セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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 近所の書店にももう見当たらなくてamazonに注文していた「文藝別冊 いしいひさいち」が届く。わぁいお待ちかねーと思いながら読み始めたのだけれど、読み止められなくて困った。なんだか凄まじい緊張感のある本だった。

 冒頭の架空インタビューがまずすごいシロモノだった。おちゃらけているようで全然おちゃらけていなくて、なんだかほとんど怖い。自分の感じ方がおかしいのかも知れないけれど、なんていうか、無造作にフリーハンドでビシバシ完璧な直線を描かれてる感じ。いやあちょっと歪んでるんですよねとか言いながら、完璧な直角を描かれている感じ。個別の感想はここでは書かないけれど、これだけでもこの書籍の価値はあるので是非ご一読を。
 それから、寄せられているコメントやトリビュート作がいちいちすごい。当代一流の書き手が、この途方もない才能を持った作家に全力で切り結んでいる。一部そうでもないけど。皆さん金属バットの使用も辞さずに土俵に上がっている印象を受けた。とりわけすごいなあと思ったのは吉田戦車さんの漫画と川島克之さんの寄稿。

 総じていしいひさいちという作家は、これほどに広く深く多様な仕事をしていながら、それなのにと言うべきか、それだからと言うべきか、「俺がこの作家を好きな理由は他の人には理解されない」という感想を今なお持たれ続けている書き手なんじゃないかなと思った。もちろん、僕のこの文章もそこに含まれるのだろう。

 なお、編集後記見てびっくりした。編集が新保信長さんだった。これは本当にいい仕事だと思う。このお名前見て笑いそうになるのは西原理恵子漫画の補正が強すぎるせいですが(笑)。


 余談。手元にある「わんだーらんど通信 6号」というミニコミ誌に、「元気なき戦い」といういしいひさいちさんの漫画が載っている(原作・みねぜっと)。発行は1983年4月1日。今になってみれば分からないネタも多々あるんだけれど、ここに出てくる角川春樹と高取英の似顔絵がとにかくイカスということだけ言いたかった。


いしいひさいち  仁義なきお笑い (文藝別冊/KAWADE夢ムック)いしいひさいち 仁義なきお笑い (文藝別冊/KAWADE夢ムック)
(2012/06/16)
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 ぼちぼち夏休みが始まったであろう学生の皆様お元気でしょうか。とっくに夏休みになど縁がなくなってしま今したが、セガワの心はいつでも夏休みです。Yes成熟拒否。終わりなき青春終わりなき日常終わりなき夏休み。
 このへんの始祖ってやはりサリンジャーなのかなあ。とはいえハンス・カストルプもムイシュキン侯爵もある意味似たキャラ付けの気がする。「青年」を発明したのは近代である、などと言うとインテリっぽくていいですね。


 「ユリイカ」誌1997年4月号は日本の漫画特集で、複数の漫画家のインタビューが載っている。「J-コミック'97」というタイトルは今見ればちょっと微苦笑が浮かぶなあとか(なんでもかんでもi-をくっつける時代の前にはe-をくっつけるのが流行って、90年代はJ-をつけるのが流行ってたんですよ)、荒木飛呂彦や伊藤潤二は今特集やっても入りそうだなあとか、町野変丸って今何やってるんだろうとか、それぞれインタビューが載っている吉田戦車と伊藤理佐がまさか結婚しちゃうとはなあとか、松本大洋とか黒田硫黄みたいなサブカル的な人気高かった層が入ってないのは意外だなあとか、当時すでに市場ができてたはずのオタ萌え系の漫画家が入ってないのは意外だなあとか、まあいろいろ思うところがあって面白いんですが。
 しかし、この特集でいちばん注目したいのは、村田ひろゆきのインタビューが載ってること。きちんと調べた訳じゃないけど、この作家がこういうかたちでインタビューを受けるのは珍しいことじゃないかと思う。そしてこれがまた、今読めば、かなり貴重な談話が含まれている。いい仕事だと思う。
 この当時にタイムスリップして、インタビュアー氏(フリーライターの轟夕起夫氏である)に「15年後、村田ひろゆきは終わらない夏休みへのオトシマエをつけてますよ」と言ったらどんな反応をされるだろうか。
 また、当時この号を手に取って(えぇ村田ひろゆきにインタビュー!?)と驚いていた小賢しいサブカル小僧の自分に「15年後村田ひろゆきが医療漫画描いてるぞ。しかもかなり面白い」と言ったら、どんな顔をするだろうか。



