セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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 新聞を読んでいて、カルロス・フエンテスの逝去を知る。
 それなりのお年だったとはいえ、ああ残念だなあ……とちょっとしょんぼり。
 アンゲロプロスの訃報を聞いたときも思ったけど、自分が若いころに見聞きして強くインスピレーションを貰った人が亡くなるというのはなんだかとても悲しいことだ。たいていの場合そういう人というのは自分よりも年上なので、先に逝かれる可能性の方がはるかに高いんだけれど。最初にそういうことを実感したのは、1992年、オリヴィエ・メシアンと中上健次の訃報を聞いたときだったかなあと思い出す。
 フエンテスは「老いぼれグリンゴ」と岩波文庫の短編「アウラ・純な魂」を読んだだけなんだけど、前者がとにかく凄い小説だったと記憶している。歴史の虚構とメロドラマをふんだんに盛り込んだメキシコの来歴。たとえばこういうやり方で、明治維新は再構築できるものだろうか?
 それにしても、フエンテスといいルルフォといいパチェーコといい、メキシコは本当に凄い作家を生む土地だなあ。




 ……などと思っていたら。
 フエンテスの長編「大気澄み渡る土地」が邦訳されていたことを知ってしまったよ!
 え、えらいこっちゃぁ……。確か木村栄一さんの「八十余人の登場人物の語りによりメキシコの全体像を描き出そうとした」という(うろ覚え)文章に心引かれて、ああ読みたい、読みたい、読みたいなあ! とずーーーーーーっと思っていた作品。これはもう即買いですわよ。コルタサルの訃報と入れ違いになってしまったような刊行だけれど、謹んで読ませて頂こうと思う。


 そうとなると次は……、「我らが大地 Tierra Nostra」も邦訳されないかなあ!
 出たら二冊は買うので確実に二冊は売れますよ(駄)。
 ついでにバストス「至高の存在たる余は」が邦訳されて、どさくさにまぎれて「夜のみだらな鳥」が文庫化しないかなあ。


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 ちょっと古い話になるのだけど、ゆえあって、生まれて初めて大衆演劇を見てきたよ。2012年5月4日、栃木県芳賀郡芳賀町の上延生ヘルスセンター


 この上延生ヘルスセンター、その極端な行きづらさもあって大衆演劇ファンには知る人ぞ知る存在である(らしい)。正直なところ、栃木の地元的にも知名度高いかっていうと……うーん。だいたい芳賀町の真ん中へんに劇場があると言ってもたいていの栃木県民はむしろ混乱するばかりだろうし、住所を頼りにGoogleマップなどを参照してみても周囲には田んぼがが広がるばかり。温泉場でも繁華街でもない田園地帯にぽつりと佇んでいる劇場というのは、それ自体がなんだか一つの神話みたいな感じなのだった。


 で、実際に行ってきたのである。
 公共交通の便が悪いとはいえ、車があれば宇都宮市内から30分ていど。朝方までは豪雨と雷雨で鬼怒川が増水しまくっていたが、少々迷いつつ上延生にたどり着いたときには晴れ間が広がりつつあった。予想はしていたけれど、細い農道を走っていると突然現れる公演の幟はなんだか不思議である。建物は昭和の御代に建った公民館みたいな感じ。
 中に入ると、上がりかまちがいきなり大広間につながっていて不意を打たれる。玄関を開けたらいきなり居間という感じだ。もうすでに第一部のショウは終了していて、観客のおっちゃんおばちゃんがゴロゴロしていた。客の入りは30人程度、少々少なめなんだろうか。チケット売り場はその奥にあって、土産物売り場のきびきびしたおばちゃんが対応してくれた。公演にお弁当と飲み物が付いて2800円、しかし本日はもうお弁当が終わってしまったので2300円とのこと。映画に飲み物食べ物が付いたと考えれば、この値段はお値打ちなのではなかろうか。今回は時間の都合で入らなかったけど、ここには入浴施設も付いているのである。
 お弁当代わりにカップ麺を買い、ズルズル啜りながら時間を潰していたら、13時から第二部のショウが始まった。だいたい大衆演劇というのは、こういう風に歌や踊りのショウと演劇の二部構成になっているらしい。


