セガワブログ

小説家、瀬川深のブログ。

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せっかく4年に一度の閏日なので、大学で2月29日付の報告書を量産してきました。
本日付けのブログも書いておくことにします。


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 James JoyceのDublinersの新訳、「ダブリンの人びと」(米本義孝訳、ちくま文庫)を本日購入。邦訳では長らく新潮文庫の「ダブリン市民」(安藤一郎訳)が手に入りやすい版で、自分も大学時代にこちらで読んだ記憶があるのだが、この新訳もいろいろ面白い試みがなされていて興味をそそられる。
 タイトルを「ダブリン市民」から「ダブリンの人びと」にしたのは良かったと思う。「市民」という日本語にはどうしても(ヨーロッパ近代という文脈での)近代都市における社会の構成員、という語感が含まれるように思うのだが、ジョイスがこの短編集で描いたダブリンの人間たちは必ずしもその枠内に入っているとは限らないようだし。本書の全短篇を通じては有象無象ごたまぜの群衆劇のような印象をも感じ取れるので、「人びと」の方がDublinersの訳語としては適切なんじゃなかろうかと思った。
 新訳はまだ最初の数編を読んだだけなので、作品個々への言及はとりあえずパス。
 詳細な解説と地図が付いているのはありがたかった。ダブリンの街を精緻に描いた作品の性質にも見合うし、なによりわかりやすい。ジョイスは不必要な部分については徹底して説明をしない作家なので、当時の社会風俗や文化と絡む部分はこういうのがないとつらいのです。
 それから、たぶん言葉の中ではいちばん変化の激しい会話文がよく練られていて読みやすくなっていた。会話というのは、思っていたよりも本作中で大きなウエイトを占めるものらしい。なにしろ前回読んだのは二十歳になるやならずやの若造のころだったので、当時どれだけ理解できていたのかも心許ないのだが、改めて読み直してみれば、ジョイスが言葉を選び抜いて書いたと思われる文体から立ち上る雰囲気が以前よりも鮮やかに感じ取れて、ちょっと驚いた。「姉妹」の陰気な倦怠感や「ある出会い」のラストに書けて増大してゆく変な薄気味悪さなど、どの部分があるからそう感じ取れるのだと簡単に言い当てられないところが面白い。リアリズムの手法に徹しているかのように見えて、あんがい複雑な技巧を凝らしているようだ。簡潔を極めた描写と、所々にはさまる不思議な無駄(のような部分)、効果的な心中独白などにその鍵が潜んでいるのかな、と、大雑把に予想してみる。好きな短篇「二人の伊達男」や「委員会の蔦の日」などがどう訳されているのか、今から楽しみ。
 それにしても、本書上梓時にジョイスがたった27歳だったと考えると、しみじみ落ち込んでしまう。トマス・ピンチョン「V.」の26歳と並んで、ほとんど文学史上の奇跡みたいな気がする。


 最近このような「新訳」がいろいろ出ているけど、それぞれに訳者の方々の熱意がこもっているようで嬉しい。「絶対面白いんだから読んでよお」という気合いが伝わってくるみたいだ。自分が他に読んだのはフォークナーの「響きと怒り」新訳(平石貴樹・新納卓也訳、岩波文庫)ぐらいなんで、全般的にどうこうはは言えないんだけど。
 このついでに、ヘンリー・ミラー「北回帰線」「南回帰線」の新訳も出ないかな(独り言)。ハーマン・メルヴィル「ビリー・バッド」の新訳も出ないかな(独り言)。フォークナー全短篇の新訳とサトペン三部作の新訳も出ないかな(独り言)。



(リンクを追加してちょっと加筆しました。)

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2007年、「mit Tuba」で
第23回太宰治賞受賞。
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