セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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 前回のエントリーではいろいろ書きましたが、ネットが普及してありがたいことの一つに本の検索がしやすくなったことがありますね。特に古書、これはもう本当にありがたいですよ。「昔読んでそれっきりになっていた本」に、どれだけ再会できたことか。
 で、先日、凄く懐かしい本を入手できました。

新潮平成三年四月号増刊「20世紀の世界文学」。

 Amazonでの取り扱いはなかったのですが、とある地方の古書店が目録に入れておりましたよ。ああ懐かしいなあ。わが青春の教科書であります。
 確か大学に入ったころ、ブンガクを読まねばならぬというなんだかよく意味の分からない義務感に取り憑かれたのですが、正直、文学という巨大な世界に徒手空拳で取り付いてゆくのは相当にしんどいことなんですよね。そんな折りに図書館で見つけたこの本は、そんな無謀な若造のかけがえのない道しるべになってくれたと思います。しかも、海外文学という、ほとんど素養のない世界への。ただ、もう書店では入手不可能だったため、何度も図書館から借りだしてこなければならなかったんですが。
 分厚い本でしたし、アンソロジーという体裁をいいことにあちこちをつまみ食いするような読み方をしていたので、あまり良い読者だったとは言い難いです。ただ、少々記憶があやしいですが、確かこの本によってセガワはゴンブロヴィチやマヤコフスキー、エズラ・パウンドなどといった名前を知ったのだと思います。当時(今でも)この人たちの作品の真価が分かったなどとはとても言えないのですが、ただ一つ、「とまれ世界には、これほどの作品を書いている人間たちが存在していた(いる)」ということを実感することができたのは、本当にかけがえのないことだったと思っています。モノ書く行為に一種の畏怖を感じることで、夜郎自大に陥ることから免れたわけですから。


 などとえらそうなことを書いては見ましたが、あらためて読み返してみれば、いや、気付いていなかったことが余りにも多くて赤面します。バーベリは今では大好きな作家ですが、この本にも収載されているとは気付いていませんでしたよ。フォークナー「納屋を焼く」も15年ぶりぐらいに再読してみれば、この作家が実に異様な方法で言語を使いのめしていたことに驚かされます。ナボコフ「チョルブの帰還」の周到な構成も、当時はまるで気付いてませんでしたね。セリーヌ「夜の果てへの旅」は今なお鮮やかでしたが、ヘミングウェイ「殺し屋」からかつて感じたような衝撃を感じることはできなくなっていました。まだ再読を初めて1/4も読んではいないのですが、こんなに楽しい、そして中身のみっしり詰まったアンソロジーだとは思わなかった。楽しめるし、なによりも勉強になりますよ。
 それにしても、アンソロジーというのはいいですね。その世界のポータルになってくれる。その点、本書はとても念入りに作品がセレクトされていると感じられますし、巻末の各国文学の概説もありがたいところです(『多国籍作家』の項があるのも素晴らしい)。読み手の一人として、こういう丁寧な仕事には敬意を払いたくなりますし、また、これからの読者のためにも、こういう良質なアンソロジーが編まれてゆくといいのですが。例えば、日本文学のこの二十年を俯瞰するようなアンソロジーが、あってもいいと思うんですけれどね。また、個人的には、この二十年に限局した海外文学のアンソロジーがあるとなお嬉しいのですが……。


 最後に一篇、本書から詩を引用します。当時読んだときの衝撃は今なお鮮やかで、どこかノートに書き写して飽きることなく読み返したものでした。訳文の素晴らしさは勿論のこと、言葉が、これほどの力を持つということをセガワに教えてくれた詩です。






