セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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 富山に行って来ました。これといった用もない純然たる小旅行であります。
 どうもこのところ(といってももう十年近く)日本海側に対する興味が強く、隙あらば「あちら側」の海沿いの街を歴訪しております(自分は岩手→栃木→東京……と、大平洋側の上下に移動したことしかないので、どうも日本海側というのは「あちら側」という心理的な風景になるのです)。これまでに行った町を列挙すると、出雲、松江、米子、敦賀、福井、金沢、高岡、酒田、秋田ということになりますが、どこも例外なく気持ちの良い土地でしたね。今回はそこに、富山を加えた旅でした。


 セガワは地図を眺めるのが大好きなので、今回も出発に先駆けてあのあたりの地図を眺めていたのですが、あらためて富山の地形は面白いもんだなと思いました。
 ご承知の通り、富山の東端というのは日本アルプスが海にぶつかる親不知という地点なのですが、これほど強烈な国ざかいは日本でも有数でしょうね。今回は上越新幹線→ほくほく線→北陸本線というルートで富山入りしたものですから、とりわけその思いを新たにしました。
 これは特に越中側から見たときにその印象が強いんですが、富山のどこからでも目に入る立山連峰、それがどんどん海に近付いてきて、文字通り行く手を阻むわけです。ああダメだ、これ以上先には進めねえや、しみじみそんな気分にさせられる地点であります。ここが西日本と東日本を分かち、鉄道を通すにも道路を通すにも難渋した場所であるのがよく分かる地形でしたね。
 そのくせ、越中も越後も広々とした平野に恵まれているのですから面白い。これは地図を見ても実際に列車や車で走ってもよく分かることですが、富山というのはやけに川の多い土地です。飛騨山脈から流れ下る川がいくつもの支流をなして日本海に注ぐわけで、それはまさしく富山平野や砺波平野を縦横に走るという形容が似合うような気がします。山の近さを考えるに、源流から河口までの高低差と川の長さの比はものすごいでしょうね。おそらく水の勢いも強いでしょうし、そうとなれば富山の川がやけに広い河川敷を持っている理由も分かるような気がします。
 これはどこかで見た風景に似てるなあ……、としばし考え、山と海との距離が近くて川がやけに多いあたり、台湾西部の風景じゃないかなと思いました。嘉義とか鹿港とか台南とか、あのへんの町を回っていたときのことを思い出しました。


 富山の地図を眺めているともう一つ気付くことがあるんですが、それは、やけに私鉄の路線が充実しているということです。大都市圏以外でこんなにもりもり私鉄が走っている県というのは稀じゃないでしょうか。JR線はおおむね海沿いに東西に引かれているだけなので、それ以外の富山平野を富山地方鉄道という私鉄がカバーしているわけです。これはいったいどうしてなんでしょうね。お隣の新潟や石川でもこうはいかなかったのに。立山とか黒部とか、一部観光コースに組み入れられて成功している路線があるとは言っても、これだけでは説明できないような気がします。
 あろうことか、富山市では、かつての国鉄のローカル線を大幅に改造して日本初のライトレールに仕立て上げるという芸当までやってのけています。このへんの実行力もすごいもんだなあと、余所者であるセガワはのんきな感想を抱いてしまうんですが。
 これはぜひ乗らねば、ということで乗車してきたんですが、結論から言ってすごく快適な乗り心地でしたよ。だいたい10~15分間隔の運転なんであまり待つこともないですし。こういう乗り物はヨーロッパではよく目にするんですが、日本でももうちょいと一般的になってくれるといいなあ。特に、都市圏の人口が五十万人を超えたら、車だけで人の移動をまかなうのは無理じゃないかと思うんですけどね。
 快適な都市交通というのは大切だと思いますよ、なんと言っても出歩く気になりますから。町なかを人が歩けば町が活性化するわけで、長い目で見れば、これは大変有意義な投資になるんじゃなかろうかとセガワは思います。
 ちなみに我が青春の土地、宇都宮市でもライトレール計画があるにはあるようですが、こちらはなんかグダグダになりつつあるようで、このへんがしもつかれ県の限界なのかも知れません。まあ進取の気性に乏しい土地だしなあ。

