セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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 ちょっと気を抜くととたんにブログの更新が滞ってしまって申し訳ないです。
 まあ慌ててお伝えしなきゃならないような情報もないんですが、読みに来て下さる方には申し訳ないなあと。ちょいと公私共々多忙でして、まあそのへんはともかくセガワは無事生きております。
 せっかくなので、生存報告を兼ねて、中国旅行の際に読んだ本の感想をお届けします。以下敬称略、ご容赦を。


・マーカス・デュ・ソートイ「素数の音楽」
 素数、つまり1とその数以外では割り切れない整数。これを題材にした一般向けの書籍。
 本当に面白い。今ではすっかり縁遠くなってしまったけどセガワは高校の時は数学が大好きだったので、当時を思い出しながら楽しく読む。
 素数とはなんぞや、その奇妙なふるまいは果たして予測できるものなのか(何しろ素数は2, 3, 5, 7, 11, 13, 17,19,...とまるで気まぐれに出没し続ける。しかも素数は無限に存在する)といった問題提起から始まり、どうやら素数は微視的には予測できなくとも巨視的には予想ができるらしいといったガウスの発見、このことにまつわる「数学に出現した最も巨大な数」の話題、素数が拡張した数学の概念、リーマン予想、理論物理学との奇跡的な整合、そしてこのコンピューターのはびこる時代にあって素数は重要なビジネスの題材になってさえいること……、と、素数が開く世界の広さにまったく魅了されながら読んだ。このへん筆者の力量もすばらしく、数学的な意義と現世的な意義が非常に巧く取り混ぜて書かれている。結果として、ははァリーマン予想とはこういうことなのか……、と、本当に理解したのかどうかはともかく、その意義みたいなモノにちょっぴり触れた気分になる。これは、学問について書かれた本に対しての幸福な感想だと思う。なにか自分と縁遠い世界の深みをそっと覗き見るのは、とても幸せなことだからだ。人間の知性とは、これほどに広大な世界を拓いてゆくものらしい。
 ただし、個人的には、もうちょっと数式とグラフがあっても良かった。例えば複素平面を東西南北で書いていたけれど、ここまでやるなら普通にグラフにしてくれた方が楽。これは以前読んだサイモン・シン「フェルマーの最終定理」でも同じことを感じたけれど。一般書であるからにはそういう制約もあるだろうし、著者の心遣いでもあるのだろう。
 それにしても、門外漢であることを承知で言えば、数学ほど凡才と天才との差が残酷に分かたれる学問分野も他にはないんじゃないかと思ってしまう。少なくとも自分のいる生物系の分野というのは、基本的には観察と理論付けの繰り返しで成り立っていて、例えばワトソン・クリックのDNA二重螺旋構造の発見は偉大な業績であると知りつつも、彼らがいなくとも後世の(と言うほどでもなく、近い時代の)誰かが発見するだろうなと考えることができる。しかし、ガウスやリーマンやオイラーがいなかったときの数学はどうなってしまっていたのかはまるで見当が付かないし、ガロアやアーベルがあれほど若くして学問の枠組みを変えてしまうほどのことを考えられたのか、空恐ろしいとしか言いようがない。
 これが門外漢ならではの無邪気な感想なのか、自分には分からないけれど、数学ほどなにか恐ろしいものを秘めた学問も他にはない気がする。なにしろ、この宇宙が滅びようとも、素数は素数なのだから。


・堀江敏幸 編「記憶に残っていること」
 海外短篇小説のアンソロジー。新潮クレスト・ブックスの10周年を記念し、本レーベルに訳された短篇小説の中からのチョイスと言うことらしい。なかなか面白い。あんがい保守的な作風のものが多い印象。
 以下各編について、まずは感心したところから。デイヴィッド・ベズモーズギス「マッサージ療法士ロマン・バーマン」、移民のユダヤ人ものとは今なお今日的な題材なんだなあと思う。ジュンパ・ラヒリ「ピルザダさんが食事に来たころ」、これは本当に面白かった。遠い世界の物語と近い世界の物語を子供の視点からフラットに描いている。これだけならばよくあるが、遠い世界の物語が途方もなく深刻、近い世界のどこかノスタルジアに満ちた平穏に比して。このふたつを連結する仲立ちとして、ピルザダさんの造形がとても秀逸。そしてこの書き方だと、筆者自身の世界への判断はひとまず保留できる。イーユン・リー「あまりもの」、本当に巧くて感心する。靴下といった素材の扱い方なんか、あざとすぎると思うぐらいだ。小説のスピード感はいかにも現代的で、初めて読んだ作者だけど、カット割りの多さは案外映画的なものだと思ってみたり。原文が読んでみたくなる。アリステア・マクラウド「島」、べつだん不思議なところはないようでいてしかしなんだか歪んだ島の世界を、とても抑制の利いた文章で書いていて素晴らしいと思う。こうでなければ、この結末をマトモに受け止める気にはなれなかった。エリザベス・ギルバート「エルクの言葉」、現代アメリカを舞台にした作品の中ではいちばん気に入った。現代をどこかグロテスクだと思う感受性はそれなりに偏在しているようだ、それが多いのか少ないのかはともかくとして。ウィリアム・トレヴァー「死者とともに」、どこかでこの作風を目にしたよなあ、と思っていま確認してみたら、たしかに岩波文庫「アイルランド短篇選」に収録されていた「ロマンスのダンスホール」の作者だった。あんまりハッピーじゃない状況を淡々と描いていて、不思議な作風だなと思う。
 いっぽう、たとえばアンソニー・ドーア「もつれた糸」とかアリス・マンロー「記憶に残っていること」、白状すれば、これらの作品の巧さはさておいても、面白さがどこにあるのか自分には言い当てることができない。こういった物語に目が慣れすぎていると自分は思っていて、陳腐だと感じてしまっているのだろうか。ベルンハルト・シュリンク「息子」は、ダメだった。これは本当に、中米の小国を舞台にしなければならない物語だろうか。話の舞台、仕掛け、道具立て、どうにも通俗的なところが多すぎるように思う。残念ながらこれは、数年前に「朗読者」を読んだときに得た印象とよく似ていた。
 それにしても、アンソロジーって面白いな。日本でももっと出ていいのにな。やはり今の日本は短編小説が出にくい土壌になっていることを痛感。「ささやかな出来事」(ただしそれがささやかなことがらを指し示しているとは限らない)を言い取るには、小説は役不足だと思われているんだろうか?確かに今の世の中は物語が過剰だ、小説に拮抗するものはブログや現実のニュースだ。
 しかし、同一ではあるまい。これほど世界が複雑さで満ちているときに、「書かれるに足る」ささやかな何事かを拾い上げるのには、本当に鋭い直感を必要とすると思うからだ。


