セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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  昨今世情の一部を賑わせている、失聴者の作曲家S氏の作っていた曲のほとんどが本人の手による者ではなく、代筆者N氏の手によるものだったという例の騒動、個人的にはものすごく興味深いです。長々と論考する気もないですが、現代の日本における芸術音楽の枠組みを揺るがせる事件であることは間違いなさそうでして。また、表現するとはどういうことかというなんだか根本的な問いかけも含まれている気がいたします。さて、どうなることやら。
  それはさておき、昨年5月、「百編小説」という私家版の本を作りました(詳細はこちら→)。一篇二百文字の小説が百篇おさめられた小説集です。その中に交響曲に絡んだ話が三篇ありましたので、せっかくですからこの機会に(なんだそりゃ)ご紹介しておきます。例の事件と似ているような似ていないようなあんまり関係ないような。
  なお、表題前の数字は作品番号です。






75.ミクロコスモス

ブラームスやマーラーへの敬意やみがたく、作曲家の乾逸郎の知己を得たことを誘い水に、浅井良一は交響曲を書こうと志す。生業は表具師。五線譜の書き方すら知らない。もどかしくも一音一音を記し、和声で肉付けし、楽器を割り振り、音はしずしずと積み上がってゆく。奇妙な野望に根気強く付き合いながら、やがて乾は悟った。曲のすべてはすでに浅井の中に存在しているのだ。生来の詩人に自分は文字を教えているに過ぎないのだと。




43.不滅

春一番の吹き荒れる町を歩いていると、シューベルトのハ長調交響曲が聞こえてきた。終楽章の冒頭、噴き上がる歓喜のごとき上昇音型が、宝クジ売り場前の割れた音のスピーカーからエンドレスで繰り返されている。たった三十一歳で死んでしまった作曲者自身は実際に聴くことも叶わなかった交響曲が、二百年も後の極東で流れている。創作者冥利に尽きると言うべきだろうか。しかし、このいたたまれない気分は、なんとしたことだろう。




39.王者の時間

場末の居酒屋に根を生やしてつまらん小説をひねくっていると、サイモン・ラトルとバーミンガム市交響楽団がやってきてマーラーの第三交響曲をやってくれる。啜るのは安焼酎、壁紙は剥がれかけ、便所からは消毒薬のにおいがするが、音は一糸乱れず響き合って水も漏れない。思うに、これは人類が経験したことのなかった豊穣ではないだろうか。三文小説がマシになるでもないが、贅を尽くした時間を独り占めした幸福は熱となって残る。


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Author:segawashin
2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
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