ポートラム
愛称はPORTRAM。しゃれてます。

 本当は終点の岩瀬浜まで行ってブリリアントなビーチリゾートを満喫する予定だったんですが、あいにく天気は最悪。かわりに二つ手前の東岩瀬という駅で降りて、岩瀬という古い街並みを散策してきました。結果から言えば、これは大成功だったんですが。
 この岩瀬という町、かつては、北回船の交易地として大変に栄えたところだったようです。神通川に平行して掘られた運河が今なお残り、この運河に沿って倉と商家が立ち並ぶ、そんな町だったようです。
 感心したのは、岩瀬の街並みを保存しようと結構な努力が払われていると見受けられたところです。電線は地下に埋設しているようですし、建物も(まあフェイクですが)古い様式に見えるように改築しているらしい。これはいいですね。

岩瀬
こちらが岩瀬の町並み。

 で、森家という岩瀬における大商人の旧宅を見物してきました。中を地元のおじいさんが案内してくれたんですが、これがまあ、実に流麗流暢な素ン晴らしい名調子で。根本閣下言うところの、いわゆるイイ声イイ顔というやつであります。昔はいったいどういう生業の方だったんだろうかと気になって仕方がないほどの素晴らしさでありました。

「そちら大広間ね、これだけのお大尽でもなんと!自分の部屋ってもんがなかった、立って半畳寝て一畳、それだけあればいいってことだったんだね、それで旦那以下家族八人はこちらに雑魚寝、従業員百二十人はみんな通い」
「ハイそこから上がると二階、この近隣の十三から十六までの女の子が嫁入り前の行儀見習いに来てた
「火鉢のこちらに座ったのが旦那、こちらは奥様、こちらはお嫁様。客人はこっちに座って話を聞いた」
「ほいお嬢ちゃんこの金庫開けてご覧(と小学生の女の子を手招きして)、重いだろう、扉ん中に砂詰めてあるからね、そうそうこれでいいところに嫁に行けるよ
「これ昔の帳簿です。今はパソコンだけどね、昔は筆で縦書き、これ見ればどこそこに何両、全部分かった。大事なのは読み書き算盤だね、お嬢ちゃん勉強してるかい?」

 いやもう、これ聞いただけでも富山に来た甲斐がありました。
 こういう語りができる人間って、日本では絶滅に向かいつつあるんじゃないでしょうかね。自分があと三十年か四十年年取ったとして、こういう爺さんになれる自信はまるでありません。

森家
森家のお座敷でございます。

 それにしてもこういうものを見ると、越中とは奥深い豊かさを持つ土地なんだなあと思いましたよ。この岩瀬という土地の繁栄が今の富山の基礎になったことは確かなようです。乗ってきたライトレールの前身である鉄道も、あろうことか富山大学までも、この土地の富豪が支えたということなのですから。
 こういう土地を以前にも見たことがあるなあ、と思い返してみれば、米子や島根の平田で見た商家です。あちらもまた、水運で栄えた結構な大旦那がいた土地のようです。大都市圏ばかりにゼニと人とが集まる現代というものが成立する前、確実に今とは違った金とモノの流れがあったわけですね。そういったものがかつて日本の地方を支え、人を育て、インフラを整備する礎となっていたんでしょう。
 もっとも、この過去の栄華がどのていど今につながっているのか、今のセガワには知識がないです。それを調べるのはちょっと恐ろしいような気分ですね。地方の衰退とはよく言われることですが、それが大都市集中型の経済に端を発していて、過去の資産を活かす視点が欠如していなかったのだとすれば、現代とはなんとも罪深い時代であるように思います。
 まあ海遊びには恵まれませんでしたが、岩瀬の散策は補って余りある収穫でした。やはり日本海側の街は奥が深くて面白いです。
 あ、翌日出かけた氷見の町がなかなか素敵で、回転寿司が大変美味しかったことも付け加えておきます。「東京では回らない寿司が富山では回っている」とはネットで見付けた名言ですが、まさにこの言葉通りの寿司でした。


 それにしても、どうもあのあたり、北陸や山陰を旅していると抱くのは、人間の数がこれぐらいで生きていけるのならば、本当にそれは心地のいいことだろうなあという気分です。自分が大都市のど真ん中に暮らしていることを差し引いても、これは正直なところです。
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2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
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