群像9月号にエッセイを書きました。リヴォニア語という言葉が題材になっています。ラトヴィア共和国で話されている少数言語です。ご興味おありの方はお読み下されば幸いです。
かなり古い資料なのですが、手元にある「現代ヨーロッパの言語」(田中勝彦・Haarmann, H; 1985,
岩波新書)を参考に補足しますと、リヴォニア語はウラル語族のバルト海フィン語群に属するということで、おそらくフィンランド語やエストニア語の近縁の言語なのではないかと思います。文字表記は、かつては存在していたものの消滅し、1970年での母語話者は150人だったということです。ちなみに現時点での母語話者は、たった1人です。
このエッセイを書いていて思い出されたのは、萱野茂さんのことでした。ご承知の方も多いかと思いますが、アイヌの言葉や文化の収集に生涯を捧げられ、アイヌ民族として初の国会議員も務められた方です。
この萱野さんの著作を読んで驚いたのは、萱野さんの世代でもアイヌ語を母語として育ったのは珍しい例だったということです。萱野さんは1926年生まれですから、自分が想像していたよりもずっとアイヌへの同化圧力は強烈であったようです。これは萱野さんが子供のころ祖父母の手で育てられたという事情によるものらしく、このことをご自身は「アイヌ語というでっかい贈り物」というふうに表現されていたことを記憶しています。
これは非常に悲しい示唆を含んだエピソードだと思うんですが、親から子供に言葉が伝えられないとき、言語は急速に衰亡へと向かうのでしょう。そのような言葉を守り保つことは、ほとんど絶望的に困難であるように思います。
「少数言語が一つ滅んだとして、どうだと言うんだ?」とお思いの方には、「ひとつぶのサッチポロ」という本をお薦めします。萱野さんの書いたアイヌの民話集です。セガワはこれを小学生のころ、まったくの偶然から読んでいるのですが、その途方もない話の面白さを今でも覚えています。30年近く経った今でも、あらすじをほとんど思い出せるほどです。
それは単に面白いばかりではなく、世界には、まるで違ったから視点からものごとを眺めている人たちがいるということを教えてくれました。神様が人間の娘に嫉妬してあげく許嫁を奪おうとし、親不孝をした鳥が苦しみ抜いて死に、虹が「どこまで追っても辿り着けない」幸福の象徴ではなく、「どれほど逃げても追ってくる」忌まわしいモノだと考えられる世界。「はなさかじいさん」や「いっすんぼうし」といった日本の昔話に親しんでいた自分には実に強烈で、忘れがたい印象を残した本です。
これは萱野茂さんの編纂した民話集ですが、この物語を萱野さんに語って聞かせたように語れる人は、おそらく、この地上にはもういないのでしょう。そして、二度と現れないのかも知れません。言葉が一つ滅びるというのは、そういうことです。
日本は少数言語の保護といったことにはまったく無頓着な国で(そもそもアイヌが日本における少数民族であると政府が認めたのすらたった二年前のことです)、少数の熱意ある人の行動がなければとっくにアイヌ語は滅びていたでしょう。おそらくウィルタ語の現状は絶望的でしょうし、長い目で見れば琉球語だって(特に離島の方言は)楽観視はできないでしょう。次の世代に伝えられないのであれば、一つ世代が下る毎に言語の命脈は細ってゆくからです。その点、冒頭に書いたリヴォニア語は、政府が保護しようという姿勢を見せている分だけ、まだ幸運なのかも知れません。
言語を守るということはひどく手間と時間のかかることなのでしょうが、それでも、なされるべきことなのだとセガワは信じています。言語の多様性は文化の多様性であり、視点の多様性であると思うからです。
かなり古い資料なのですが、手元にある「現代ヨーロッパの言語」(田中勝彦・Haarmann, H; 1985,
岩波新書)を参考に補足しますと、リヴォニア語はウラル語族のバルト海フィン語群に属するということで、おそらくフィンランド語やエストニア語の近縁の言語なのではないかと思います。文字表記は、かつては存在していたものの消滅し、1970年での母語話者は150人だったということです。ちなみに現時点での母語話者は、たった1人です。
このエッセイを書いていて思い出されたのは、萱野茂さんのことでした。ご承知の方も多いかと思いますが、アイヌの言葉や文化の収集に生涯を捧げられ、アイヌ民族として初の国会議員も務められた方です。
この萱野さんの著作を読んで驚いたのは、萱野さんの世代でもアイヌ語を母語として育ったのは珍しい例だったということです。萱野さんは1926年生まれですから、自分が想像していたよりもずっとアイヌへの同化圧力は強烈であったようです。これは萱野さんが子供のころ祖父母の手で育てられたという事情によるものらしく、このことをご自身は「アイヌ語というでっかい贈り物」というふうに表現されていたことを記憶しています。
これは非常に悲しい示唆を含んだエピソードだと思うんですが、親から子供に言葉が伝えられないとき、言語は急速に衰亡へと向かうのでしょう。そのような言葉を守り保つことは、ほとんど絶望的に困難であるように思います。
「少数言語が一つ滅んだとして、どうだと言うんだ?」とお思いの方には、「ひとつぶのサッチポロ」という本をお薦めします。萱野さんの書いたアイヌの民話集です。セガワはこれを小学生のころ、まったくの偶然から読んでいるのですが、その途方もない話の面白さを今でも覚えています。30年近く経った今でも、あらすじをほとんど思い出せるほどです。
それは単に面白いばかりではなく、世界には、まるで違ったから視点からものごとを眺めている人たちがいるということを教えてくれました。神様が人間の娘に嫉妬してあげく許嫁を奪おうとし、親不孝をした鳥が苦しみ抜いて死に、虹が「どこまで追っても辿り着けない」幸福の象徴ではなく、「どれほど逃げても追ってくる」忌まわしいモノだと考えられる世界。「はなさかじいさん」や「いっすんぼうし」といった日本の昔話に親しんでいた自分には実に強烈で、忘れがたい印象を残した本です。
これは萱野茂さんの編纂した民話集ですが、この物語を萱野さんに語って聞かせたように語れる人は、おそらく、この地上にはもういないのでしょう。そして、二度と現れないのかも知れません。言葉が一つ滅びるというのは、そういうことです。
日本は少数言語の保護といったことにはまったく無頓着な国で(そもそもアイヌが日本における少数民族であると政府が認めたのすらたった二年前のことです)、少数の熱意ある人の行動がなければとっくにアイヌ語は滅びていたでしょう。おそらくウィルタ語の現状は絶望的でしょうし、長い目で見れば琉球語だって(特に離島の方言は)楽観視はできないでしょう。次の世代に伝えられないのであれば、一つ世代が下る毎に言語の命脈は細ってゆくからです。その点、冒頭に書いたリヴォニア語は、政府が保護しようという姿勢を見せている分だけ、まだ幸運なのかも知れません。
言語を守るということはひどく手間と時間のかかることなのでしょうが、それでも、なされるべきことなのだとセガワは信じています。言語の多様性は文化の多様性であり、視点の多様性であると思うからです。
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コメント
>ITSUNIRE様
初めまして、レスが遅れましてすみません。
ご高評ありがとうございました。
群像のエッセイもお目通し下さると大変嬉しいです。
ところで、ブログのアドレスをお伺いしても宜しいでしょうか?
初めまして、レスが遅れましてすみません。
ご高評ありがとうございました。
群像のエッセイもお目通し下さると大変嬉しいです。
ところで、ブログのアドレスをお伺いしても宜しいでしょうか?
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