 ここで、記憶を平成の初頭に戻してみる。ビーバップハイスクールの影響でとにかくヤンキー漫画全盛期の頃である。ビーバップと湘南爆走族が人気で言えばツートップで、他にも特攻の拓とかファンキーモンキーティーチャーとかヤンキー烈風隊とか直管小僧とか湘南純愛組とかカメレオンとか。男旗……は別腹だな。しかし濃い漫画が揃ってた時代だったんだなー。景気がいいというのはこういうことでもあるんだろうか。
 この当時から村田ひろゆきは、「ヤンマガを開けば載ってる」作家だった。そこではいかにも頭の悪そうな高校生がじゃれ合ったり喧嘩しあったり、なにかというとセックスしたりしていた。自分も北関東の片田舎の高校に通っていたからそういう世界に既視感はあるにせよ、オタクやサブカルの世界に片足つっこみはじめた小僧だった自分にとっては、冷笑と失笑しか浮かばない漫画だった。「アッタマ悪い漫画だなぁ」と思ってたわけだ。ああ恥ずかしい。
 この当時から村田ひろゆきは「工業哀歌バレーボーイズ」の連載をしていて、ユリイカのインタビュー当時ですでに連載8年目(最終的に連載は18年の長期に及んだ)。で、その中味といえば、相も変わらずだべってつるんでセックスしての沼工トリオ(本作の主人公たちです)の終わりなき日常。
 だから、インタビュアー氏はインタビューの前に、こういう問いを置いた。

「果たして彼はこの”夏休み”にどうオトシマエをつけようとしているのだろうか?」



 この問いかけは面白いなあと思う。
 「終わらない夏休みをどう終わらせるか」という問いかけ自体はこの時点でもすでに新しいものではなかったはずで(宮台真司が「終わりなき日常を生きろ」を出したのが95年だったはず)、他の作品にもよく投げられていたと思うんだけれど、それはどっちかと言えばオタク・サブカル系の作品に偏っていたんじゃなかろうか。作者と読者と作品とが近い距離にあるという幻想を共有しやすいタイプの作品。ある種のセンスの共有が前提となるタイプの作品。
 作品そのものが一種の楽園めいた箱庭になってしまえば、そこからどう決別するかということは、まず読者にとって、次いで作者にとって、あげく作中人物にとってさえも(!)重要な問題になってしまう。うる星やつらのビューティフルドリーマーとか、ハルヒのエンドレスエイトみたいに。テレビ版エヴァの終盤の迷走みたいに。
 しかし、そういう問いを、こういうヤンキー漫画(バレーボーイズの内実と必ずしも合ってるレッテルだとは思わないけど)に投げたのは本当に面白い。確かに沼工トリオの日常はこの時点では終わりが見えなかったけれど、だからといって、沼工トリオの未来に思いを馳せつつこの作品を読んでいた読者はほとんどいなかったんじゃないだろうか。
 にもかかわらず、インタビュアー氏はこの問いかけを一つのゴールと定めて、作者からいろいろな言葉を引き出していく。それは今回再読して、あらためて興味深かった。「バレーボーイズと銘打ってるくせに、バレーやらずにセックスばっかりしてる」というのは連載当時から囁かれていたことだったけれど、その点についての作者の言葉。

「かろうじて残っているのが”哀歌”の部分なんですよねえ。(中略)必ずそれはどこかに入れておこうと。(中略)当時もいまも高校生の感覚なんて全然分からない。ただ、基本的に”哀歌”の部分は変わっていないんじゃないか、だったらその部分だけで勝負するから、ってね」 (前掲書 p.217)

 そっか。男おいどんや独身アパートどくだみ荘とコンパチな作品だったんだなあ。本当に今さらだけど。

「言い方悪いけれど、読み捨て漫画でいいと思ってるんです。そのときだけ楽しんでもらえばいい。(中略)僕はどこを取ってもそれなりに面白い漫画を描いていきたい」 (p.220-221)
「赤城たちが三年になってから夏までの間、もう10巻以上やってると思いますよ。(中略)でもそれを書いたら、もう後はないんですね。秋になって冬が来たらもう卒業だぞ、と」 (p.222)

 カッコイイ。村田ひろゆきは徹底して娯楽のプロに徹していて、しかし、インタビューの最後でかすかな迷いを見せている。作者の言葉がすべて真実を語っているわけではないにせよ、この時点では作者自身、終わらない夏休みへのオトシマエを決めかねていたようだ。語られる言葉には迷いが混じりまとまりがなく、インタビュアー氏も敢えてそこにきれいな整序をつけていないように見える。
 そしてこのインタビューからほぼ10年後、村田ひろゆきは「好色哀歌 元バレーボーイズ」という凄まじい作品を描いた。卒業の先にきちんと筆を進め、生老病死の生(性?)を象徴するかの如き夏の沼工トリオの陰画みたいに、老病死をいろんな角度から描いた作品である。ワープアだの失業だの妊娠だのメンヘルだの病気だの介護だの死だの、一筋縄じゃ行かない要素がてんこ盛りである、にもかかわらず、さすがに娯楽の大ベテランはこれを陰惨一辺倒では描かない。悲嘆に身をよじらせることばかりが哀歌じゃありませんからね。そのへん、大向こうを狙ってお涙頂戴にするような安いことを村田ひろゆきはやらなかったみたいだ。この人の筆には、どこかに楽天的な光りがあっていい。
 かくしてバレーボーイズの「終わりなき夏休み」には、実に見事なオトシマエがついた。ユリイカの特集から13年後のことである。高校を卒業しても、人生は続く。死ぬまで続く。本当だったら、ごく当たり前のことなのだ。その当たり前のことをきちんと描いた、出色の作品だったんじゃないかと僕は思っている。その当たり前のことを当たり前にできず、未だに「終わりなき日常」でグダッてる作品が少なからぬことを踏まえた上で。



