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セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

 ツイッターを順調に続けております。いやもう自分の不明を恥じるしかないんですが、便利ですねこれ。なにが便利かって、「こんなことでもなければ絶対に他人に打ち明けなかった脳内の動き」を表明できるのがすごい。その意義はさておくとして、日々セガワの脳内に蠢いているくっだらないことをアウトプットできるというのは、すごいことだと思うのですよ。まあこういう使い方なので、小説書きとは全然違う回路で頭が働くようで、幸い執筆のペースに変化はないようです。
 あと、ざっくり考えていることをメモがわりに書けるのも便利です。ご承知の通り、どうも自分はブログの記事描くにしてもやけに長く書いてしまう癖があるので、140文字の制限はかえって有効に働いたように思います。後でまとめてみると、それなりの記事にはなるんですね。
 ただ、ツイッターの欠点は「過去の記事を遡るのめんどい」点だと思うので、ここに一月のツイートをまとめてみました。多少の加筆はしてありますが、原則としてつぶやいたまんまです。あ、「メシ食ったなう」のようなどうでもいいツイートは省いてあります。



○とんち番長……の話題ではない
 ちばてつやの学園ものの漫画を無性に再読したくなった。「ハリスの旋風」とか「俺は鉄平」とか。「サルまん」でテンプレ化されてた、暴れん坊+ヒロイン+メガネくんという図式の源流のような気もするんだけど、70年代以前の漫画に詳しくないから断言できない。
 そう考えてみると漫画のアーカイブって心許ないなぁ。一般書籍ならば図書館でなんとかなるけど。国会図書館や馬場の漫画図書館に通うぐらいしか思いつかない。まぁちば作品ならばわりと入手しやすいだろうが(復刻もされてるし)、マイナーな作人になると地道なマニアの発掘作業に頼るしかないとか…。
 で、「鉄平」のラストはおぼろげに記憶していたが(確か監禁されてた土蔵から逃げ出して舟乗って宝探し?に脱出、バックに富士山)、ハリスの旋風のラストも似たような感じでちょっとおかしい。「俺たちの戦いはこれからだ!」は打ち切り漫画の強引なラストの代名詞になった感があるけど、この頃にはまだ普通の終わりかたとして認知されてたんだな。アストロ球団もラストでアフリカ行ってたけど、90年代も終わりになってから主人公をアフリカに行かせて話を〆た本宮ひろ志はさすがの昭和脳(『旅の途中』)。
 ちなみに、ハリス学園はスポンサーのハリス食品に由来することをたった今知った。ネットってべんり。
(2011.1.5)


○七草とシチグサ
「いじわるばあさん」に、金持ちな感じのご婦人が「七草のお買い初めオホホ」と挨拶していくのを、意地悪ばあさんが「シチグサがどうとか言ってましたよ!」と吹聴して回るという話があった。シンプルなネタだけど、もうこれは解説なしだと理解されないんじゃないだろうか。そもそも「七草のお買い初め」という概念自体がほとんど滅びてしまったように思う。松の内どころか、正月1日から開けてる店も珍しくないしな。たぶん社会構造の変化に、チェーン店の果たした役割は想像以上にでかい。自分の記憶の残る80年代前半、チェーン店は今日ほど一般的じゃなかった。
 質草って言葉も古びつつあるけれど、質屋さんじたいは意外に現役なので驚く。自宅の近くにも一軒ある。歓楽街にも結構営業していて、なんとなく社会の一面が見えてみたり。もちろんアクセサリーだのバッグだのが並んでます。デジカメやノートパソコンが置いてあるのを見たこともあって、値付けとかどうやってるんだろうな。これも面白そうな世界の一部。
(2011.1.7)


