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小説家、瀬川深のブログ。

  非常に遅まきながら、「風立ちぬ」を観てきた。図らずも太平洋戦争開戦日である。結論から言うと、私見では、本作は宮崎駿の最高傑作だ。のみならず、アニメーションとか邦画とかいった枠組みを超えて記憶される傑作であると確信している。率直に言って、宮崎駿がこんなすごい映画を作るとは思ってもいなかった。

  幸運にも、僕の前半生は、宮崎駿が精力的にアニメーションを作ってきた時代とほぼ一致する。もっとも、その名前を意識しだしたのは「ラピュタ」あたりから。中学校一年生の夏休みの封切りだったと思うけれど、人生で最も多感な時期のとっかかりに、この傑作と邂逅してしまった幸運をご想像ください。さえない田舎町の風景に、成層圏に至る巨大な雲とかなたの地平線が重ね合わされて幻視された。この世の中にこんな面白いものがあっただなんて! 心の底からそう思った。今でもほぼそう思っている。以来、テレビアニメを観る習慣はわりと早くに失ったけど宮崎アニメはほぼ公開時に観てきた。どれにもうならされたし、ただごとならぬ高揚感を味わいもしたけれど、個人的なベストは「千と千尋の神隠し」だろうか。次点でトトロとラピュタ。そして数年前にポニョを観て、このたびの「風立ちぬ」である。思えば三十年以上にわたって、この稀代のアニメ作家の作品をリアルタイムで追いかけてきたことになる。これを幸運と言わずして、なんと言えばいいのか。

  ただし、大いに楽しまされてきた宮崎アニメだが、いつもその結末でささやかな違和感が残ったことは打ち明けておきたい。ほとんど完璧に仕上げられているのに、ほんのちょっとなにかが過剰でなにかが足りない、間尺の合わなさのような違和感。いい悪いの問題ではないのだろうが、トトロや千尋はそれを感じずに済んだ数少ない作品である。ところが、その違和感が、本作「風立ちぬ」では見事に解消されていた。時間と内容がぴたりと整合して過不足がなかった。終映後、心の底から拍手をしたくなった、初めての作品である。

  さて、その「風立ちぬ」である。率直に言って、僕は、上映中ほとんど間断なく驚いていた。これほどの大ベテランがなおこんな冒険をするとは、予想もしていなかった。僕はこの作品で、宮崎駿が初めて現実と切り結んだという印象を受けた。それは単に日本の近代を描いているとか、史実や実在の人物に取材しているとか、そんな理由ではない。宮崎駿は、人とこの世にいる限り不可避である不自由さを、初めて物語の中に押し込んできた。もっとも、それは、単に生老病死や社会の歪みを描いて達成されることではない。言ってしまえばそんなものは、これまでにも無数に描かれてきたものだし、いくらだって月並みになれる材料である。しかし、そういった理不尽を描くために、宮崎駿はおそらく意識的に表現の手法を変えたという印象を僕は受けた。まったくアニメならではのやり方だった。はっきり言えばそれは、人物描写の差違である。

  最初にそのことに気付いたのは、冒頭、少年時代の二郎がケンカをする悪童たちである。彼らは野卑な風貌もさることながら、ほとんどよくわからない言葉で二郎に絡んでくる。はて、どうしてこういったことをしたか? これまで、こういった人物は、宮崎アニメの中に出てきたか? その答えは、観進めて行くうちに明らかになった。あの悪童のような人物はそのあとにいくらだって出てきたからだ。具体的には、群衆の中に。本作は、実によく群衆が出てくるアニメである。多くは俯瞰で描かれていて、宮崎アニメの中でこれほど俯瞰が多用されたこともなかったのではなかろうかと思わされた。汽車の車内に震災後の混乱、名古屋の町の雑踏。ところが、その彼らの顔つきは、二郎や奈緒子、本庄に黒川と明らかに異なっていた。尖った、不機嫌そうな、不寛容そうな顔。会議で群がる軍人たちも、明らかに異様な顔つきと言葉遣いで描かれていた。宮崎アニメの先行作の群衆に、ついぞああいった顔は出てこなかったのではないか。例えばラピュタの炭鉱町の労働者たち、彼らは決してあんな風には描かれていなかった。もののけ姫の傷病者ですら、あんな顔はしていなかっただろう。本作で唯一の例外は、カプローニ伯爵の飛行機に乗っていた工員たちである。彼らは明らかに戯画化されて描かれ、まるでブリューゲルの農民画めいた楽しげな乱痴気騒ぎを繰り広げていた。理由は簡単である。このシーンこそは、夢だからである。

  ずばり言ってしまえば、本作の主要人物は誰も彼もが上流階級揃いだ。そのことをはっきり承知して宮崎駿は本作を作っていたように思う。二郎と奈緒子はもちろんのこと、あのよき理解者たる上司の黒川までが並ならぬ資産家の様子である。実はこれは、必ずしも必要な設定ではなかっただろう。にもかかわらず、本作では、そう描かれていた。突然押しかけてきた若い娘を迎え入れ、即席の婚礼を仕立てることができるぐらいの備えのある家として、描かれていた。

