セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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 ぼちぼち夏休みが始まったであろう学生の皆様お元気でしょうか。とっくに夏休みになど縁がなくなってしま今したが、セガワの心はいつでも夏休みです。Yes成熟拒否。終わりなき青春終わりなき日常終わりなき夏休み。
 このへんの始祖ってやはりサリンジャーなのかなあ。とはいえハンス・カストルプもムイシュキン侯爵もある意味似たキャラ付けの気がする。「青年」を発明したのは近代である、などと言うとインテリっぽくていいですね。


 「ユリイカ」誌1997年4月号は日本の漫画特集で、複数の漫画家のインタビューが載っている。「J-コミック'97」というタイトルは今見ればちょっと微苦笑が浮かぶなあとか(なんでもかんでもi-をくっつける時代の前にはe-をくっつけるのが流行って、90年代はJ-をつけるのが流行ってたんですよ)、荒木飛呂彦や伊藤潤二は今特集やっても入りそうだなあとか、町野変丸って今何やってるんだろうとか、それぞれインタビューが載っている吉田戦車と伊藤理佐がまさか結婚しちゃうとはなあとか、松本大洋とか黒田硫黄みたいなサブカル的な人気高かった層が入ってないのは意外だなあとか、当時すでに市場ができてたはずのオタ萌え系の漫画家が入ってないのは意外だなあとか、まあいろいろ思うところがあって面白いんですが。
 しかし、この特集でいちばん注目したいのは、村田ひろゆきのインタビューが載ってること。きちんと調べた訳じゃないけど、この作家がこういうかたちでインタビューを受けるのは珍しいことじゃないかと思う。そしてこれがまた、今読めば、かなり貴重な談話が含まれている。いい仕事だと思う。
 この当時にタイムスリップして、インタビュアー氏(フリーライターの轟夕起夫氏である)に「15年後、村田ひろゆきは終わらない夏休みへのオトシマエをつけてますよ」と言ったらどんな反応をされるだろうか。
 また、当時この号を手に取って(えぇ村田ひろゆきにインタビュー!?)と驚いていた小賢しいサブカル小僧の自分に「15年後村田ひろゆきが医療漫画描いてるぞ。しかもかなり面白い」と言ったら、どんな顔をするだろうか。



 ここで、記憶を平成の初頭に戻してみる。ビーバップハイスクールの影響でとにかくヤンキー漫画全盛期の頃である。ビーバップと湘南爆走族が人気で言えばツートップで、他にも特攻の拓とかファンキーモンキーティーチャーとかヤンキー烈風隊とか直管小僧とか湘南純愛組とかカメレオンとか。男旗……は別腹だな。しかし濃い漫画が揃ってた時代だったんだなー。景気がいいというのはこういうことでもあるんだろうか。
 この当時から村田ひろゆきは、「ヤンマガを開けば載ってる」作家だった。そこではいかにも頭の悪そうな高校生がじゃれ合ったり喧嘩しあったり、なにかというとセックスしたりしていた。自分も北関東の片田舎の高校に通っていたからそういう世界に既視感はあるにせよ、オタクやサブカルの世界に片足つっこみはじめた小僧だった自分にとっては、冷笑と失笑しか浮かばない漫画だった。「アッタマ悪い漫画だなぁ」と思ってたわけだ。ああ恥ずかしい。
 この当時から村田ひろゆきは「工業哀歌バレーボーイズ」の連載をしていて、ユリイカのインタビュー当時ですでに連載8年目(最終的に連載は18年の長期に及んだ)。で、その中味といえば、相も変わらずだべってつるんでセックスしての沼工トリオ(本作の主人公たちです)の終わりなき日常。
 だから、インタビュアー氏はインタビューの前に、こういう問いを置いた。

