一つ資格試験を受けて参りました。いい年こいて受験勉強はちょいときつかったですね。まあそれはともかく無事終わって良かったです。
こないだライブに行って来たアルマーイルマンヴァサラットというバンドがえらく面白かったとか、ギター奏者の日渡奈那さんの演奏会に行って来たとか、いろいろ書きたいことはあるんですが、まずは季節モノの話題です。
今年のノーベル文学賞が決まりましたね。
なんとなく毎年楽しみにしているんだけれど、今年はネットで中継まで見てしまいましたよ。ノーベル賞発表をリアルタイムで観たのはこれが初めてです。
スポークスマンのおじちゃんが何カ国語も駆使して喋っているのに軽く驚愕しました。すごいなあ。たぶんスウェーデン語、ドイツ語、英語、フランス語、ロシア語……あたりは喋っていたような。三番目ぐらいに英語になって、ようやくなに言ってるか分かりました。「ハータ・ムラー」と発音していたようなので、誰のことかすぐには分からなかったんですが。
さて今年の受賞、ドイツのヘルタ・ミュラーさん、残念ながら作品を読んだことがないのです。英語版wikipediaによれば、ティミショアラ近郊に生まれたドイツ系のルーマニア人(確かにドイツ系の多い地域のようですね、ヘルマン・オーベルトなんかもこのへんの出身だったはず)。母語はドイツ語だったのかな?と想像。母親がソ連の強制収容所に入れられた経歴とか、本人がセクリターテに睨まれてドイツに亡命したとか、少々政治的な背景の強い作家だなと言う印象。数年前に取ったケルテース・イムレもそのような経歴の持ち主だったような。もっとも、それが作品内容に反映されているのかどうかは分からないですが。
それにしても、今年もヨーロッパ勢だとは、少々意外でした。しかもドイツ語圏とすれば、グラス、イェリネクに続いてこの10年で3人目ですよ。別に持ち回りにする規定などないにせよ、そろそろ北南米かなあとか、アフリカかなあとか根拠なく思っていただけに。
そうやってみると、2000年の高行健以来アジア人は取っていないし、トニ・モリスン以来アメリカ人が取っていないのも少々意外。やはり文学はヨーロッパのものなのかな、と、少々寂しい気分になりますね。なにしろ、科学系の三賞とは対照的に、文学賞は圧倒的にヨーロッパ勢が優勢ですから。この15年でヨーロッパの受賞者は13人もいるのです(ナイポールは厳密には違うかな。逆にクッツェーは欧州系と見なしていいかも)。
それでも、個人的には、イスマイル・カダレの受賞を祈っていました。いえ、単に、この人の小説が本当に好きなので。
寓話と物語を巧みに融合させた、いわばバルカンのマジック・リアリズムのような文体。こんな素晴らしい作家が現役で小説を書いていること、本当に嬉しく思います。あの閉鎖国家だったアルバニアで黙々と小説を書いていた点も、体験としては極めて特異でしょうし。
また、アルバニア語という「小さな」言語集団の作家が受賞すること、そのこと自体にも大いに価値があると思うんですよ。イディッシュ語のアイザック・シンガーやアイスランド語のラクスネスが受賞したように。人は優れた作品を通じて、その言語に目を向けますから、ノーベル文学賞という一つの称号は言語そのものを称揚することにもなるんじゃないかな、と、セガワはちょっと期待しています。
まあ、ともあれ、珍しくも文学がニュースの話題になるノーベル文学賞は楽しいお祭りです。来年は誰になるかなあ、北米だったらロスか、アリス・マンローか、ドン・デリーロか、まさかのピンチョンか。南米だったらフエンテスか、リョサか。はたまた非欧米系だったらチヌア・アチェベか。
それでも、個人的には、イスマイル・カダレを……。
カダレについては稿を改めて書きます。
最近新しく邦訳が出たことですし。
こないだライブに行って来たアルマーイルマンヴァサラットというバンドがえらく面白かったとか、ギター奏者の日渡奈那さんの演奏会に行って来たとか、いろいろ書きたいことはあるんですが、まずは季節モノの話題です。
今年のノーベル文学賞が決まりましたね。
なんとなく毎年楽しみにしているんだけれど、今年はネットで中継まで見てしまいましたよ。ノーベル賞発表をリアルタイムで観たのはこれが初めてです。
スポークスマンのおじちゃんが何カ国語も駆使して喋っているのに軽く驚愕しました。すごいなあ。たぶんスウェーデン語、ドイツ語、英語、フランス語、ロシア語……あたりは喋っていたような。三番目ぐらいに英語になって、ようやくなに言ってるか分かりました。「ハータ・ムラー」と発音していたようなので、誰のことかすぐには分からなかったんですが。
さて今年の受賞、ドイツのヘルタ・ミュラーさん、残念ながら作品を読んだことがないのです。英語版wikipediaによれば、ティミショアラ近郊に生まれたドイツ系のルーマニア人(確かにドイツ系の多い地域のようですね、ヘルマン・オーベルトなんかもこのへんの出身だったはず)。母語はドイツ語だったのかな?と想像。母親がソ連の強制収容所に入れられた経歴とか、本人がセクリターテに睨まれてドイツに亡命したとか、少々政治的な背景の強い作家だなと言う印象。数年前に取ったケルテース・イムレもそのような経歴の持ち主だったような。もっとも、それが作品内容に反映されているのかどうかは分からないですが。
それにしても、今年もヨーロッパ勢だとは、少々意外でした。しかもドイツ語圏とすれば、グラス、イェリネクに続いてこの10年で3人目ですよ。別に持ち回りにする規定などないにせよ、そろそろ北南米かなあとか、アフリカかなあとか根拠なく思っていただけに。