 個人的にはもう一つ気になることがあって、「元バレーボーイズ」には病気の話がよく出てきていた。しかも「ガンです」みたいな杜撰な扱いではなくて、谷口の病気が腸骨の骨髄炎だとか、妙にきちんとした描写になっていて。作者自身の闘病経験があるにせよ、それを作品に反映させるかどうかはまた別のことだから、この描写はすごいなあと思って見ていた。
 などと思っていたら、今年に入って村田ひろゆきが「ドクター早乙女」の連載を開始したので、正直ものすごくびっくりした。医療ものですよ医療もの。医者がすげえヤンキー面だけど(笑)。まだ連載序盤だから内容云々するほど読んでいないけれど、意外なぐらいにきっちりとした描写です。
 こちらも傑作になることを祈って。

(文中敬称略)
 「芸術新潮」2003年9月号において、四方田犬彦さんが連載「あの人のボナペティ」で歌人・斎藤茂吉の熱狂的なウナギ好きについて紹介している。これじたい大変面白い記事なので一読をお勧めしたいけれど、ここで紹介したいのは、冒頭の一文。
「なにしろこの国(=日本)は、たった一種類の魚の料理だけのレストランが全国津々浦々に渡って存在するという、特異な国だからだ。」

 まことにその通り、よく考えてみれば、鰻屋というのは非常に不思議な業態である。扱う魚種は一種類のみ、料理方法もごく限られている。にもかかわらず、これがどこか特定の地域の名物料理などというのではなく、おおむねあるていどの規模の街ならば、まず一軒ぐらいは確実に鰻屋は存在するのだ。


 ここで、記憶を昭和の末期に戻してみる。子供のころから、僕はウナギが大好物だった。鰻重というのは、なんというかその、それはそれは美味しいものだったのである。
 そしてまた、ウナギとは滅多に食べられるものでもなかった。それはおおむねお盆とか法事とか、親類が集まったときなどに、たしか盛岡市鉈屋町にあった「かわ広」から厳かに仕出されてくるものであって、要するにウナギとはまったく特別な、ハレの日の食べ物だったのである。
 こういう状態は、おそらく、元号がかわってしばらくまで続いたように思う。90年代初頭に上京して一人暮らしをしたころにはまだ、ウナギとは、確かに特別な食べ物だったはずだ。
 

 しかし、あれはいつごろのことだっただろう? 大学時代から地味に自炊をしていたのでスーパーの鮮魚コーナーもときおりぶらつくことがあったのだが、そこでえらく安いウナギを目にしたのは。たしか蒲焼きの一パックが780円ていどで、それは、当時の感覚からすれば破壊的に安い値段だった。当時の自分にとっては、ウナギとは、どうやっても1000円を下回らない食べ物だったからだ。
 しかし、そういう売られかたをするウナギを目にすることがだんだん増えてきて、ついに安売りのウナギを一パッケ買ってきて、あぁ貧乏学生でも鰻丼を食えるようになるとはありがたい世の中になったモノだ、そんな風に慨嘆したころには、二十世紀も終わりに近づいていたのではなかったっけか。世紀をまたいで気がついてみれば、なんとウナギは、ずいぶんあちこちで目にするようになってしまった。しかも、ひどく安く。ロードサイドの牛丼屋で鰻丼が食えるなどと、一年にほぼ一度の鰻重を心待ちにしていた小学校の頃の自分は想像できただろうか? なにしろその鰻丼一杯がワンコイン、小学校五年生当時の自分のお小遣い(=500円/月)でも賄える価格なのだから。


 なぜ、こうなってしまったのだろう? 詳しいことは知らない。大雑把に理解するところは、ウナギの養殖を海外にアウトソーシングすることで、安いウナギの販路が確立されたということだ。それはおそらく、1パック780円のウナギに驚喜していた貧乏学生の時分におおむね一致する時期ではなかっただろうか。
 結果としてウナギは、専門店の専門的な料理の枠をはみ出してしまった。牛丼屋で牛丼と並べて供され、コンビニでまで販売され、スーパーで1パック398円でセールの目玉にされる魚になってしまった。
 それがいいことだったのかどうか?
 僕は否定的な気分にしかなれない。この消費のされ方は、なにか、度を超している。