「ぼくらの行進曲」 ヴラジーミル・ヴラジミロヴィチ・マヤコフスキー  小笠原豊樹訳

広場に鳴らせ、暴動の足音を!
聳えろ、誇らしい頭の山脈!
ぼくらは二度目のノアの洪水で
全宇宙の町々を洗い清めよう。

日常の牛は斑だ。
歳月の馬車は緩慢だ。
ぼくらの神は駆け足だ。
ぼくらの心は太鼓だ。

ぼくらの黄金より魅惑的なものがあるか。
弾丸の蜂どもにぼくらが刺されてたまるか。
ぼくらの武器はぼくらの唄だ。
ぼくらの黄金は鳴り響く声だ。

牧場よ、緑に横たわれ、
日常の底を敷きつめろ。
虹よ、軛(くびき)をかけろ、
早飛びの歳月の馬どもに。

見えるか、天のやつ、星に飽きている!
あいつ抜きでぼくらの唄を編もう。
おおい、大熊座! 要求しろ、
生きたままぼくらを天に迎えろと。

喜びを飲め! 歌え!
春が血管に一杯だ。
心よ、太鼓をたたけ!
ぼくらの胸はティンパニの銅だ。








新版 マヤコフスキイ・ノート (平凡社ライブラリー)新版 マヤコフスキイ・ノート (平凡社ライブラリー)
(2006/12/12)
水野 忠夫

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 モノ書きや医学的なナニのための調べものにネットをよく使うんですが、ネットの便利さが限局的だということにあらためて気付かされます。これは日本語のネット環境での話ですけれど(他の言語については英語を仕事で使うだけなので詳しくないのです)、端的に言えば、情報の偏りがすごい。ネットが調べものに耐えるジャンルはけっこう限定的ですね。
 強いジャンルについてはもうてんこ盛りに情報が拾えるんですよ。私見では、オタク・サブカル系の情報は過剰なぐらいにふんだんです。特に、これも私見ですけど、アニメ・鉄道の情報の無駄な分厚さがすごい。今やってるアニメの名前とかで検索してみると、まあなんというか、ゲップが出そうなぐらいの情報が出てきますよ。「ベネズエラ地下鉄の全駅情報」とか、いったいどういうマニアの人が作製したんでしょう。
 でも、そこから一歩はずれるととたんに不毛の荒野なんだよなあ。ちょっとマイナーな事項について調べると、1,2個のソースとその引用の引用の引用の……が延々と引っかかってくるばかりで、使えないこと甚だしい。オタ・サブカル系の情報ですら、on goingの事象以外はお寒い限りですしね。そうなると、結局ネタ元の本を探すまでが精一杯で、後は図書館とか古書店の目録に頼らざるを得ないんですよ。このあいだも「まっかっかロック」を調べようとして、ネット上にはなにも情報が出てこないことに絶望しました。昭和44年のガロかあ……、まんだらけになければ国会図書館か大宅文庫かなあ、なんて考えたりして。
 もちろんネットの有用性とか利便性を否定する気は全くないんだけど、ネットだけに依存して情報を集めるのは絶対にまずいですね。いまさらな大原則ですが。でも、「ググって一ページ目に出てこない情報はこの世に存在しないものと見なす」という価値観が生まれてもおかしくない、というかすでにあるのかも。どうですかね、小説のネタとして。どうもセガワは食指を動かされませんが。


 もっとも、ネット上にたっぷり情報があるかのように見える事項であっても、信頼に足る情報は、結局のところ個人がコツコツ調べたものだったりします。検索して、ツイッターの発言が引っかかってもしょうがないわけで。個人HPが流行ったのはおそらく1990年代末から2003年ぐらいまでの数年間で、その後はブログやらSNSやらに駆逐されてしまった感があるんですが、調べものをしていて10年以上昔のHPが参考になることは結構多いですよ。
 SNSやツイッターもコミュニケーションツールとしては有効なんでしょうが、ネットの情報集積としての側面が弱まるのは寂しいなあ……、と一応書いてはおきますが、結局のところは昔も今も、発信するに足る情報を持っている人はそれほど多くないってだけのことなんでしょうね。