○仙台に行ってきました
 帰京なう。行くたびに宮城県はスゲエと思ってしまうのだが、海のもの山のものがいずれも豊富でレベル高い上に温泉も多い。でもって仙台がそこそこ都会。というか、これ以上のサイズの都市は生きづらいよなぁと思ってしまう。東京のど真ん中に住んでいて言うのもなんだが。
 今回は、前に訪れてたいそう気に入った亘理町の「鳥の海」という温泉に行ってきたよ。海が見える温泉であるうえ、汽水域フェチであるセガワにはたまらん地形が広がっているという。今日は結構な雪だったんで、鳥の海散策はあきらめましたが。さらに、この温泉の物販コーナーには地元の野菜やら魚やらを売っているのだが、これがいずれも泣けてくるぐらいに立派で安い。ウチワみたいにでっかい子持ちヒラメが千円とか。日本の農業漁業はスゲエよ。田舎に行くたびに思う。土地の野菜食って米食って魚食って、そういう生活は幸せだろうなぁ。セガワの両親が半リタイアして半自給自足の生活を送ってるのを見ると、ああいうライフスタイルはアリじゃねえのかな、なんて思ってしまう。よし!ボクも年齢いったら田舎に土地買ってエコロでロハスな生活して自然派文化人枠をゲットだ!
(2011.1.9)


○音楽のこと二つ
 本当に久しぶりに富田勲・編「展覧会の絵」を聞く。さすがに中学校の時に聞いた時みたいな驚きはもう薄れちゃったけど、優れたアレンジだとは思うなー。多分「展覧会の絵」は、もっともさまざまなヴァージョンの編曲が作られたクラシック曲だと思う。
 もう一つ、今日ラジオで聞いた「毛皮のマリーズ」というバンドが面白かった。ポップスには疎いんで、なにを今さらなのかもしれないが。帰ってきて、裸のラリー……いや違うな毛皮のラリー……と検索にちょっと手間取った。裸のラリーズと脳内で混線していたらしい。
(2011.1.9)


○ぼくのかんがえたさいきょうのたいがどらま
 昨日から新しい大河ドラマが始まったそうで。どうせ見ないからあれこれ言うのも詮無いんだが、なんで大河ドラマって武家とその周辺ばっか取り上げるんだろ。更に興味が失せる。個人的には文化人とか芸術家を取り上げて欲しいと思っているのだ。葛飾北斎とか滝沢馬琴とか塙保己一とか司馬江漢とか秋田蘭画の周辺とか。
 ……うん!自分で書いててなんだけど絶望的に地味なドラマになりそうだよ!でもすごく見たいんだよ!
 などと書いていて気付いたんだが、明治に入っての蘭学者というのはどういうポジションにいたのか、つまりはその知がどんな具合に継承されたのか(あるいはされなかったのか)気になる。幕末って、多数の大学者が粛正にあった時期でもあると思うんだ。渡辺崋山とか高野長英とか。
(2011.1.10)


○歌詠む人々
 朝日新聞の夕刊に詩歌が載ってるんだが、本日のは、大森静佳という京大在学中の若い歌人の歌だった。

「部屋に雨匂うよ君のクリックに『はやぶさ』は何度も燃え尽きて」

 ものすごい才気に嫉妬に駆られる。クワッ。日野草城みたいだ。

「晩年のあなたの冬に巻くようにあなたの首にマフラーを巻く」

 このぬけぬけとした全能感がスゲエ。森羅万象眼球の中に収めているかのような無頓着な世界把握。ああちくしょう、若さを羨んでいることを自覚してしまった自分がイヤだ。ossanになりかかってる自分としては、「20年経って同じ歌が詠めるならば褒めてやるよ!」と捨てゼリフ残すぐらいしかできることがない。短歌には臆面もない若さを晒す機能があるな。俳句と違って。寺山修司のこんな歌みたいに。

「向日葵の種一粒を蒔きしのみ荒野を吾が処女地と呼びき」

 もう自分にこういう歌は作れない、技巧的に作ったとしてもそこまではらわた晒すのはしんどい。

「猛る火はかなた地平にひるがえり我がはらわたを炙る埋み火」 深
「冬尽きておれもねむらう火の胤はいずちにあらず我が腹にあり」 深

 拙詠二首。ということで眠りますなう。
(2011.1.11)