 ここで養殖という言葉に惑わされそうになるが、ウナギを卵から孵化させる商業的な養殖技術は未だに確立していない。そもそも産卵の場所が分かったことすら、ここ10年ほどのことではなかっただろうか。ウナギの産卵した卵を孵化させて育てる、そのサイクルを人為的に完成させたのすら、ここ数年の話だったはずだ。現状でやっていることは、稚魚を捕ってきて育てる「肥育」であって、この稚魚が捕れなければそもそもウナギの「養殖」は成り立たない。
 その稚魚が、捕れなくなっている。三年連続の未曾有の不漁であるという。今年に入って、少しずつ報道されていることだ。僕はこの報せに少なからず衝撃を受けている。
 まさかとは思うが、このままでは、ウナギという資源が枯渇してしまうのではないだろうか?


 繰り返すが、ウナギは野菜や家畜のようにヒトの手だけで栽培・飼育することができない。これは漁業全般に言えることかも知れないが、実のところ、やっていることの半分は狩猟・採取に近いのだ。日本人は自らを農耕民族と自己規定しているかも知れないが、日本の食の重要な部分を占めていた漁撈とは、実のところは狩猟の一形態である。
 では、その魚が捕れなくなったとき、どうすべきなのか?
 方策は二つある。消費を減らすか、なんとかして供給を増やすか、そのどちらかである。
 幸い日本には札ビラを切るという手段が取れるので、ウナギの稚魚を海外から買ってくることができる。じつはこれは今回の不漁に始まったことではなくて、昔からやっていたことなのだった。ヨーロッパと北米のウナギの稚魚は、とっくに日本に輸入されている。それほどに、日本の近海でウナギの稚魚は捕れなくなっていた。そしてこのたびの不漁に際し、ついに日本はアフリカからもウナギの稚魚を輸入しはじめたらしい。
 そう聞いて、無類のウナギ好きの自分は、酷く衝撃を受ける。なんだか手を出してはいけないところにどんどん手を広げているような気がする。そんなことをしていて、本当に、大丈夫なのだろうか? 正確に判断することはできないが、なにか、歯止めがきかなくなっていると僕は感じる。現状を維持するために、未来の資源に手をつけてはいないか? 今年を乗り切るために、来年以降の危機を作り出しているのではないだろうか?


 そうであるならば、僕は、ウナギを食べないという選択をしたい。幸いにしてウナギは米でも大豆でもない。端的には、数年食べなくてもなんら困ることのない食品である。


 ただし、ここで忘れてはならないのは、ウナギという食材の特異性である。冒頭で述べたごとく、ウナギはそれ自体が一つの産業の根幹をなす、きわめて特殊な食材である。そこに携わる人々も、もちろん生活してゆかなければならない。
 さればこそ、ここで必要なのは、政治的な判断であり、金銭的な保障だろう。それが本来、社会の果たすべき役割だと思う。
 率直に言って、僕は、日本の行政が適切に水産資源を管理してきたとは思っていない。サバもマグロもアジも、近海の資源を激減させてしまったからだ。漁獲量規制も一向に進む気配がない。その一方で捕鯨にはやけに熱心で、誰も食べない鯨肉の在庫を積み上げているありさまだ。
 でも、それでもしかし、それは次に打つ手を諦める理由とはならないはずだと僕は思う。実際、たとえば秋田のハタハタは、厳しい禁漁を徹底したことで漁獲量を回復させることができた。そういう先例だってあるのだ。


 食べず、捕らないことで、ウナギの回復を待つ。それは、世界のウナギの実に7割を消費する日本人に課せられた責務ではないかとすら僕は思う。
 ウナギを産み出すことができるのはヒトの手ではなく、母なるウナギと、わだつみだけなのだから。





追記:ウナギの稚魚=シラスウナギの漁獲量がどのていど減ったかを示す資料を水産庁当たりで出していないだろうかと思ったのだが、パッと探す限りでは見つからなかった。代わりにこちらのリンクを参考に。NHKのサイトである。記事中に示されるグラフは国内での漁獲高を示しているのだが、世界の漁獲高の推移もデータがあれば調べてみたい。そもそも漁獲高を国別に示すのは難しいことで、例えば日本の商社が海外船籍の船を海外に保有すればそれは日本の漁獲高にはカウントされないのだ。だからといって、ウナギの7割を消費する日本人の選択が、ウナギの未来を左右するキーであることは間違いがないだろうが。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/126786.html
時論公論「うなぎ 資源回復を急げ」
(引用)「かつて年間232トンとれたシラスウナギは2010年には6トンにまで落ち込みました。」

segawashin

Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
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