セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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 一月三日、新宮を再訪してきた。
 知識よりも血気、分別よりも生意気ばかりが勝っていた十年前、研修医のころ、たった三日貰った夏の休暇を利用して新宮を訪れたのだった。紀伊半島の深奥、熊野古道の要衝というよりも、なによりもここは、作家中上健次の故地として、自分の中にある。東京より電車を乗り継いで六時間、まさしく地の果てであることよとひとりごちたくなる時間を費やして新宮駅に降り立ち、自転車を借り、夏の盛りの八月にひとり新宮を回った。
 花一本手向けるでもなく中上健次の墓を訪れ、ただ一心に手を合わせていたのは、自分にも確かに若さの盛る時分があったのだとしか、今となっては言いようがない。俺が書きます、書いて見せますとだけ唱えることのできぬ念仏のように繰り返し、ただ、中上健次の遺した巨大な足跡を脳裏に反芻することだけが、あのとき自分のできる唯一つの追悼であったのだとは思う。
 帰りしなに海まで自転車を漕ぎ、この先にはフィリピンまで島影のあるはずもない熊野灘の広大を目の当たりにし、見返って紀州の山がすぐそこにまで迫ると気付いたとき、余所者に過ぎぬ者の目には何が分かるわけでもなかったが、まぎれもなく海と山とがぶつかり合う紀州新宮の土地であり、こここそが路地の原風景だったのだとひとり合点し、夏芙蓉の花を見、瑠璃を張るような声で啼く鳥の声を聞いたように思った。


 それから、十年が経っていた。
 中上健次が今なお自分の中でかけがえのない文学の巨人であることに代わりはないが、自分が腹周りに脂を蓄え、体も固くなってきた三十男になっており、中上健次が『岬』も『枯木灘』も上梓した歳を超えていることに気付き、うろたえる。かつての来訪が夏の盛りであり、再訪が冬のさなかであることもあるが、新宮の駅に降り立った時、ただ、流れた時間の長さを思った。駅前の喫茶店で紀州弁の会話を聞きながら、小説を直す。
 車で来た両親と落ち合う。いずれも、還暦間近いか、超えている。倅の酔狂に付き合ってくれることに感謝しつつも、両親の立ち姿にもまた、流れた月日の長さを思う。
 松の内の新宮の町は、静かであった。元日より初売りの声かまびすしい東京と違い、ここには、まだ、ハレの日としての正月がある。辛うじて開いていたスーパーで花束を買い、車で中上健次の墓所に向かう。
 真新しい菊の花が手向けてある。まだ線香のにおいが残る。誰ともわからないが、確かにこの新年、先に中上健次を偲んだ人がいたのだと知り、うれしくなる。水を打ち、花を供える。結局のところこの十年、身に付いたものは墓前に花を供えるという、ヒトリマエの人間ならば水を飲むように当然のこととするふるまいを学んだだけなのではないかと考える。何か胸を張って霊前に報せることの一つでもあっただろうかと考えるととたんに心許なくなり、ようやく物書きのハシクレとして歩き始めた頼りない若造をお見守り下さいとただ手を合わせる。
 墓前で一様写真を撮って貰う。どこか畏まった、気の弱い笑みは、十年前の自分とどれほどの違いがあろうかと、つくづく液晶の中を見入った。


 はろばろとした熊野灘だけは、変わらずにあった。路地がどれほどの変貌を遂げたものだか知るよしもないが、この海だけは、中上健次が目にしたものと大きな違いもなかろうと考える。秋幸が車に乗って疾走したときに目にしものもまた、この海であったはずだと思った。
 開いている料理屋に入り、名物というめはり寿司というものを食べてみる。かつて訪れた時には、名物を食べて回るなどと言ったことは作法としても思想としても自分の中になく、辛うじてサンマの押し寿司一折を買うのがせいぜいであった。寿司とはいうものの青菜で巻いた巨大なメシの塊は、まぎれもなく肉体を使って生きてきたニンゲンたちの生活から産み落とされたもので、中上健次が丸太担ぎや木馬曳きと幾度となく書いた男衆たちもまた滋養としたものであろうと想像し、おかしくなる。中上健次は食のことを嬉々として書き散らすような作家ではなかったが、食物の記憶だけは、存外なふてぶてしさをもって、土地に根を張って生き続けるのだろうと思った。


 熊野速玉大社に立ち寄り、八咫烏をあしらった護符である熊野牛王を買って帰る。紀州山中の道を長々と抜け、視界が開けたと感じたとき、松阪近郊の多気の町並みがあった。
 どこか、現世に帰ってきたような気がしたのだった。


中上健次墓所
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