 ただ、ネットの特性がものすごく生きる場面もあって、それはなにかと言えば「この固有名詞は実在するのか」という調べものです。小説の中でデッチあげたウソ固有名詞が実在の事物と被っちゃまずいですからね。同姓同名の著名人がいるかどうかの調べにも役立ちますし。これを手作業でやることを考えるとゾッとします。これは結構ありがたいネットの恩恵ですね。
 その恩恵をささやかに被りつつ、現在小説推敲進行中です。










余談。「ぼくは16角形」で検索してみたらなんとご健在であることが判明してびっくりしましたよ!
で、これがタイトルにつながるんですが。
 昨夏から書いておりました長編小説を書き上げました。
 ヤッホウ肩の荷が下りたぜこれでほっと一息……、とはいかないのが小説の悲しいところで、ゴリゴリと推敲を重ねております。
 お披露目の準備が整いましたら、また告知致しますね。


-------- ☆ --------


 先日、シカラムータの新作アルバム『裸の星』がリリースされました!
 ご承知の通り、セガワが大好きなミュージシャンの皆さんです。「チューバはうたう mit Tuba」が刊行された折り、一方的に作品を献呈するという暴挙に出たのですが、幸いにもその後度々応援させて頂いております。
 音楽の内容を、ましてやシカラムータのような超個性派の音楽を言葉で説明することぐらい野暮なこともないとは思うのですが、これまでに増して濃い密度の演奏が詰まっていますよ。なんといっても感じ取れるのは、音が変容していく面白さですね。親しみやすい、鼻歌のように歌えるフレーズが生き物のようにモリモリ膨れあがっていく迫力と躍動感。しかもそれを強烈なビートが貫き、変拍子取り混ぜての複雑なリズムと混ぜ合わせて叩きだしてくるのですから。こういう面白い、しかも類例のない音楽というのは、本当に素晴らしいですよ。
 ちなみに、細かいことはここでは書けないのですが、シカラムータの音楽は3歳児(セガワの姪)から還暦越えのおっちゃん(セガワの父)までを踊らせる音楽だということが実証されました。この目で見たので、まちがいありません。

 
 そしてセガワも、本作にはほんのちょっぴりご縁がありまして。一つは、CDのライナーノートに寄稿させて頂いております。なんというか、もう、本当にありがとうございます。
 それからもう一つ、一曲目に収録された「火の中の火」は、恥ずかしながらセガワがお名前を提供させて頂きました。「チューバはうたう」作中、Muzicanti Auriiが演奏する曲名です。もちろんこれを音楽化したのではなく、大熊さんの発案で、出来上がった曲にお名前を差し上げたのですが。
 楽器にまるで縁のないセガワが、せめて脳内ででっち上げた「この世にあったらイイナの飛び切りかっこいい曲」は、いつのまにか実体を与えられて、本当にこの世に生まれ出たようです。なんとも不思議な、そしてとてもうれしいことです。

  素晴らしいことだ、「かっこいい音楽」はいつしか実体を与えられ、「ものすごくかっこいい音楽」に進化してシカラムータから弾き出されている。空想が文字になり、文字は音楽になって、世界へと広がってゆく。空想しか能のない物書きにとって、これ以上の幸運ってあるだろうか?
 そしてこの音楽が、またどこかの物書きの空想を刺激することがあるのならば。このイカれた世界もあんがい捨てたもんじゃないだろうな、と、筆者は本気で思っている。


 ライナーノートの文章より引用しましたが、これが、セガワの偽らざる気持ちであります。


 脳とか脊髄とか筋肉とかをちょっと刺激してみたいかた、気が付いてみたら滅多に体が熱を帯びることなどなくなっていたとお嘆きのかた、倦怠沈む日常にリズムとビートを注入してみたいとお思いのかた、シカラムータ「裸の星」を是非どうぞ。


裸の星裸の星
(2010/01/27)
CICALA-MVTA

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segawashin

Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
ホームページはこちら。
www.segawashin.com
ツイッターはこちら。
http://twitter.com/#!/segawashin

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