ。たぶんスウェーデン語、ドイツ語、英語、フランス語、ロシア語……あたりは喋っていたような。三番目ぐらいに英語になって、ようやくなに言ってるか分かりました。「ハータ・ムラー」と発音していたようなので、誰のことかすぐには分からなかったんですが。
さて今年の受賞、ドイツのヘルタ・ミュラーさん、残念ながら作品を読んだことがないのです。英語版wikipediaによれば、ティミショアラ近郊に生まれたドイツ系のルーマニア人(確かにドイツ系の多い地域のようですね、ヘルマン・オーベルトなんかもこのへんの出身だったはず)。母語はドイツ語だったのかな?と想像。母親がソ連の強制収容所に入れられた経歴とか、本人がセクリターテに睨まれてドイツに亡命したとか、少々政治的な背景の強い作家だなと言う印象。数年前に取ったケルテース・イムレもそのような経歴の持ち主だったような。もっとも、それが作品内容に反映されているのかどうかは分からないですが。
それにしても、今年もヨーロッパ勢だとは、少々意外でした。しかもドイツ語圏とすれば、グラス、イェリネクに続いてこの10年で3人目ですよ。別に持ち回りにする規定などないにせよ、そろそろ北南米かなあとか、アフリカかなあとか根拠なく思っていただけに。
そうやってみると、2000年の高行健以来アジア人は取っていないし、トニ・モリスン以来アメリカ人が取っていないのも少々意外。やはり文学はヨーロッパのものなのかな、と、少々寂しい気分になりますね。なにしろ、科学系の三賞とは対照的に、文学賞は圧倒的にヨーロッパ勢が優勢ですから。この15年でヨーロッパの受賞者は13人もいるのです(ナイポールは厳密には違うかな。逆にクッツェーは欧州系と見なしていいかも)。
それでも、個人的には、イスマイル・カダレの受賞を祈っていました。いえ、単に、この人の小説が本当に好きなので。
寓話と物語を巧みに融合させた、いわばバルカンのマジック・リアリズムのような文体。こんな素晴らしい作家が現役で小説を書いていること、本当に嬉しく思います。あの閉鎖国家だったアルバニアで黙々と小説を書いていた点も、体験としては極めて特異でしょうし。
また、アルバニア語という「小さな」言語集団の作家が受賞すること、そのこと自体にも大いに価値があると思うんですよ。イディッシュ語のアイザック・シンガーやアイスランド語のラクスネスが受賞したように。人は優れた作品を通じて、その言語に目を向けますから、ノーベル文学賞という一つの称号は言語そのものを称揚することにもなるんじゃないかな、と、セガワはちょっと期待しています。
まあ、ともあれ、珍しくも文学がニュースの話題になるノーベル文学賞は楽しいお祭りです。来年は誰になるかなあ、北米だったらロスか、アリス・マンローか、ドン・デリーロか、まさかのピンチョンか。南米だったらフエンテスか、リョサか。はたまた非欧米系だったらチヌア・アチェベか。
それでも、個人的には、イスマイル・カダレを……。
カダレについては稿を改めて書きます。
最近新しく邦訳が出たことですし。