○梶原一騎ルネサンスktkr
 タイガーマスク騒動はなんだか便乗の香りもしてスッキリしないのだが、これを機に梶原一騎リバイバルが起こってしまったらと思うと居ても立っても居られない。「どあほう!一念400勝」とか「友情山脈」とかが復刊しちゃったらどうしよう。
(2011.1.12)


○医療過疎への貢献なるか
 病院が医学部開設を目指すってかなり珍しい事態だなぁ。実現すれば、岩手医大に次いで東北2番目の私立医学部ができることになるな。
「仙台厚生病院が医学部新設を構想」
(2011.1.12)


○ポスト共通一次世代
 そっか明日はセンター試験なのか。当時は5教科6科目で800点満点だったなー。理系なのに世界史を選択をしてしまい(当時は普通なら地理洗濯だった)、泣きを見たのも懐かしき思い出です。センタープレ試験であり得ない点数→泣きながら年末年始の猛勉強→センター試験 の流れは自分の生涯でいちばん勉強した時期の一つだったかも。今だからこっそり打ち明けるけど、プレで49点→本番98点だった。
 しかし暗記苦手で理系に来たのに医学部は暗記だらけだったでござるの巻。
 そして語学苦手で理系に来たのに研究職は英語がデフォルトだったでござるの巻。
(2011.1.14)


○燃え盛る中東
 あぁ、チュニジアで政変!サハラ以北では安定しているアフリカだと思っていたけど、やはり長期政権の歪みはあったか。似たような状況のエジプトがどう反応するかは興味あり。リビアはなんとなく通常営業の予感。(2011.1.15)

 そういえば、チュニジアの政変について「アラブ世界初の民衆革命」ってキャプションが載ってた記事を読んだけれど、これってどうなんだろ。エジプトもリビアもイラクも、本質的には「上からの革命」って扱いなのかな。そして相変わらず言及されない南イエメン。アラブ世界のガチンコ共産主義国家というのはかなり興味深いんだけど、社会の実態はどうだったんだろう。少し調べてみたい気分。 (2011.1.20)

 丁度二週間前にこんなこと書いてたけど、エジプトが実際すごいことになってしまった。
 ただちに政変が起こるかどうかは分からないけれど、エルバラダイさんがキーパーソンにはなるんだろうか。エジプトの独裁の長期化も結構腰が据わってるし、腐敗もひどいとは仄聞しているので、無傷で終わるとは思えないなぁ。他にも長期熟成の独裁政権が多い中東~北アフリカあたりは恐々としてるだろうな。ただ、こういう独裁政権の中にイランが数えられるのはちょっと違和感。大統領は民選だけど宗教指導者の権威のほうが上と言う理屈なんだろうか。しかし、未だに絶対王政な湾岸諸国よりはマシという気もするんだが。 (2011.1.29)

(追記:ご承知の通り、この二週間後にはエジプトでムバラク大統領が辞任。強権で押さえ込むのではなかろうかと考えていたリビアや、王族の支配が続いていたバーレーンですら民衆のデモが起こっている。そしてそこには、臆面もなく軍が投入されている。国民を圧殺する軍隊とは!しかしながら、軍隊とは本質的にそういうものなのだろう。有史以来自国民に刃を向けなかった軍隊など、あるのだろうか?
 事態ははるかに急速に進展している。中東の民衆に幸あれと願わずにはいられない。(2011.2.19))



○外道の帰還
 朝日新聞の夕刊より、ジャンクロード・デュバリエがハイチに帰国というニュースに驚愕。中南米で最悪の独裁者という印象しかないけれど、国内には一定の支持者があるのだとか。それにしても、隣国キューバを独裁と非難しつつデュバリエやソモサを看過したアメリカの清々しいまでのダブスタぶり。
(2011.1.17)


