新年快乐!
思いきり出遅れましたが、新年おめでとうございます。
ギリギリ松の内に間に合いました。
実はこの年末年始は、中国某所で過ごしておりました。
セガワの父が現在中国で仕事しておりまして、そっちに家族で集まったのです。なので、いわゆる日中合弁の会社が巨大な企業団地を作っている、某大都市の近郊……とはいえ100kmぐらい離れた田舎……で数日を過ごしたわけです。普通の旅行ではまず訪れるチャンスのないところであって、これはなかなか得難い経験でした。
その企業群が周辺の村々に巨大な雇用を作り出していて、日本語を話せる若者を養成して、彼らが場合によっては留学したり日本の企業に働きに来たりするという不思議な世界ができあがっているわけです。日本人が宿泊するホテルがあるのですが、そこの従業員は軒並み日本語が話せたりして。彼らも日本語を武器にのし上がろうという向上心というか野心というか、そういう熱意が強くて。こういうのが今の中国のポテンシャルなんだろうなと思いました。
図らずも某大都市、企業団地、そしてその周辺の村々という同じ国に併存するとは思えないぐらい大きな差のある世界を短期間に見て回った年末年始でした。セガワの偽らざる感想を端的に述べるならば、膨大な矛盾と疾風怒濤を抱えっぱなしで世界第二位のGDPにまで膨張してしまった中国という国で生きていく苦労は、やはり想像するに余りあるなあというところです。
ちなみに今回、あまり深く考えずに昨年末古書店で手に入れた開高健の紀行文「過去と未来の国々」を持って行ったのですが、これは痛切な読書経験になりました。なにしろこの本、きっかり半世紀前、1960年に開高健が「文学代表団」の一員として訪中した際の見聞なのです。大躍進の直後ぐらいでしょうか。時代が時代ですから完全なる招待旅行なのですが、開高の冷厳な観察眼によって、本書は単なるお手盛り旅行記に堕することから免れているように思いました。
「米国帝国主義への反対」とか「日中人民の連帯」とか、本書に出てくる中国人たちはあらゆる場面でこのような「公式見解」を口にします。えらく教条的にも感じられるのですが、考えてみれば当時の中国は日中戦争の終結から15年、朝鮮戦争の休戦からたった7年しか経っていなかったわけで、かような「公式見解」はまだ個人に根ざした経験と照応することのできる、生々しく熱を持ったものだったのだろうなと思われました。戦後、辻政信と対談した陳毅副首相(当時)の一節などは傑作ですよ。もっとも、それでも、開高は至るところに固い殻やボタンの掛け違えを感じ、対話が迷路に入り込んでしまったことに気付いて、疲労を感じたことを率直に打ち明けているのですが。
驚くべきは、このとき開高健は若干三十歳。ひどく老成した目を持った人だったのだと感じました。こういう沈思は、今どき探してもなかなか見つけにくいものです。
思うにこの半世紀、中国にとっても日本にとってもまことに波瀾万丈でした。むろん中国はとてつもなく変化しているんですが、実は日本だって相当に転変している。なにしろ開高の訪中とぴったり同じタイミングで六十年安保が盛り上がり、樺美智子さんが亡くなり、岸内閣が退陣しているのですから。高度経済成長に政治の季節の終焉、バブル経済の到来と破綻と長い長い不況は、その後の50年のことです。
さように振り返ってみれば、今後世界がどうなってゆくか予想することなど不可能に思われるのですが、それでも世界がよりよくなることを祈らずにはいられません。
この先の半世紀に、まずはこの一年に。
今年もよろしくお願いいたします。
思いきり出遅れましたが、新年おめでとうございます。
ギリギリ松の内に間に合いました。
実はこの年末年始は、中国某所で過ごしておりました。
セガワの父が現在中国で仕事しておりまして、そっちに家族で集まったのです。なので、いわゆる日中合弁の会社が巨大な企業団地を作っている、某大都市の近郊……とはいえ100kmぐらい離れた田舎……で数日を過ごしたわけです。普通の旅行ではまず訪れるチャンスのないところであって、これはなかなか得難い経験でした。
その企業群が周辺の村々に巨大な雇用を作り出していて、日本語を話せる若者を養成して、彼らが場合によっては留学したり日本の企業に働きに来たりするという不思議な世界ができあがっているわけです。日本人が宿泊するホテルがあるのですが、そこの従業員は軒並み日本語が話せたりして。彼らも日本語を武器にのし上がろうという向上心というか野心というか、そういう熱意が強くて。こういうのが今の中国のポテンシャルなんだろうなと思いました。
図らずも某大都市、企業団地、そしてその周辺の村々という同じ国に併存するとは思えないぐらい大きな差のある世界を短期間に見て回った年末年始でした。セガワの偽らざる感想を端的に述べるならば、膨大な矛盾と疾風怒濤を抱えっぱなしで世界第二位のGDPにまで膨張してしまった中国という国で生きていく苦労は、やはり想像するに余りあるなあというところです。
ちなみに今回、あまり深く考えずに昨年末古書店で手に入れた開高健の紀行文「過去と未来の国々」を持って行ったのですが、これは痛切な読書経験になりました。なにしろこの本、きっかり半世紀前、1960年に開高健が「文学代表団」の一員として訪中した際の見聞なのです。大躍進の直後ぐらいでしょうか。時代が時代ですから完全なる招待旅行なのですが、開高の冷厳な観察眼によって、本書は単なるお手盛り旅行記に堕することから免れているように思いました。
「米国帝国主義への反対」とか「日中人民の連帯」とか、本書に出てくる中国人たちはあらゆる場面でこのような「公式見解」を口にします。えらく教条的にも感じられるのですが、考えてみれば当時の中国は日中戦争の終結から15年、朝鮮戦争の休戦からたった7年しか経っていなかったわけで、かような「公式見解」はまだ個人に根ざした経験と照応することのできる、生々しく熱を持ったものだったのだろうなと思われました。戦後、辻政信と対談した陳毅副首相(当時)の一節などは傑作ですよ。もっとも、それでも、開高は至るところに固い殻やボタンの掛け違えを感じ、対話が迷路に入り込んでしまったことに気付いて、疲労を感じたことを率直に打ち明けているのですが。
驚くべきは、このとき開高健は若干三十歳。ひどく老成した目を持った人だったのだと感じました。こういう沈思は、今どき探してもなかなか見つけにくいものです。
思うにこの半世紀、中国にとっても日本にとってもまことに波瀾万丈でした。むろん中国はとてつもなく変化しているんですが、実は日本だって相当に転変している。なにしろ開高の訪中とぴったり同じタイミングで六十年安保が盛り上がり、樺美智子さんが亡くなり、岸内閣が退陣しているのですから。高度経済成長に政治の季節の終焉、バブル経済の到来と破綻と長い長い不況は、その後の50年のことです。
さように振り返ってみれば、今後世界がどうなってゆくか予想することなど不可能に思われるのですが、それでも世界がよりよくなることを祈らずにはいられません。
この先の半世紀に、まずはこの一年に。
今年もよろしくお願いいたします。
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