 さて、このとき公演していた劇団は「新星劇 豊島屋虎太」という一座。まったく予備知識はなかったのだけど、座長も座員も若い一座だった。その生なのかどうかは分からないけど、全体的に芸の元気がいい印象で、歌と踊りを交えて代わる代わる20曲ぐらいやったんじゃないだろうか。言葉通りの盛りだくさん。歌も衣装も派手で、見ていてすごく景気のいい気分になれる。いいですね、こういうのは。
 細かく演目をメモらなかったのが悔やまれるのだけれど、印象に残るのは、座長・豊島屋虎太の重低音(よく響く低音ってわりと貴重な気がする)、新海輝龍の「ブラジル音頭」のヤンチャな踊りと面の早変わり。若い女の子二人もかなり踊りが上手だとお見受けしたんだけれど、名前を忘れてしまったのが非常に残念。踊りの良し悪しを判断する素養は全くないのだけれど、日舞をやっていた同行ゆきさんによれば「全体的にかなりうまい」とのこと。プロにそういうこと言うのも失礼ですが。指先の動きがきれいなので、ついつい目が言ってしまった。それから、劇団責任者の大導寺はじめのとにかく達者な歌と踊り。所作のいちいちがぴしっと締まっていて、ビシバシ流し目が飛んできて、なんだか感動してしまった。自分が女性ならばゾクゾク来るんじゃなかろうかというかっこよさだったよ(後で調べたら超ベテランでしたね、この方は)。それから、第二部の締め、団員が桜の枝を持って一斉に踊り乱れる「桜踊り」は本当に素晴らしくて、「ニルヴァーナ!」と嘆息したくなった。惜しみないド派手さである。


 15分程度の休憩をはさんで、いよいよ第三部はお芝居。演目を聞き取れなかったんだけど「利根の夜あらし」……と言っていた気がする。
 あらすじはこんな感じ。舞台は川沿いの宿場町。船宿を営む東兵衛の娘お千代は、武家の跡取り息子の青木一馬と恋仲なのだが、身分違いの恋は一馬の母・姉に猛反対されている。実はお千代は東兵衛の実娘ではなく、ゆえあって兄・新兵衛の娘を引き取って育てていたのである。いっぽうお千代は町のごろつき空っ風の松五郎に横恋慕されているのだが、娘をくれという松五郎をすげなく断った東兵衛は松五郎に刺し殺されてしまう。松五郎は行方をくらます。ここまでが第一幕。
 第二幕では、御千代は青木家に嫁入りしているのだが、なにかにつけて姑と小姑にいびられる毎日。そこに舞い戻ってきた松五郎が強引にお千代を連れ出そうとするのだが、それをとどめるのは松五郎の兄貴分?のやくざもの。やくざものは松五郎を追っ払うと同時に、不遇を託っているお千代をも連れだして、お千代の実父・新兵衛の元へと逃してやるのであった。ここまでが第二幕。
 第三幕では、お千代は川の上流、新兵衛が渡し船を営んでいる村まで逃げてくる。底に、お千代を負って空っ風の松五郎がやってくる。しかし、それをまたもとどめるやくざもの。実は彼は、絶縁されているものの、新兵衛の息子でありお千代の兄なのであった。やくざものは松五郎と切り結び、激闘のすえ松五郎を倒す。そして、お千代の幸せを祈りひとり立ち去ってゆく。終幕。
 シンプルなメロドラマだけど、非常に面白かった。こういう舞台での作法も随所に見られて興味深かった。たとえば、理解を助けるためか、セリフはおそらく意図的に繰り返される(例.『なぁお千代を嫁にくれねえか』『莫迦なことを、お千代をお前のようなごろつきに嫁にやれるものか』)。止め絵でサマに鳴る立ち位置が工夫されているようで、チャンバラもただがむしゃらに斬り合っているのではなくて、あちこちにストップモーションのような動きが入る。芸の善し悪しは例によって云々できる訳じゃないんだけど、東兵衛・新兵衛をダブルキャストでやった大導寺はじめ、やくざものを演じた豊島屋虎太と松五郎(キャスト失念)の掛け合いと斬り合いは特に見事だった。