○大編曲家シェーンベルク
 起床小説執筆なう。BGMに、いろんな作曲家によるバッハ作品のオケ用の編曲をエサ=ペッカ・サロネンが振っているという面白いCD。演奏はロスフィル。シェーンベルクの編曲が圧倒的に面白くて感心する。ウェーベルンも面白い。エルガーは少々やかましい。ストコフスキーはとても退屈。
(2011.1.18)


○エセ科学に遺伝学を持ち出すな
 数年前の遺伝カウンセリング学会で「DNA」という言葉がいかに杜撰に扱われているかという特別講演があって実に興味深かった。「血統」「民族」という言葉ならば使いづらくともDNAならばなんとなくスルーされるって寸法よ。マイルドな優生思想の隠れ蓑。たとえば「日本人のDNA」なんぞと掲げている言説はまず間違いなくうさんくさい。薄気味悪い帰属意識の裏打ちに遺伝学のタームを交ぜるのは止めてくれ。
 それにしても、ウィキペディアの「大和民族」の項を書いたのは誰なんだ。今日まともな文脈で用いられるタームじゃなかろうに。英語版ではそのことがちゃんと書いてあるのに日本語版ではガン無視してある奇妙。全面的に加筆したい衝動に駆られる。
(2011.1.19)


○人はパンのみにて生きるにあらず、とは決してレトリックではない

RT @pukuma: ベーシックインカムで月10万円が保証されたら月収10~15万円の人は働かないだろう。15~20万円でも私なら働かない。その結果、日本の労働コストは急上昇。犬にはちょっと無理くらいの仕事をする労働者に経営者は結構な給料を払う必要が生じる。日本企業の国際競争力は当然失墜するだろう。

 ツイッターでこんな発言を見たけど、なんともまあ、薄っぺらい人生観だなぁ。ベーシック・インカムに対する反論として目にする理屈だけど、「お金は払うから働かなくていいっすよ」と言われて本当にガチンコで働かなくなる人ってどんだけいるんだろう。労働を純粋に賃金を得るためだけの手段と考えていれば、そういう発想に至るのかもしれないけど。俺はやだなぁ。本当の意味で一生遊んで暮らす人も一定数いるだろうけれど、たいていの人間はそこまで非社会的には生きられない生き物だと思う。これはワーカホリックとかとは別の次元で。「定年後は悠々自適だぜ」つってたおじちゃんが結局は薄給の再雇用に応じたりするしね。
 これで思い出したけど、「手厚い社会福祉に保護されてキャディラックを乗り回す貧乏人」みたいなステロタイプがアメリカにあるそうで、「キャデラック・ママ」と記憶していたのだがwelfare queenと言うことが判明。ウィキペディアにすら項目があった。「弱いものたちが夕暮れさらに弱いものを叩く」という構図は洋の東西を問わずあるものだなぁと思わず嘆息。
 「うまい汁吸いやがって許せねえ!」っていうシンプルな嫉妬だろうな。その他大多数の社会的弱者には思いが至らないまま。
(2011.1.23)


○驚くべき血縁
 谷川健一と谷川雁が兄弟であることをたった今知った。すごい兄弟だ。
 ついでに、沖浦和光さんの甥っ子が著名なアニメーターであることも最近知った。wikiで見ると大ベテランだな……。
(2011.1.26)


○迷走するコウタロー
 「コータローまかり通る」という漫画が昔あったが、学園ラブコメかと思っていたらなぜか音楽漫画になっていて困惑した記憶がある。しかもコータローがいつのまにか凄腕ドラマーになっていて、ドラムソロだけで一時間ライブを持たせてしまうあたりでは、ロックにまったく詳しくないけど「ないわー」と思った。電気屋の営業だったはずがいつのまにかワイン通や音楽業界通になっていたガチョウ島交錯と似た違和感。
 まあ今にして思えば、どんどんリアル高校生がお盛んになっていった(というかそのことが社会的に認知された)90年代には、「パンチラゲットだぜ☆」なノリのラブコメを続けてくのはしんどかったんだろうなぁと思う。
(2011.1.27)