  このはっきりした対立が浮かび上がらせていたものは、もちろん戦前の日本社会であっただろう。貧富の差がそれほど苛烈な時代である。言ってみれば、ヒコーキ作りなどはどうやったところで有産階級の手すさびなのだ。しかしそれ以上に重要なことは、ものすごく酷なことだけれど、「世の中には話の通じる奴と通じない奴がいる」という事実の直視ではなかったかと僕は思っている。ここに描かれているものは、そういう枠組みの中でのものがたりなのだ、そのことをはっきりと自覚的に宮崎駿は提示したのではないか。あらゆる矛盾を承知のうえだときわめて周到な断りを入れたうえで、宮崎駿は飛行機と恋愛を描いた。こうすることで、いくらだって安っぽくできる題材に強靱な骨組みが備わった。浮世離れしかねない筋立てが、しっかり地面に縫い付けられた。しかも、二つのドラマはまったく齟齬なく継ぎ合わせられていた。これは、本当に、驚くべきことだ。

  告白すると、僕は観ていて至るところで泣けて泣けて仕方なかったんだけど、とりわけやばかったのはカプローニ伯爵の場面である。大志を抱く少年が夢の中で斯界の大家と語り合う、もうそれだけでもグッと来るところなのに、彼は夢を語り理想を語り、最後には地獄の釜の蓋まで開けてみせるのだった。もう一つ、二郎が設計に没入していくところの場面は、アニメーションの力を再認識させられるものだった。優れた頭脳の中で、思考は未だ観ぬ飛行機の骨組みを思い描き、モノの動きと連携して、飛行機に一片の知識すらないこちらの視線をどんどん遠くへと誘導していった。ネジ一つ、蝶番一つが生き物のように動き、気流の中で生物のように伸縮していた。もうそれだけで、泣けた。至るところで泣けた。理由はよく分からない。

  それに、これはきわめて意外だったんだけど、奈緒子さんとの恋の下りが本当に素晴らしかった。てらいなくまっすぐな、恋の物語。布団の中で腕を絡め合う二人のすがたは、愛おしかったし、艶めかしかった。宮崎駿が大人の恋愛をきっちり真っ向から描いたのってこれが初めてじゃないでしょうかね? いや、これは椿事だと思いましたよ。母でも妻でもない二十代女性が宮崎アニメに出てくるとは……。

  もっとも、奈緒子との恋に悲しい結末が暗示されているように、二郎の心血を賭した仕事にもまた悲劇が待ち構えている。どんなに美辞麗句で飾ろうが、要するに彼が傾注しているのは人殺しの道具作りだ。その野蛮は作中に暗示されていたけれど、現代の我々はその結末までを知っている。そういったことを宮崎駿は、例えばサンテグジュペリ「夜間飛行」の解説文で書いたりしていたけれど(頗る名文です)、それをはっきり作品の中で、しかもアニメならではの技法で示したことに、僕は深い感動を覚える。この不愉快な矛盾を直視することこそが、現実と切り結ぶことだと思うからだ。

  半世紀に及ぶ画業の到達点が本作であった点にも、僕は深い感動を覚えた。最後の最後で宮崎駿は、現実の大地に深々と楔を穿ったように思う。引退を口にしたことで憶測が飛び交ったけれど、本作を観た上で引退宣言を聞いて、なにか思うところがないような手合いにはなにを言っても伝わらないんじゃないでしょうかね。これは、それほどの作品です。

  なお、これはまったくの蛇足以外のなにものでもないけど、本作の前の予告編に安っぽいゼロ戦映画が出てきたのには心の底からゲンナリさせられた。「風立ちぬ」で宮崎駿が周到に避けてきたことを全部やらかしている内容と見受けられた。本作ラストシーンの苦渋に満ちた二郎の顔を忘却しきって半世紀たつと、ああいうモノができあがるんでしょうな。

  まあ、いかに不誠実なシロモノが衆生を幻惑しようとも、僕は「風立ちぬ」の痛みに満ちた複雑さの方を愛するでしょうし、ここまでの宮崎駿監督の足跡に深い感謝と敬意を表したいと思います。ありがとうございました。







追記:なお、賛否両論あったようですが、庵野の声はすごいよかったですよ!あの技術バカなキャラにぴたりと合って。まあ一緒に見に行ったおよめさんには絶不評だったので効果には個人差があります。それに、二郎さんが庵野に見えて仕方なくなるという副作用もあるんですが(笑)。


追記2:音楽がすごくよかったことは特に指摘しておきたいです。正直なところ「ポニョ」あたりでは(……久石さん枯れちゃったのかなぁ)とおもっていたのですが、本作では音が若返ったような印象を受けましたよ。メインテーマの、シンプルだけど印象深いメロディラインも大変すてきだったんですが、それ以外のところでも至るところで音は響いていて、ふと気付いたときに(あぁいい音楽だなぁ)と素直に思えるという、映画音楽として理想的なあり方だったんじゃないかと思います。心憎いことには、二郎が設計しているときのBGMなど、まさにこの時代の産物であるモダニズムの響きを連想させるものでした。一方でユーミンの飛行機雲はなぁ……。予告編観たときにはベストなはまり具合と思ったんだけど、この大作の後に流すとちょっと場違いな印象が否めなかった。むしろ冒頭に持ってきたのであれば、あるいはと思いましたが。
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Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
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