 よく考えてみれば、こういう大衆演劇というのも非常に不思議な芸風だと思う。和服に日舞ベースの踊り、和っぽい雰囲気に貫かれてはいるんだけれど、芸そのものは伝統的なモノにこだわっている感じでもなく、むしろ面白いものを惜しみなく取り入れていく感じがある。照明はディスコ風にもなるし、音楽はトランス風やラップ風にもなるし。ステージのベクトルが「オモシロイ感じ」にきちんと向いている世界である。小理屈をこねて客に褒めて貰えるジャンルでもないでしょうしね。芝居に「女は三界に家などなく……」などとまぁ今日的な基準ではいろいろまずそうな部分もあるんだけれど、考えてみればこういうのも日本的情緒とは親和性が高そう。日本文化と日本的情緒をかき混ぜて、ヤンキー的素養を接ぎ木した一種のハイブリッドなのかもなあ、と根拠なく思った。
 それからもう一つ、大衆演劇というのはなぜかネットでの情報が探しにくい。もちろんホームページ持ってる劇団や小屋も多いし、個人のブログもそれなりにヒットするんだけれど、総じてのアーカイブに乏しいという印象だった。離合集散の激しい世界でもあるようだし、記録に残らない部分も相当多いんじゃないかと思う。個人的には、ちょっと勿体ないような気がしないでもない。
 それにしても、こういう娯楽で半日をのんびり過ごすのは、考えてみたらなかなか贅沢な経験だった。また他の劇団も見てみたいなあ。できれば今度は温泉場とか、あるいは街中の常設小屋とかで。
  告知が遅れてしまいましたが、現在発売中のすばる2012年6月号(集英社)に董啓章「地図集」の書評を書きました。お目通し頂ければ幸いです。


  董啓章は1967年生まれ、香港の小説家です。
表題作「地図集」は、テキストの堆積によって、(香港にとてもよく似ているけど香港と同じと言っていいかどうかは分からない)ある土地の丸ごとを描こうという野心的な構成で、登場人物が誰であらすじがこうでなどといった物語の枠組みはもとより存在しておりません。たとえば「ハザール辞典」や「見えない都市」に似た試みと言えるかも知れません。
  率直に言って自分の中国文学の知識はごくごくわずか、きわめて断片的なものなのだけれど、それでもこういう作品が香港で書かれていることには驚いたし、不勉強を恥じました。これはきちんと先行する文学の成果を踏まえ、消化した上で書かれたテキストです。また、いわゆる大陸の中国と香港の文学状況にはいったいどういう違いがあるのか(かつてどうだったのか、今はどうなのか)、あらためて興味をそそられました。
  知的なテキストの遊戯にご興味をお持ちのかた、ぜひ、ご一読を。


  もう一つ、これは書評の末尾にも書いたことですが、本書が原書から直訳された初の香港文学であると言うことで、関係者各位の熱意と尽力に心から敬服します。あまり意識されないことかも知れませんが、ごく一部の外国語を除いては、原典からの直訳というのはなかなかないことだと思うのですよ(なにしろ底本がどれなのかよく分からないことも多い)。まぁ訳者の専攻がフランス語だからフランス語からの重訳なんだろうなあ……みたいな想像をするしかないこともしばしばあって。
  なにしろすさまじい変化を遂げている中国文学のことですから、こういう試みがどんどん為されることを期待したいですね。
  

  思えば、ほんの20年前、初めての中国旅行で買った日本語訳の短編集に収められていた作品は、まだバリバリの社会主義リアリズムだったんですよ。若者の水着での川遊びが「大胆だ!」と話題になったらしい張抗抗の短編「夏」が、1980年の作品ですからね。そこからたった20年で上海ベイビーですもん。時間の遠近法が狂ってるんじゃないかと思えるほどの激変ぶりです。その一方で高行健みたいな韜晦な心理小説や莫言みたいな大胆な物語の試みも同時に存在しているわけで、中国からはまだまだ面白い小説が出てくるだろうなと思っています。
  文学もまた社会と無縁ではいられない以上、世界でいちばんアクティブな地域の文学が相応に沸騰するのは当然なんでしょうけれど。

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Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
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