○低温と声と低音の至福
 一昨日行ったライブがあまりにもすごかったのでご報告@綾瀬コンポステラ関島岳郎さんに高岡大祐さんというチューバのすごい人がツイン!に加えて酒井俊さんというボーカリストの女性。恥ずかしながら関島さん以外はライブはじめてだったのだが。自分の乏しい見聞の範囲でだが、これはちょっとした奇蹟だったですよ。20人ぐらい入ったら満杯という小さなスペースで、ツインチューバにボーカルをすべて生音で聞くという贅沢!
 これがうるさいか、っていうと全然そんなことはなくて。管楽器がこんなに息づかいそのもののように聞こえたのは本当にはじめてのことで、ああ、音楽というのは音に内包されるもんなのだということに気付かされた。音符も声も音なのだ。ゲップもくしゃみもしわぶきも。そしてまた酒井さんの声が、歌と語りのあいだを揺れ動くかのようなすばらしさだった。「ヨイトマケの歌」「平和に生きる権利」の終盤は鳥肌モノ。つまりなにが言いたいかって言うと、自分はこの夜、三つの「息」の共演を聞いたことになるのだ。アンサンブルという言葉はあんまりそぐわない気がする。
 そしてもう一つ、これは真に驚くべきことだったんだが、聞いているあいだほとんど、チューバを低音楽器だと意識することがなかった。チューバはチューバであって、息と身体の共鳴の依り代だった。
 ともあれ、後になって考えれば考えるほど驚くべきライブだったとしか言いようがなく、あの奇蹟を共有できたのがほんの20人ちょいだったとはなんという贅沢!曲名や感想などもう少し詳しくブログに書きたいけれど、覚え書きもかねて、取り急ぎ。

 余談。帰り道につくばエキスプレスの青井駅まで歩こうとして道に迷った。なんかいやがらせみたいに分かりづらいところにあるんだもん……。こういうときに限ってやけに星がきれいなんだ。アダチク・デ・コンポステラでしたわよまったくもう。
(2011.1.29)


○時空を超えた矮小な現実逃避
北海道の拓殖軌道に乗りたかったーーーーーーッ!
具体的には根室拓殖鉄道とか別海村営軌道とか幌延町営軌道とか!

真夏の草いきれの中を、真冬の氷雪の中を、どこまでも続く軌道をガソリンカーで旅してみたかった!ちくしょうなんで俺はあと半世紀早く生まれていなかったのだろう!
……つってボクの世代で半世紀早く生まれてたら学徒出陣で死亡フラグですね。平和な戦後に感謝。
さ、現実逃避終わり。仕事仕事。
(2011.1.30)


○居酒屋の豊穣
 夕食代わりに、近所のお気に入りの居酒屋に行ってきたのだが、そこのアンキモが絶品だった。やわらかくて、滑らかで、のどの奥で色濃くて、申し分ない。これは声を大にして言いたいのだが、フォアグラなんぞよりもよっぽどうまい!世界の三大珍味なんぞ、ヨーロッパ半島での話ですよ。開高健さんが、キャビアよりもトンブリの方がよっぽど旨いと書いておられたことを記憶しているが、あれ、あながち諧謔ではないと思う。
 この居酒屋はどういったことか海産物のレベルが異常に高く、しかもお値段がお値打ちなので近所にあったことをつくづく行幸と思うお店。セガワ宅にご来訪の折りにはぜひ案内します。いえ、なんてこたーない居酒屋なんですが。
 ついでながら、今日愉しんだ東洋美人・純米吟醸 437という日本酒がなかなかに素晴らしかった。お店のお兄さん曰く、山口の若手の酒造家のチャレンジングなお酒なのだとか。濃くて辛口で臭くない。ちょいとハードパンチャーな酒なのでチェイサーと一緒に飲むとニルヴァーナな飲み口。素敵!
(2011.1.30)
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Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
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