・ギュンター・グラス「蟹の横歩き」
 面白い。素晴らしく面白い。作者の筆力に圧倒されながら読む。
 歴史的な事実とは、こんなふうに語ることができるものらしい。しかも、まだ歴史になりきっていない、生々しい出来事だ。ナチスの客船をソ連の潜水艦が沈没させた、史上最悪の海難事故を堂々と、ぬけぬけと取り上げた。
 もちろん、ばかげた歴史修正主義になんぞ堕してはいない。このやっかいな出来事をグラス一流の巧妙な語り口で語る、事実がそっと書き手の個人史と混ぜ合わされ、ネット上のヴァーチャルな世界と混じり合う(執筆時が10年前と言うことを考えると、ネットという媒体の扱いの巧さ、そして着眼の早さに驚く)。そうなのだ、こうまでしなければ、歴史的事実を小説で読む必要など自分には感じられない。教科書や歴史書を読んだ方がよほどいい。
 日本の近代史がこんなふうに語られた小説があっただろうか、自分の読書不足と教養不足を承知の上で、ちょっと心許ない気分になる。


・柴田元幸・沼野充義「200X年文学の旅」
 順番通りに読んでいないのでまだ読了していないんだけど、さすがにこのお二人のエッセイはものすごく面白い。ああ、いまこうしている瞬間にも世界のどこかで気の毒に人がごそごそゴニョゴニョと文字を綴っているんだなあ、そう思わずにはいられない。これらのエッセイを巨大な混沌としか言いようのない現代中国の一隅で読めたのはなかなか面白い体験だった、けれど、時に熱暑の中でウォツカをひとあおりしたような気分になったのも事実。旅先で文学の酔いが回ると、打ち明ける相手がいないので困る。


・トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」
 これは既読。二十歳ぐらいの時に一度読んで、三年ぐらい前に再読して、そして今回で三回目。大好きな小説なんだけど、ちょいと訳ありで改めて読み返す。さすがに三度目ともなれば、細かいところに色々発見があって楽しい。
 しかしピンチョン、確かにすごく面白いんだけど、小説の作法は少々不器用なのではないかという疑念を抱く。これはいま読み途中の「ヴァインランド」からも強く感じることで。この人の小説にアンバランスさを指摘したって仕方がないし、まっとうな小説技法に則って云々するような作者じゃないことは重々承知なんだけど、それにしてもなにか不器用ないびつさを感じることが端々にあって困る。文章からある種の過剰さがちょっと退いたとき、たださまよい歩くエディパの叙述が薄く感じられて、おや?と思ったりして。
 まあ、そんな重箱の隅はとにかくとして、やっぱりこれはものすごく面白い小説だ。今回持って行ったのはサンリオSF文庫版なんだけど(マニア向けの自慢)、こういうへんてこな小説は是非また文庫で再刊してくれないかなあと思う。セカイ系とか言う府抜けた小説にうつつを抜かしている若い衆に読ませたいなあ。ちくま文庫あたりから出ないかなあ。
 それにしても心底落ち込むのだが、執筆時ピンチョンたったの二十九歳だったという……。


・ビオイ・カサーレス「モレルの発明」
 持っていったけれど残念ながら読む時間がありませんでした。


・陳其光 編「女漢字典」 (中央民族大学出版社、2006)
 これはなにかと言えば、ハルビンの書店で買った掘り出し物。偶然見つけたんだけど、まさかあるとは思っていなかったんで驚喜する。
 「女書」という文字がある。中国南部、湖南省に、女性が作り出した文字があった。教育を受ける機会がなかった女たちが、朋輩や姉妹と意志を伝え会うために生み出した、世界にも稀な女性のためだけの文字である。受け売りの知識に過ぎないので、こちらのサイトを参照してください。
 人間の知性というのは、時に、こういうことをしてしまうらしい。どことなくへにょへにょした可愛らしい文字の群れを見ていると、表現することのいちばんプリミティブな衝動が隠されているかのように思えてきて、深く胸を打たれる。



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Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
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