そうやってみると、2000年の高行健以来アジア人は取っていないし、トニ・モリスン以来アメリカ人が取っていないのも少々意外。やはり文学はヨーロッパのものなのかな、と、少々寂しい気分になりますね。なにしろ、科学系の三賞とは対照的に、文学賞は圧倒的にヨーロッパ勢が優勢ですから。この15年でヨーロッパの受賞者は13人もいるのです(ナイポールは厳密には違うかな。逆にクッツェーは欧州系と見なしていいかも)。
それでも、個人的には、イスマイル・カダレの受賞を祈っていました。いえ、単に、この人の小説が本当に好きなので。
寓話と物語を巧みに融合させた、いわばバルカンのマジック・リアリズムのような文体。こんな素晴らしい作家が現役で小説を書いていること、本当に嬉しく思います。あの閉鎖国家だったアルバニアで黙々と小説を書いていた点も、体験としては極めて特異でしょうし。
また、アルバニア語という「小さな」言語集団の作家が受賞すること、そのこと自体にも大いに価値があると思うんですよ。イディッシュ語のアイザック・シンガーやアイスランド語のラクスネスが受賞したように。人は優れた作品を通じて、その言語に目を向けますから、ノーベル文学賞という一つの称号は言語そのものを称揚することにもなるんじゃないかな、と、セガワはちょっと期待しています。
まあ、ともあれ、珍しくも文学がニュースの話題になるノーベル文学賞は楽しいお祭りです。来年は誰になるかなあ、北米だったらロスか、アリス・マンローか、ドン・デリーロか、まさかのピンチョンか。南米だったらフエンテスか、リョサか。はたまた非欧米系だったらチヌア・アチェベか。
それでも、個人的には、イスマイル・カダレを……。
カダレについては稿を改めて書きます。
最近新しく邦訳が出たことですし。
スポンサーサイト
コメント
はじめまして
>T.H.さま
コメントありがとうございます。
そのイニシャルから察するに……ガチョン?
止してくださいよー先生なんて。
ノーベル賞については確かに、言語の違いは
どうしても乗り越えられないモノがあるとは思います。
とくに詩なんかは難しいでしょうね。
まあ、またちょくちょくブログを覗きに来て下さいませ。
コメントありがとうございます。
そのイニシャルから察するに……ガチョン?
止してくださいよー先生なんて。
ノーベル賞については確かに、言語の違いは
どうしても乗り越えられないモノがあるとは思います。
とくに詩なんかは難しいでしょうね。
まあ、またちょくちょくブログを覗きに来て下さいませ。
あっさりばれました
かくれんぼは、おしまいにします。どうも、こんばんは。なつかしの呼び名でGACHONです。今まで先生のブログに気がつかなかったのが野暮というものでした。大変すみませんでした。今後、時々寄らせて頂きますね。更新も楽しみにしています。
ところで、誰にも宣伝していませんが、実はわたしも暇つぶしにFC2ブログやってたりします。訪問者は数人の、森の奥の洞窟のようなサイトですが、名刺代わりに置かせて頂きます。あ、無視してくださって結構ですよ。
(「先生」という呼び名は、親愛と尊敬を込めて自然と使っているので、あまり気にしないでくださいね。ここでいつものあだ名を連呼してしまうと、ご当地コメントになってしまい、他の楽しみにしている皆様にもご迷惑がかかると思いますしね。先生はもはや全国区ですから、お立場を考えたお付き合いをさせて頂ければと思っています。もちろんわたしの心の中では、昔と変ってないですから安心してくださいね。)
ところで、誰にも宣伝していませんが、実はわたしも暇つぶしにFC2ブログやってたりします。訪問者は数人の、森の奥の洞窟のようなサイトですが、名刺代わりに置かせて頂きます。あ、無視してくださって結構ですよ。
(「先生」という呼び名は、親愛と尊敬を込めて自然と使っているので、あまり気にしないでくださいね。ここでいつものあだ名を連呼してしまうと、ご当地コメントになってしまい、他の楽しみにしている皆様にもご迷惑がかかると思いますしね。先生はもはや全国区ですから、お立場を考えたお付き合いをさせて頂ければと思っています。もちろんわたしの心の中では、昔と変ってないですから安心してくださいね。)
コメントの投稿
トラックバック
http://segawashin.blog20.fc2.com/tb.php/117-4b8b02fd
ところで、ノーベル賞ですが、わたしはあれはどうでもいい感じがしています。言語の違いを乗り越えての審査は、当たり前ですが平等な基準では不可能ですからね。もちろん先生が仰っているのは、そういうことではなく、その世界的な評価や活躍に応じてとのことでしょうけれでも、審査会もかなりいい加減だと思いますよ。少なくとも先生は日本語ですから、日本国内でさらなる評価を勝ち取ってください。日本人の目、というか「心」はごまかせませんから。
初めて小説を読まして頂いたのは、もう15年以上前になりますが、そのときから先生ならきっとやれると確信していました。わたしも当時まで、少しは物を書いたりしていましたが、先生の才能に出会って、自分はさっぱりと諦めました。色々お忙しいとは思いますが、これからも一読者、一ファンとして応援させて頂きます! 引き続きご活躍をお祈りしております。(さて、わたしは誰でしょう?)