「果たして彼はこの”夏休み”にどうオトシマエをつけようとしているのだろうか?」



 この問いかけは面白いなあと思う。
 「終わらない夏休みをどう終わらせるか」という問いかけ自体はこの時点でもすでに新しいものではなかったはずで(宮台真司が「終わりなき日常を生きろ」を出したのが95年だったはず)、他の作品にもよく投げられていたと思うんだけれど、それはどっちかと言えばオタク・サブカル系の作品に偏っていたんじゃなかろうか。作者と読者と作品とが近い距離にあるという幻想を共有しやすいタイプの作品。ある種のセンスの共有が前提となるタイプの作品。
 作品そのものが一種の楽園めいた箱庭になってしまえば、そこからどう決別するかということは、まず読者にとって、次いで作者にとって、あげく作中人物にとってさえも(!)重要な問題になってしまう。うる星やつらのビューティフルドリーマーとか、ハルヒのエンドレスエイトみたいに。テレビ版エヴァの終盤の迷走みたいに。
 しかし、そういう問いを、こういうヤンキー漫画(バレーボーイズの内実と必ずしも合ってるレッテルだとは思わないけど)に投げたのは本当に面白い。確かに沼工トリオの日常はこの時点では終わりが見えなかったけれど、だからといって、沼工トリオの未来に思いを馳せつつこの作品を読んでいた読者はほとんどいなかったんじゃないだろうか。
 にもかかわらず、インタビュアー氏はこの問いかけを一つのゴールと定めて、作者からいろいろな言葉を引き出していく。それは今回再読して、あらためて興味深かった。「バレーボーイズと銘打ってるくせに、バレーやらずにセックスばっかりしてる」というのは連載当時から囁かれていたことだったけれど、その点についての作者の言葉。

「かろうじて残っているのが”哀歌”の部分なんですよねえ。(中略)必ずそれはどこかに入れておこうと。(中略)当時もいまも高校生の感覚なんて全然分からない。ただ、基本的に”哀歌”の部分は変わっていないんじゃないか、だったらその部分だけで勝負するから、ってね」 (前掲書 p.217)

 そっか。男おいどんや独身アパートどくだみ荘とコンパチな作品だったんだなあ。本当に今さらだけど。

「言い方悪いけれど、読み捨て漫画でいいと思ってるんです。そのときだけ楽しんでもらえばいい。(中略)僕はどこを取ってもそれなりに面白い漫画を描いていきたい」 (p.220-221)
「赤城たちが三年になってから夏までの間、もう10巻以上やってると思いますよ。(中略)でもそれを書いたら、もう後はないんですね。秋になって冬が来たらもう卒業だぞ、と」 (p.222)

 カッコイイ。村田ひろゆきは徹底して娯楽のプロに徹していて、しかし、インタビューの最後でかすかな迷いを見せている。作者の言葉がすべて真実を語っているわけではないにせよ、この時点では作者自身、終わらない夏休みへのオトシマエを決めかねていたようだ。語られる言葉には迷いが混じりまとまりがなく、インタビュアー氏も敢えてそこにきれいな整序をつけていないように見える。
 そしてこのインタビューからほぼ10年後、村田ひろゆきは「好色哀歌 元バレーボーイズ」という凄まじい作品を描いた。卒業の先にきちんと筆を進め、生老病死の生(性?)を象徴するかの如き夏の沼工トリオの陰画みたいに、老病死をいろんな角度から描いた作品である。ワープアだの失業だの妊娠だのメンヘルだの病気だの介護だの死だの、一筋縄じゃ行かない要素がてんこ盛りである、にもかかわらず、さすがに娯楽の大ベテランはこれを陰惨一辺倒では描かない。悲嘆に身をよじらせることばかりが哀歌じゃありませんからね。そのへん、大向こうを狙ってお涙頂戴にするような安いことを村田ひろゆきはやらなかったみたいだ。この人の筆には、どこかに楽天的な光りがあっていい。
 かくしてバレーボーイズの「終わりなき夏休み」には、実に見事なオトシマエがついた。ユリイカの特集から13年後のことである。高校を卒業しても、人生は続く。死ぬまで続く。本当だったら、ごく当たり前のことなのだ。その当たり前のことをきちんと描いた、出色の作品だったんじゃないかと僕は思っている。その当たり前のことを当たり前にできず、未だに「終わりなき日常」でグダッてる作品が少なからぬことを踏まえた上で。



 個人的にはもう一つ気になることがあって、「元バレーボーイズ」には病気の話がよく出てきていた。しかも「ガンです」みたいな杜撰な扱いではなくて、谷口の病気が腸骨の骨髄炎だとか、妙にきちんとした描写になっていて。作者自身の闘病経験があるにせよ、それを作品に反映させるかどうかはまた別のことだから、この描写はすごいなあと思って見ていた。
 などと思っていたら、今年に入って村田ひろゆきが「ドクター早乙女」の連載を開始したので、正直ものすごくびっくりした。医療ものですよ医療もの。医者がすげえヤンキー面だけど(笑)。まだ連載序盤だから内容云々するほど読んでいないけれど、意外なぐらいにきっちりとした描写です。
 こちらも傑作になることを祈って。

(文中敬称略)
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2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
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